「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20120512

2012-05-12 | 矮小布団圧縮袋

○金曜土曜の気温は4月初旬並みで意外と上がらず、日が暮れて仕事から帰ると風が冷たい。それで日曜は気温が上昇して初夏並みになるというから服の調整に困る。部屋の中の衣替えと本棚の整理をしていて埃のためか鼻風邪が悪化し、好天ながらお出かけはできなかった。週明けの仕事に備えて休みながら風邪薬でぼんやりしている。結局室内にいて仕事の続きや原稿下書きやチェックや読書をしていた。夕方のみ図書館に行く。明日は野菜などの買物もしないと。今日5/12、13から日産スタジアム(新横浜駅の方の)でWorld Tourから戻ってきたL'Arc~en~Cielの日本公演が始まるそうだ。関東の方では数日前竜巻があったとか、このところの寒気で気候が不安定なようだが、とにかく野外といえば去年みたいな豪雨でないことを祈るのみだ。写真は、先日の下関のおみやげ「巌流焼」と「おそいぞ武蔵」を狙うたれぱんだとキイロイトリ2羽。「ドラヤキ♪」


本日のBGM:
 土曜スタジオパーク(NHK総合 5/12 14:00~)
 家にいたために偶然見てしまった。ゲスト悪左府頼長(山本耕史)保元の乱は収録済だと。『保元物語』を日本古典文学大系で最初読んだ時に「どういう役者がこの頼長とか信西とかをやるのか」というキャストをあまり考えたことがなかった(ケーブルTVの再放送などで「新・平家物語」(1972)を見ても、えっこの人が崇徳院!?[※ちなみに田村正和]みたいな感じだった。信西(小沢栄太郎)なんて最初っから悪い人そうだし)。だが、「武者(ムサ)の世・始まり」を今回のドラマではどういう解釈でやるのか、正直いうと清盛がどうかよか気になる。確かに「ひとつ屋根」は見てたから記憶にそのイメージが残ってて、童顔というか30代って感じがあまりない(それは香取くんも同じだが)。法事かなんかで高校生だった時に会ったきりで十数年以上面識がないような遠い親戚の従弟とかが下手すると多分このくらいの年のはず(苦笑)(20120512)


※「偽装停電」とは?
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20120511

2012-05-11 | 矮小布団圧縮袋

○(若松の近代化遺産お散歩の続き・その7)

 この若松のレトロな南海岸一帯の近代建築群を「若松バンド(bund)」というそうで、そのランドマーク的な建物が旧古河鉱業ビル(旧古河鉱業若松支店)[大正7年(1918)]である。他の建造物よりも円形の塔と赤煉瓦が映えて装飾的にもぱっと目立つ建物だ。現在はコミュニティセンターとして利用されている。

    

 なお、この建物の向かいの角にあった木造の、これも特徴的な形の建築だった麻生商店若松支社ビル[昭和11年(1936)頃]は老朽化が進み、2006年に解体されてしまったそうだ(キイロイトリが立っている、向かって左側が跡地だ。角に若干、麻生ビルの頃の名残のような「形」の塀のようなものが見えるが…現在はマンションらしいものが出来ている)。今は二つの建築が道路を挟んで並び立つ景は撮影できない。ともかく、むすび丸「海岸通りの雰囲気を味わってみましょう♪」ということで歩いてみる。

    
  ←裏側から見ると

 石炭会館から本町の方に入っていくと、見えるのが「為末医院」の表札のある建物、旧為末医院[昭和初期頃]である。

   

 また、商店街の方に向かって本町の通りを歩いていくと、『放浪記』の林芙美子旧宅といわれる建物や、旧谷弥合名会社若松支店〔ともに昭和初期頃〕などがある。

  
  

 うーむ。濃い。この濃さはなんなんだ。
 たとえば「門司港レトロ」は、どちらかと言えば昭和の生活感がより濃く漂っている門司港商店街と住宅地から、近いとはいえ少し離れた、小洒落たテーマパーク感がややあった。下関の唐戸商店街と少し離れた海岸側のカモンワーフも、然りである。
 だが、若松バンドはそこまで派手派手しくない(平成特有の、駐車場だけが広大な、殺風景なアウトレットのようでは無い)。昭和の通りの町並みとの併存度が近いように思う。その方が自分などには「本当の昭和」感が濃いと感じられる。例えば「おもちゃ倉庫」の売場の中の「擬古的昭和30年代セット」には全く昭和空間のリアリティが感じられない、生まれも育ちも「昭和の子供」の自分にとっては、近代化遺産のすぐ隣に21世紀的なマンションもありながら、なおまたそのすぐ脇に密集した本物の昭和の町が連続している、このくらくらするような時空の歪みの眩惑感がたまらない。
 ちなみに、先に「新潟港を思い出した」と書いたとおり、信濃川河口でいうと柾谷小路より下とか上大川前通とか沼垂とかの町の景にもなんとなく似ているような気がする。「初めての場所」であるのに、なぜこれほどまでに「原風景」的に親近感を激しくくすぐられるのかと思ったが、そのアングルがほとんど自分の生まれ育った町のそれに近いからではないだろうか。個人的には「古いクリーニング屋さんの2階に住んでたらしい」という天本英世さんの逸話が俄然思い出され、なぜそういう渋い所に住んでいたのかわかるような気がしてきて、「こういう、ちょっと新潟の下(しも)みたいな町にいたのか」と親近感が湧いてくるのであった。それにしても、自分も福岡に来て随分経つのに今まで知らなくて来なかったのが不思議なものだ。もっと早く来てもよかったのになと思うことしきり。

