過酷な一日
出発前に、朝から車が隠れるほどの雪を下ろして、苦しみながら、止まって酸欠を何度も戻して、本当に生きた心地がしないような時間を過ごした。
その後もなるべく下道を使っての遠出。
帰ってくると、駐車場に止めてから帰りのタクシーが捕まらず、結局極寒の夜道を駅まで歩いた。
寒いし、少し歩くと酸欠で動けなくなる、引き帰す事もできず立ち尽くして回復を待ちながら歩く。
タクシー会社からは駅に車を向かわせると言われていたが、タクシー待ち。
本当に過酷な一日だったと思うが、、、、何と言う事はない、自分で辛い道を選んでいるだけなのだ。
車をマンションまで持って来なければ、タクシーで移動して雪下ろしも必要ない。
高速を使えば楽に移動できる。
帰りもタクシーが捕まらなければ、マンションまで車で来て翌日移動すれば済む事だった。
しかし、それを良しとしない何かが自分のなかにあって結局辛い事になってしまう。
自分がそういう生き方を好んでいるのか?
元気な時に何でも体力で解決してきた癖が未だに抜けないのか?
自分の根性を自分で試しているのか?
強い自分を、過酷に生きる自分に納得したいのか?
節約を第一に考えてしまうのか?
エンドルフィンやアドレナリンが出る事を知っていて体がそうさせるのか?
自分でもどういう思考回路でそういう選択をするのかわからないが結局自分で自分を苦しめる。
たった500円、千円、の差なのに、良く考えれば少しの出費で十分な楽が出来るのだがそれをしない不思議。
子供の頃から少しずつ、少しずつ辛い思いをしながら鍛えられ、どんどん耐えられるようになり結果強くなったのだけれども、
それが少しずつ自分を蝕んで来たのも事実なのだ。
過度なストレス、刺激は結局破滅に向かうのだ。
過ぎたるは及ばざるが如しは、本当なのだ。
だからと言って甘やかせば身体は緩む、緩みすぎれば動きたくなくなりどんどん衰える。
それが怖いのかもしれない。
色々と思うところはあるが、過酷な一日で、充実した一日を過ごせた。
1月9日が良き日になって良かった。
苦を信じて、酷を極める。(サントリー、鳥居創業者のTVドラマから)
結局そうなるのだ。