どう考えても分かりません。トロイの遺跡を見てきて考え続けた今もまだ分からない。
何が分からないかというと、トロイ戦争の終結のいきさつについてです。早い話が、「トロイの木馬」。
トロイ戦争は、ギリシア神話上の戦争。ホメロスの叙事詩に書かれています。「ホメロスの創作…」と、考えるのが普通でしょう。
ところが、ドイツの考古学者であり実業家であった、ハインリッヒ・シュリーマンは、普通ではなかった。
シュリーマンは、ホメロスの叙事詩にある「トロイ」は、「ヒサルルクの丘」にあると推定した。1870年に発掘をはじめ、1873年に伝説の都市トロイを掘り出したのです!
つまり、トロイは実在した?そんなことってあるのか?!…実際、あったんですけどね…。
かくして、伝説上のものと思われていた古代都市が発見された…。
それからおよそ140年後、私がその都市を歩いてきました。全く野次馬なので、思い立ったら出かける…。トロイは、確かにあったのです。
では、トロイ戦争自体はどうだったのだろうか?本当にあったのだろうか?
トロイの遺跡をめぐっていると、遺跡の地層が9層になっていることがはっきり分かるところがありました。御丁寧に地層に番号まで付いている。紀元前3000年も前からの都市だけに、どんどん埋まって地層になってしまった。
今のところ、第7層の時期(紀元前1200年中期)にトロイ戦争があったという説が有力です。
破壊や火災のあとがある地層は、第2層、第6層、第7層(1層が一番下、つまり古い。あたりまえですね)。
その中で第7層の時期にトロイ戦争があったとする根拠は、第7層の都市は、火災が都市全体を覆っていることのほか、発見された人骨の中に人為的に傷つけられた…つまり戦争の犠牲者と思われるものがあるからなのだそう。
では、第2層、第6層の火災の跡は何か?考えられることは、「流行病のまん延阻止のため都市を焼き払った」
ということでしょう。それはないだろうって?紀元前1200年ですから、季節性インフルエンザでも国が滅びてしまいますよ。
トロイは実在していた。戦争があったこともほぼ間違いない。それらは納得しました。
まだ私が分からないのは、戦争の勝敗を決定づけた「木馬」です。私としては、「トロイはあった。トロイ戦争もあった。しかし、木馬はないだろう…」
話をおもしろくするために登場させたのだろう…そう考えてしまうのですがねえ。
遺跡の中に、「木馬が通った坂」とされている坂がありました。これは、あとから付け加えた話だと思いますがね…。
遺跡の入り口に復元された木馬が展示されておりました。中へ入ることもできたので、もちろん入りました。
「復元?」見た人は誰もいないのに?「復元」とは?
それにしても、木馬の制作過程を詳しく書いた書物もあるのです(トリピオドーロスの「トロイア落城」。ギリシア語で Troia 、英語で Troy )。
木馬は本当にあったのか…?
旧約聖書(創世記)に、ノアの方舟があります。
「そんなもの、実在したはずないだろう」
と、思っていました。
私が創作と決めつけていたノアの方舟…アララト山(トルコの東方)中腹に方舟の痕跡があるという!?
紀元前3000年の木造の舟の痕跡などあるわけないべ…とも言えない状況になっている…。
それが本当だとすると、トロイの木馬も本当の話…?