BGM:おきぬけジョーク / マシュー南
 「神戸だと思ってた~♪(ぱや~)初めての横浜~♪」(マシュー's TVの歌 ゲスト:ラルクhyde、ken)で知られる「テレ朝伝説」曲。今回、初めてではないが3度目の若松で新潟かと思い「かなりくすぐられた」situationということで(爆)(20120511)


※「偽装停電」とは?
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20120510

2012-05-10 | 矮小布団圧縮袋

○(再び若松の近代化遺産をお散歩・その6)
 また南海岸方面に戻ってきて、快晴の弁財天上陸場〔大正6年(1917)〕とごんぞう小屋前に佇むキイロイトリ「アツイ」 ※(注)5月5日現在の天候

 

 向かい側の石炭会館(若松石炭同業者組合事務所)[明治38年(1905)]も代表的な建築の一つ。
  

 中に入れるのは玄関までであるが、1Fの一部を利用したクロワッサン専門店やレトロ雑貨店が営業中だ。
  

 ごんぞう小屋の前の海岸のスペースは、この先の旧古河鉱業ビルと先の上野ビル、若戸大橋と、対岸の日本水産ビルまで一望できたりするスポットとなっている。手前の船は海上保安庁みたい。
  

本日のBGM:
 The Boy with the Gun / David Sylvian (「Secret of the Beehive」)
(20120510追記)



※「偽装停電」とは?
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20120509

2012-05-09 | 矮小布団圧縮袋

○ちなみに5月5日夕方、帰りに撮影したスーパームーン=山の端の月をお届けします。

本日のBGM:戦国疾風伝 二人の軍師 #5(5/9 22:00~ 時代劇専門チャンネル)
 黒田官兵衛有岡城幽閉から救出、竹中半兵衛(山本耕史)惜しまれつつ死去という回。官兵衛(高橋克典)が10か月から1年近く幽閉されていたために身体が不自由になってしまったところも演じている。信長と村重みたいな人たちの間に挟まれながらも実は信義を貫いていた半兵衛の死と官兵衛の生命力、というところが「兵衛’z」話の醍醐味だったのですな。村重がこっそり逃げる時に落とした茶碗が大丈夫か確認するカットが一瞬さりげなくはさまれているのが少し可笑しい(こういう人物のイメージで後世に語り伝えられてしまうからなあ)。伊丹の有岡城跡も、また官兵衛が養生したという有馬温泉も、行ったことはあるのだが、そういえば有馬温泉の入口に秀吉の像があったっけ。行った時はそのあたりまでの話の関係を考えていなかったけれども、今思い出して「おお、そういえば」と横手を打つ。(20120509)


※「偽装停電」とは?

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20120508

2012-05-08 | 矮小布団圧縮袋


○(若松の近代化遺産を歩く・その5)
 さらに商店街の方に戻ってきて、料亭 金鍋〔大正6年頃(1917頃)〕の木造建築を見る。


   

 これも近代港湾産業都市の旦那様方御用達の料亭、ということでは以前撮影した新潟の鍋茶屋を思い出す。なお検索していたら、金鍋の御主人は「天本英世記念館を作る会」会長さんで、顕彰と設置活動をされているそう(こういうサイトがあるのですね)。郷土若松の偉人として、とても気になる。

 一方、2003年に天本さんのお通夜のあった教会の近いJR若松駅(※奇しくも自分はこの時に初めて若松駅に下りたのだった)方面から山手の住宅地に入って、こちらも郷土の文学者火野葦平旧居宅「河伯洞」[昭和16年(1941)]も見学。
  

