アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ベンジャミン・バトンとフォレスト・ガンプは兄弟?

2009年02月16日 | Weblog
   時間の逆戻りは幸福か…

 奇妙な観客です。真っ暗な映画館で、メモをしながら映画を観る。まあ、せんべいを食べながら観ているわけじゃないのでお許しを。「ベンジャミン・バトン ~数奇な人生~」というタイトルの映画。原作は、F・スコット・フィッツジェラルド。アメリカの小説家で、70年前に亡くなっておられます。作品を読んだこと…ありません。お名前自体、このほど知ったわけで…。
 話の筋は…80歳代の容姿で生まれた、赤ちゃん(おじいさん?)。出産で母親は亡くなった。赤ちゃんの容姿を見て、錯乱した父親は、老人ホームの玄関に赤ちゃんを置き去りにした。ベンジャミンと名付けられた赤ちゃんはだんだん若返っていく。

 この発想!アップル社のマーク、リンゴの片隅を囓(かじ)ったアレ。別角度から見たら、普通のリンゴでしょう。「ベンジャミン・バトン ~数奇な人生~」も、人の一生の「形」を逆にした…。それだけでおもしろい。100年近くも前の、短編小説をなぜ21世紀の今頃映画化したか?「80歳代の容姿で生まれた赤ちゃんが、だんだん若返っていく」このようなことは、通常「相手にされない」話です。ところが現代は、「何でもありの時代」。ちょっとやそっとのことで、衆目を浴びることなど出来ません。ところが、「生まれてから若返る」これは、何でもありの世の中でも「あり得ない」話です。当然、「えっ!」と、10人中10人が興味を惹かれる。そんなわけで、この度映画化。パラマウント映画やワーナー・ブラザーズに問いただしたわけではなく、私の推測ですがね。

 F・スコット・フィッツジェラルドさんの小説と、映画化された「ベンジャミン・バトン」とは、おそらくテーマがかなり違うと思います。私の感想は、もちろん映画を観ての感想です。「ベンジャミン・バトン」は、「ジャズ・エイジの物語」という短編小説に収録されているのだそうですが、それを読んだ方は、「オマエの感想は見当違い」と、おっしゃられるかと思いますが。

 「この映画…フォレスト・ガンプだろう!」と、思いました!
 フォレスト・ガンプは・・・舞い降りた羽をガンプが絵本に挟み、居合わせた人に話し始めるという形で物語が進んで行きました。
 ベンジャミン・バトンは・・・ベンジャミンの娘が、病床のデイジー(ベンジャミンの妻)に、ベンジャミンの日記を読んで聞かせる形で話が進みます。
 フォレスト・ガンプの「羽」と、ベンジャミン・バトンの「ハチドリ」が符合する所があります。明らかに意図的です。
 ベンジャミンは・・・一時船乗りになり、船長に可愛がられました。その船は、第二次世界大戦で船ごと敵の潜水艦に乗り上げます。ベンジャミンは生還。
 フォレスト・ガンプは・・・ベトナム戦争へ行きました。そのとき救助したダン中尉の船でエビ漁をして大成功。激しい嵐からも生還。「船、戦争、生還」…。
 フォレスト・ガンプは・・・卓球大会の賞金で会社を立ち上げた。
 ベンジャミンは・・・父親のボタン会社を相続した。どちらも金を手にしています。
 フォレスト・ガンプは、私のなかで印象的な映画の一つなので、旧友に会った心持ちでした。「ベンジャミン・バトン」と、「フォレスト・ガンプ」は、同じ脚本家(エリック・ロス)なのだそうで…やはり、是非主張したいものって同じなのですね。

 「80歳代の容姿で生まれた赤ちゃん(ベンジャミン)を、父親のトーマス・バトンが、老人ホームの玄関に捨てた」これって、どうですか?醜い赤ん坊は捨てる。マアマアの容姿なら育てるの?このあたりがサラリと流されておりました…。捨てた場所が老人ホームの玄関。赤ちゃんが老人だから、老人ホーム?
 トーマスは、同じ町の老人ホームで暮らすベンジャミンの成長を見守っておりました。少しは、人の心を持っていたようで。飲みに誘ったりもしました。最終的に、父親であることを告げ、財産をベンジャミンへ譲った。これが薄っぺらい。捨てた段階で、父親は不明のままのほうがテーマを浮き立たせた。父親を再三登場させたことにより、「老→時の経過と共に→若返り」のテーマが薄まった。

 物語の幕開けに、「大時計」が使われた。全盲の時計職人、ミスター・ガトーが作った。
 その時計、針が左回り、つまり時間をさかのぼるもの。ミスター・ガトーは、戦争で息子を失った。息子を戦争へ送り出した事への後悔を胸に作り上げた時計。「戦争へ旅立つ息子を引き止める事が出来たら、時間さえ戻れば戦争で死んでいった若者達の命を救う事が出来るかもしれない」
 日常の生活でも、「失敗した!時間を戻せないか!」ということ、誰しもが経験している。
 そして、最後の映像シーン…大時計は、デジタル時計に変わっていた。物置に放置されていた大時計は、生きていた。針は、相変わらず逆に進んでいた。ハリケーンによる浸水で、大時計は流されていった。そこで、エンド。
 ミスター・ガトーの逆に進む大時計、いい役目をしていました。ミスター・ガトーを全盲の時計職人としなければならなかった理由が、今ひとつ理解できていませんが。

 160分という映画。満員の観客は、ずーっと息をひそめていました。唯一隣の席のオヤジが時折、「ズ、ズー」と、ストローでコーラを飲みました。クラッシュアイスが溶け、少し水分が溜まったら、「ズ、ズー」。オヤジには、困ったものです。

 ベンジャミンは、デイジーと結婚したのですが…ベンジャミンは若返り、デイジーは年をとっていく…。こりゃいかんというわけで、ベンジャミンは放浪の旅へ。これもフォレスト・ガンプと同じだぁ。
 赤ちゃんになったベンジャミンは、年老いたデイジーに抱っこされて、息を引き取った。

  数奇な人生(原題:THE CURIOUS CASE OF BENJAMIN BUTTON)、見終わったあと、館内のあちこちから大嘆息が。

 「不老不死」は、人間にとって幸福か?フォレスト・ガンプでは、「人生はチョコレート箱、開けて見なけりゃ分からない」だった。ベンジャミン・バトンでは、「人生は分からない」。同じことを言っている。
 思い出した。「死は、生の一部」とも言っていた。伝えたかったメッセージは、これだな。おもしろかった。

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