子供の頃実家には住み込みで働いてくれる人がいた。
自分が生まれる前からいたのだから、赤ん坊の時は負ぶってもらったり、乳母車をおしてもらったことだと思う。
5.6歳の頃実家を離れてよそではたく事になっていたが、たまに祖母を訪ねて遊びに来てくれた。 コタツで酒を飲みながら近況などを話すのをよく聞いていた。
大きくなってからも、草刈や山の間伐に来てくれて手が足りない時は助かっていたと思う。
自分もよく一緒に作業をさせてもらったが、まだまだ甘ちゃんで呆れてしまうことなどがあり、そういう時は全部力ちゃんに任せて帰ってしまったりしたこともあった。
兎に角、幼少時からお世話になった事が間違いない、、それが力ちゃん。
同級生の叔母さんがいて、同じ中学校に通っていたが、よく授業をサボって裏山で遊んでいたそうだ。
祖母は、自分の娘と同じ弁当を持たせて決して差別をすることは無かったと言う。 だから、家を離れても祖母を慕って遊びに来ていた。
そんな力ちゃんももう70過ぎて、どこにいるのかと時々気にしていたが、叔母たちから田舎のグループホームにいると聞いていたので、9日、叔母さんの所に焼香に行った帰りに寄ってきた。
すぐに、施設は判ったが、近くに出来た新しい建物のほうに移ったという。そちらもすぐに判明し訪ねてすぐに会うことが出来た。
少し老けたが、愛想のない難しい顔つきは昔のままでした。
「誰か判る?」 判るわけは無い。 40年も昔の事だし、こちらは頭は禿げ上がり、酸素のチュ-ブを付けているのだから。。。
稲荷山、、次男坊だよ と名前を言っても判らないという。
しかし、叔母さんの名前を出すと全部覚えている。
「知ってるよ、ここへも来てくれたもの。」
「みんないなくなっちゃたんだよ。」
「3人いたのに、みんな嫁に行っっちゃったんだよ。」 当時、寂しかったのか、それを繰り返し言っていた。
兄の名前も、妹の名前も覚えていた。
おばさんから預かってきた、ぽち袋を渡すと、しっかり持って深々と頭を下げていた。 本当に律儀で心からの行動をするひとなのだ。
「知ってるよ、、嫁に行っちゃったよ。」
昔の事を色々話していた。
前のため池でつりとしたこと。
隣の富田さんによく遊びに行っていた事。
反対側のお隣さんの事。
自分の事は覚えていないと言っていたが、稲荷山の、まあそういう関係の人だと判ってもらえたから自分としてはそれで十分だった。
何より、元気で過ごしていてくれてよかった。 本人は、こんな所でぐずぐずしているより働きたいと言っていたが、もう十分に働いてきたのでゆっくり休んで下さいと言った。
帰り際、部屋から出て一階の玄関まで送ってくれた。 手を振ってくれて、ガラスドアから見えなくなるまで、ほんの4.5メートルだが手を振って見送ってくれた。
部屋を出るときに鍵を掛けるので違和感を感じたが、廊下であった若い介護スタッフが通り過ぎると、そいつをさして、
「あいつは、馬鹿、馬鹿でどうしようもないんだよ。」と言って、指でカギの字に作った。
「これやってんだよ。去年3回もやられたんだから。」
どうやら、スタッフが入居者を甘く見て隙を見てはお金を盗んでいるようなのだ。
力ちゃんがわざわざ嘘をつく動機もないし、
用心で鍵をかけるもの不自然だし、
何より嘘をつく人ではない事は自分がよく知っている。
自分が施設に入っているときも酷い人間がいたが、
そこにも何人かは酷い奴がいるようだ。 人間として最低なのだ。。。
色々あってなんとなく切ない気持ちでそこを後にしたが、帰ってから叔母さんに報告したりして色々思い出していい時間でもあった。
兎に角、よき人生を。。。と。