吉本興業でごたごたが起こっている中、
「皆不安になっている。」 とか、 「若手が落ち着けない。」 などと 言う言葉が度々出てくるのだが、
自分にはそういう感覚がない。
属している会社組織がどうなろうと自分で生きていくだけだろうに。
目に見えないつながりは大事に思うが、具体的機関である会社や組織が無くなってもどうでもいい事だと思う。
サラリーマン当時、大手の銀行や証券がつぶれ、次にいくのはどこだ、などとと、業界全体が浮き足立った時期があった。
会社の知り合いから電話が来て、
「うちの会社大丈夫なのか?」 「何か情報ある?」 「どうなるんだろう」 「どうしよう」 「おまえどうするの?」 などとよく聞かれた。
皆が不安に思っている中、
自分だけは、 「いいんじゃない、つぶれれば、、こんな会社つぶれたほうがいいよ。」 などと応えていた。
するとみんなに、、「おまえは良いよな、、実家に帰ればいいんだから。。」 などと言われていたのを思い出す。
元々、組織が嫌いだし、帰属意識は薄いし、組織に守られる事を嫌っていたから組織が無くなってもそれ程ショックを覚えないように出来ていたのだ。
家、ご先祖様に対する思いはとても強かったが、農家の次男という事で家を出る事が当たり前、財産を期待してはいけない立場だったから、独りで生きていくことが当然の事だと思っていたし、そうやって生きてきていた。
だから、周りが羨むような「実家に帰る」という選択は無かったのだが、それでも不安は余り無かった。
小さい頃から独立を求められ、よそ者扱いを受けて孤独に生きていたお陰で不安が無かったのだ。
親は面倒見ることをしてくれなかったし、ほとんどほったらかしの状態だったから独りで歩くしかなかったのもある。
しかし、それが正解だったのだ。 世の中何かに頼って生きたいけれど、頼れば頼ったものがこけた時の心配をしなくては生けない。
独りで生きていれば、組織に属しても頼っていなければ組織が無くなってもなんという事は無いのだ。。。
今の状態でも何とかやっていけているのはそういう他の人とは違っている意識が根底にあるからだとツクヅク思う。
何故か、、「寄らば大樹の陰」などという事が大嫌いなのだ。。。
何故なのか?それは、、 俺自体が大樹だから、、、、寄る方ではなく、寄らせる方だから。。
真っ直ぐ、素直に、大樹のように地面に根を張って育っていく様にという名前なのだよ。。。