 外からみるとやはり和風の座敷部分と一見洋風の二階棟がつながっている(中は基本的に和室の作りになっていると見た)。昭和の住宅にはこの折衷感覚がある(新潟の會津八一宅の場合、やはり折衷的ながらも洋風棟の中は洋室だったけど)。(おそらくご親戚の)ご案内の方に、ここで亡くなりました書斎ですとご説明いただいた時、まだその時は若戸大橋が開通する前だったんだろうな、とその窓から見える街並みを見ながら、当時を想像して不思議な気持ちになった。
 考えてみると若戸大橋(昭和37年開通)自体が昭和高度成長期の歴史的産業遺産で、今年が「開通50周年記念」だそうである。関門大橋やベイブリッジの先駆けで、日本のこの手の最新工業技術の「巨大な橋」の最初とか。そこで、

  
 本日のBGM: 家に帰ってきてから再度、以前見た映画「悪名太鼓」(大映、1964)を見て確認してみる。清次(田宮二郎)がトラックで太鼓を九州に運んでいく最初のクレジットのところで、門司港近くの関門トンネル入口も新しい若戸大橋も出てくるのだ。


 ただし、路面電車のシーンは若松でなくて門司とか小倉とかっぽいらしく(言われてみればバイクで走った門司の国道3号線とかのアングルも思い出すが…)あちこちのロケをつないで若松あたりの九州の港湾地帯ぽくしているのか。どうも朝吉と清次の河内弁がきつすぎる上に芦屋雁之助&小雁兄弟まで絡む(しかも脚本が藤本義一)ため、台詞があまり九州ぽくないのだが(笑)
  
…モートルの軽妙に跳びはねて走ってくる線路とか、どこの倉庫やら。こういう世界を見ているといかにも「♪第三倉庫に8時半~♪」とかいう歌がつい脳裏をよぎってしまう。あ、「アンダルシアに憧れて」って、天本さんつながり、ってなわけじゃないか(><) (20120508)


※「偽装計画停電」とは?
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20120507

2012-05-07 | 矮小布団圧縮袋

○(若松の近代化遺産を歩く・その4)浜町方面に戻って若松労働会館(看板には「若松地区労組協議会」、旧連歌町病院)[昭和3年頃(1928頃)]を見る。近代化遺産関連の書籍の紹介記事では近年まで労働組合により使用されていた模様で、ここまでではなくもう少し中の、入口なども含めた写真が載っている。


 
 今回実際に来てみると塀も閉鎖されており、入ってみることはできない。実際に使用されている上野ビルのような例と違って、廃墟感が漂い始めている。この一角の由来含め非常に雰囲気のある建築ではあるが、地元では今後どのように扱われるのか気になるところ。実際、近代化遺産的な建築物のすべてが保存されているのではなく、既に老朽化がひどく解体された有名な建物もある(写真が残っていて偲べる)。「通った時に撮る」をこつこつ重ねていくのがよさそうだ。



本日のBGM:
戦国疾風伝 二人の軍師 #3(5/7 22:00~ 時代劇専門チャンネル)
 「平清盛」で不気味すぎる悪左府・山本耕史が、こっちでは「異様にいい人すぎる(しかも天才的なのに薄命な)」竹中半兵衛なので、両極端なのを日曜月曜と連続して見ると頭がくらくらしてくる(爆)←役者ですな。要するに「戦国鍋」でいうと「兵衛’z」ですね(^^;)こういう正月時代劇を地上波できちんとしぶとく作り続けているテレビ東京を改めて再認識した。西田敏行が懐かしくも若作りで藤吉郎役をやっており、そのバランス的には若く感じられる信長=加藤雅也の異常なキレっぷりがちょっとメーター振り切りすぎで(笑)、光秀と村重が普通の人に見えるほど。(20120507追記)
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20120506(その2)

2012-05-06 | 矮小布団圧縮袋

○(若松の近代化遺産を歩く・その3)「生活空間」とつながって存在している以上、経費や当地の便宜上で解体される可能性や、使用されず廃墟化する可能性があったりもすることを、今回の若松の散歩をしながら度々感じた。
 南海岸から先の北浜の工場地帯に行くと旧日華油脂若松工場(現・J-オイルミルズ若松工場)の事務所棟[昭和16年(1941)頃]がある。(キイロイトリが前を通っている)塀や玄関がモダンな不思議な形。しかし鉄筋コンクリートにせよ壁の色合いの渋さが他の工場建築と違うので、遠くの歩道から見て「あれかな」と思ったらやっぱりそうだった。(なお、この近くには工場の「労働組合」事務所のような木造の非常に古めかしい建物もあった。)

  
 反対側から見ると→


 (福岡県内の近代化遺産の本などで有名な)煉瓦壁の続く工場の棟は昨年解体されたらしく、周辺を歩いていて、工場の一角に煉瓦壁の面影を少しだけ偲ぶ。
 実用に応じてこうした展開になるところが、実際に産業的な用途の建築物である所以であり、産業遺産だの歴史的建造物だのとは言っても、どうも寺院などとは扱いが違うもののようだ。
 