なぜ、こだわるかって?神話が本当なら、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)も実在したことになってしまうかも。神話は神話として、大切にしておきたいのですが…。
なお、トロイ戦争の本当の原因が分かりました。
ギリシャは、トロイの港がほしくてたまらなかった。しかし、戦争を仕掛ける理由がなかった。
そのため話をでっち上げて戦争の口実をつくった。
「ギリシャの都市スパルタの女王ヘレネーと、トロイの王子パリスが駆け落ちした」
ありがちな話し。
つまり、戦争は、港を手に入れたいという「欲」だった。これは、実によく分かる話です。
しかし、木馬は事実だったのか?どう考えてもぉ…分かるわけないですね。
何が分からないかというと、トロイ戦争の終結のいきさつについてです。早い話が、「トロイの木馬」。
トロイ戦争は、ギリシア神話上の戦争。ホメロスの叙事詩に書かれています。「ホメロスの創作…」と、考えるのが普通でしょう。
ところが、ドイツの考古学者であり実業家であった、ハインリッヒ・シュリーマンは、普通ではなかった。
シュリーマンは、ホメロスの叙事詩にある「トロイ」は、「ヒサルルクの丘」にあると推定した。1870年に発掘をはじめ、1873年に伝説の都市トロイを掘り出したのです!
つまり、トロイは実在した?そんなことってあるのか?!…実際、あったんですけどね…。
かくして、伝説上のものと思われていた古代都市が発見された…。
それからおよそ140年後、私がその都市を歩いてきました。全く野次馬なので、思い立ったら出かける…。トロイは、確かにあったのです。
では、トロイ戦争自体はどうだったのだろうか?本当にあったのだろうか?
トロイの遺跡をめぐっていると、遺跡の地層が9層になっていることがはっきり分かるところがありました。御丁寧に地層に番号まで付いている。紀元前3000年も前からの都市だけに、どんどん埋まって地層になってしまった。
今のところ、第7層の時期(紀元前1200年中期)にトロイ戦争があったという説が有力です。
破壊や火災のあとがある地層は、第2層、第6層、第7層(1層が一番下、つまり古い。あたりまえですね)。
その中で第7層の時期にトロイ戦争があったとする根拠は、第7層の都市は、火災が都市全体を覆っていることのほか、発見された人骨の中に人為的に傷つけられた…つまり戦争の犠牲者と思われるものがあるからなのだそう。
では、第2層、第6層の火災の跡は何か?考えられることは、「流行病のまん延阻止のため都市を焼き払った」
ということでしょう。それはないだろうって?紀元前1200年ですから、季節性インフルエンザでも国が滅びてしまいますよ。
トロイは実在していた。戦争があったこともほぼ間違いない。それらは納得しました。
まだ私が分からないのは、戦争の勝敗を決定づけた「木馬」です。私としては、「トロイはあった。トロイ戦争もあった。しかし、木馬はないだろう…」
話をおもしろくするために登場させたのだろう…そう考えてしまうのですがねえ。
遺跡の中に、「木馬が通った坂」とされている坂がありました。これは、あとから付け加えた話だと思いますがね…。
遺跡の入り口に復元された木馬が展示されておりました。中へ入ることもできたので、もちろん入りました。
「復元?」見た人は誰もいないのに?「復元」とは?
それにしても、木馬の制作過程を詳しく書いた書物もあるのです(トリピオドーロスの「トロイア落城」。ギリシア語で Troia 、英語で Troy )。
木馬は本当にあったのか…?
旧約聖書(創世記)に、ノアの方舟があります。
「そんなもの、実在したはずないだろう」
と、思っていました。
私が創作と決めつけていたノアの方舟…アララト山(トルコの東方)中腹に方舟の痕跡があるという!?
紀元前3000年の木造の舟の痕跡などあるわけないべ…とも言えない状況になっている…。
それが本当だとすると、トロイの木馬も本当の話…?
なぜ、こだわるかって?神話が本当なら、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)も実在したことになってしまうかも。神話は神話として、大切にしておきたいのですが…。
なお、トロイ戦争の本当の原因が分かりました。
ギリシャは、トロイの港がほしくてたまらなかった。しかし、戦争を仕掛ける理由がなかった。
そのため話をでっち上げて戦争の口実をつくった。
「ギリシャの都市スパルタの女王ヘレネーと、トロイの王子パリスが駆け落ちした」
ありがちな話し。
つまり、戦争は、港を手に入れたいという「欲」だった。これは、実によく分かる話です。
しかし、木馬は事実だったのか?どう考えてもぉ…分かるわけないですね。
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