アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ポカラのチベット村

2017年10月26日 | Weblog
 14日の朝、成田で預けたトランク…16日にゲットすることが出来ました。当初の予定より早かったんじゃないかって?早かったです。
 トランクは、15日夜、クアラルンプールからカトマンズに運ばれた。当初はカトマンズの空港に置きっぱなしで、17日に受け取る予定でした。しかし、「薬を飲まなけりゃ大変なことになる。薬はトランクの中だ。早くトランクを!」という声が!M航空としても裁判沙汰は避けたいと、行動を起こしたわけ。
 で、15日の深夜、トラックにトランクを積み、ポカラのホテルまで5時間かけて届けてくれたというワケ。当然ですよね。そんな訳で、二日ぶりに自分のトランクと再会。薬も飲める。ヒゲも剃れる。下着も替えられる。歯も磨ける・・・。

 標高1400メートルのカトマンズから、標高800メートルのポカラへ来ると、「暖かい」と、感じました。ガイドが、「ポカポカしてるから、ポカラ」と言いましたが、ウケなくてションボリ。
 「デビット・ホール」へ案内されました。「ホール」は、「穴」なのか、それとも「滝」なのかって?その両方ですね。滝の水が地面を侵食して穴(トンネル)が出来上がっている。その水路になっている穴(トンネル)が、20~30メートルあるんじゃないかな。「パタレ・チャレンコ」が、正式な名称だという。デビさんというフランスの女性が落ちてお亡くなりになったことから、「デビット・ホール」と呼ばれるようになったんだと。このあたり、ネパールの人の犠牲者への心の持ち方がうかがえます。

 このデビット。ホールからほど近いところに、「タシリン・チベット村」があります。1959年「チベット動乱」のときにネパールへ逃れてきたチベット難民の居留地。中国支配が続くチベットを逃れてネパールに亡命するチベット人は、今も毎年1000人以上にのぼるという。
 村人(難民)のみなさんは、チベット独特の生活習慣を維持しているという。私が訪問した時間帯は、村人が近くの工場や農場に働きに出ておりました。
 クラフトセンターなるところで、観光客用に、糸を紡ぎ、機織り(チベタンカーペット作っていました)をしている高齢の女性が5~6人。
 みなさん表情が暗い。ニコリともしないし、口も開かない。必死で、何かを耐えている…。命からがら、ヒマラヤを越えてネパールへやってきた。50年経っても笑えないですよ。逃避行の前に数百人のチベットの同胞が殺されている。

 クラフトセンターの隣に、チベタンカーペットの直販店があります。売り上げは難民キャンプの運営、子どもたちの教育や福祉に使われる。そういう話にめっぽう弱いのが、カミサン。40センチメートル四方のカーペットを3枚購入。重いんだけどぉ!まっいいか。