今まで、病気を治す事が目的で、その目的を達成する為に色々とやって来た訳なのだが、、
最近は気がつきました。
病気を治す為の課題は人として成長する為の手段で、目的ではなかったのです。
自分を成長させるという目的の為の手段なのだろう。。と。
病気を治す事を通じて、学んで行く事が、自分を見直し立て直していく事がたいせつなのだと。。
だから成長の為に、病気も、幼い頃からの大変な体験も必要だったのです。
自分に丁度良い人生だったのです。
じぶんで乗り越えられる程度の、丁度良い人生なのです。 乗り越える時に色々な経験をして、多くの事に気付かせてもらうという、
丁度良い人生なのです。
(このブログを書くという経験もその一部なのかも知れません。)
振り返る事で気がつくこともあり、
今では、
もし、病気になっていなかったら、
気がつかなかった事がたくさんあったのではないか、
変化の無い味気の無い人生だったのではないか、、と思え、
今では、病気になった事こそが、幸運だったとさえ思えるのです。
がんだと判って、、、
「今なら手術すれば治るのに、手術しない人なんて始めてなんですよ。
普通の人は、むしろ手術が出来なくても、手術して下さいと頼むのに、何故、あなたは拒むのですか?
不思議で仕方がないのです。 怖くは無いのですか?」
医師からこう聞かれたが、こちらはそう言われる事が不思議だった。
何故か、切らない選択をしたかったのだ。
こっちの道の方が、自分で自分の人生を歩いているような気がしたから。
この道を行く自分を見てみたかったから。
エベレストに登ろうとする登山家に、ヘリコプターを勧めても全く拒否されるでしょう。
それと同じなのではないかと思う。
(もちろんレベルは全く違うのだが、日常レベルでもそういう感覚があるのではないか?)
エベレストの頂上に用事があって、早く行って、早く帰って来たい人はヘリを使うでしょう。
でも、登山そのものが目的の人にヘリを勧めても全然興味を示さないのでしょう。
他に「生きがい」があって、早くがんを解決してその事に集中したい人は、手術であっさりと方をつけてその道を歩めば良いでしょうが、、、、
自分にとっては、病気が本業だと思っていたのかも知れません。