マラソンランナーは何故あれほど苦しい事に本気で取り組めるのだろうか?
答えはそれぞれだと思うが、全員「自分には必要だ」と思うから必死で戦うのだろう。
大相撲の力士を観ていても思う。
何と激しい、命を削らざるを得ないような人生を良く選んだなと、
毎日、毎日、怪我と向き合い、勝ち星に異常な緊張を強いられる、平和な日本で戦争以上に苦しいような世界をよく選んだなと。
彼らのような走っていて気持ちがいい感覚など全く感じられないようなレベルで、苦しみしかない競技だったのに、、、、、
自分でも何故選んだのか解らないが、自分も長距離ランナーだった。
辞める機会はいくらでもあって、むしろ続けてるほうが不思議な事だったが、高校でも長距離ランナーを選んだ。
入学式後の健康診断で偶然顧問の監督に名前を見つけられて、、。
弱くて、恥を晒す為に大会に出ているようなものだったのだが、、何故か続けたのだ。 残り何人がトラックに取り残される世界、長距離ランナーは弱いと最後に晒される。 本当に惨めな世界なのだ。
それでも、高校2年になると、県大会で何度か予選を通り決勝へ行く事も出来て、
多少でも、走っていて気持ちがいいと思える経験もするようになれた。
大学では極真空手を選んだ。偶然見たテレビで引き込まれるように始めるまで道があったようだった。
今度は、苦しいに、痛いが加わり、試合や練習前は極度に緊張した。 おまけに、後に潰瘍性大腸炎になる前兆の継続的な下痢、、毎日下痢でそれを処理して練習や授業に出ていた。
それでも、それまでの経験もあり少しは強くなっていると実感できて、、辞める事など考えもせず、できるだけの努力をした。
それまで以上によく考え、長距離ランナーだった時には考える事もなかった遠い世界、全日本にも出場するようになっていた。
何故か、全てがうまくかみ合い試合での結果に恵まれ、順調な事が多かった。
社会人になってからの生活は今まで以上に苦しみが大きかった。
全くの畑違いで、どうにも出来ない自分の小ささを、未熟さを嫌というほど感じさせられた。
毎日毎日罵倒され、居酒屋で深夜まで説教される事が1年以上も続いた。
しかし、不思議な事に、心は絶対に見返してやると決まっていて、辞める事など考えもしなかった。
きちんと評価されるようになり、恥ずかしくないサラリーマンになったと思う。
そこから、潰瘍性大腸炎で激しい下痢になるが、、ここがまた、人生で一番きつい状況を迎える。
一日20回もトイレに駆け込みながら、2年は働いていたが、、 結局会社を辞めて療養した。 5.6年は普通の生活に戻れないでそれまで以上に酷い経験もした。
やっと、普通の生活に近づきつつある最中に、いきなり劇症心筋炎。 この時も人生最大のきつい時期となった。
人工心肺で、2週間意識なく眠っていた。 肺炎を合併、肺に溜まった血液を抜く時もきつかった。 そして3ヶ月で退院したが心臓にダメージが残って虚血性心不全。
一時は回復したように思えたが、不整脈を押させる薬で薬剤性の間質性肺炎。
酸素の管が離せなくなって、、それと同時に施設に入院。 医師からは今後の人生はどういう風に生きるか自分でよく考えてくださいと言われていた。
寝たきり状態から、退院、何とか自立生活を始めて、今までこれた。
よく考えたら、全部繋がっている。 苦しいことを乗り越えて、、、また次の試練、、と、順を追って、しっかりとカリキュラムされているではないかい。
今の状態を受け入れられているのは、それまでの経験が段階的に負荷を掛けてくれてたお陰でした。
今までの人生全部繋がっていたのか。。。順調なのか。。。
そして、今は障がい者なのだが、徐々に回復し、もしや人生一番の平安な時期かもしれない、、、これからもっと起伏が激しくなる事もあるのか??
身体はもう持たないようだが、、さあどうなる。
何はともあれ、、結構色々と経験できていて、ノウハウも溜まっている人生。
経験があれば不安も少なくなるし、チャレンジもしやすい。。。良い状態。
しかし、心の奥底に固まっている、、得体のしれない不安感、恐怖感はどうしてもぬぐいきれない。
本当、困ったものだが、これも意図的につけられた天の采配なのかもしれない。