 

 北浜方面の岸から再び若戸大橋側を望む。釣り人もいる。かなり日射が強くなってきた。今日半日歩いただけで焼けそうだな。
 (つづく)

BGM:
The Chosen One / Bryan Ferry (「Boys and Girls」)(20120506追記)


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20120506

2012-05-06 | 矮小布団圧縮袋


○(若松の近代化遺産を歩く・その2)
 若松の近代化遺産の代表的建築の一つが、若松渡船場のすぐ前の上野ビル(上野海運、旧三菱合資会社若松支店)[大正2年(1913)] である。

 

  

  


 裏側、通用口、倉庫、壁面にせよ、外のどの方向から見ても、経年を感じさせる美を湛えた煉瓦造の存在感が、そこに訪れた者の想像力を激しくかきたてる(頭の中にいろいろなことが渦を巻いて流れ出て、別にサイコメトラーではないのだが、歩みを止めてしばし休まないといけないほどである)。 
 
 数年前から近代洋館を歩いているうちに非常にわかってきたこととして、たとえばハウステンボス等で新しく設置された「古い洋館風の建築物」には、この本当の「経年」の迫力はない。しかしその迫力は、門司港駅やこの上野ビルなどの建物には(あるいは若松の本町の界隈など一帯には)ある。壁や土や内装から滲む「気」そのものが違うのだ。

 驚くべきことにこのビルは「現役」オフィスビルであり、内部のテナントには事務所がいくつか入っていて、一部には雑貨店や、喫茶店もある。中の階段や吹抜が独特の雰囲気を醸し出していて心打たれる。建築された当時も人々は圧倒されたのではなかろうか。

    
 
  


 3FのAsa Cafeは、この洋館の内装&立地とも非常によく生かしたカフェで、しばしチョコレートケーキで休憩するたれぱんだである。

 

 キイロイトリが窓から眺めている眺望はこちら。離れがたく、つい時間を忘れて過ごしてしまう。静かだ。(つづく)



BGM: More than A Feeling / Boston (「幻想飛行」)(20120506追記)
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20120505(その2)

2012-05-05 | 矮小布団圧縮袋

○(若松の近代化遺産を歩く)若戸渡船の若松側渡船場から歩いて若戸大橋のすぐ下の杤木ビル(とちきビル)〔大正9年(1920)〕。

 設置当時はもちろん若戸大橋(昭和37年開通)はなく周辺の「東海岸通二丁目」付近がオフィスビル街だったという。昨年出かけて見に行った旧門司三井倶楽部の、松田昌平設計の鉄筋コンクリート造。杤木商事は汽船会社の一つで、現在は雑居ビル的に使用され1Fに理髪店(今日はもちろんお休み)があるようで、ちょっと覗くと内装もレトロな感じを利用している模様。海側の方にも外壁のレリーフなどが残っていて、よくよく見ると非常に年代を感じさせる。たれぱんだも海岸に面した通りを歩いて景を楽しんでみる。
  
 
 
 この景色に一種の既視感のような懐かしさを覚えるのは、やはり大正昭和と鉄工所等の工業が発達した「日本海側の海岸」=信濃川河口の新潟港を思い出すためだろうか(ちょうどこういう感じではあるな。そういう「近代の名残」のようなものは万代橋をはじめ確かにあるし)。しかし新潟よりも若松の方が圧倒的に、若戸大橋の下の旧若松港銭収入所見張所〔昭和6年(1931)]など、港の海岸のあちこちに遺構が残っている。さらに言うと、幾分か明るく観光地パックツアー化された気分の「門司港レトロ」などよりも、まだ「生活空間と密着した空気感を保ったまま」存在しているような迫力を感じるのだ。予想以上のdeepさに白昼の眩惑感を覚えつつ、つづく(20120505追記)

本日のBGM:
 映画「座頭市物語」(大映、1962)(日本映画専門チャンネル、5/5 21:00~)
 奇しくも若戸大橋開通の年に作られた第一作…きちんと見たのは初めてかもしれないが、祝日にふさわしい名画鑑賞となった。余計なもののない、研ぎ澄まされかつ抑制された感情の表現…市(勝新太郎)と平手造酒(天知茂)だけでなく、通り過ぎていく登場人物の一人一人の余韻にそれぞれの来し方行く末を感じ、見ている方が思いをはせてしまう点と、“泥くささ”の点?で「灰とダイヤモンド」を思い出した。非常によくできている映画であるだけでなく、有無を言わさぬ迫力と詩情に浸る。(20120505 23:30)

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20120505

2012-05-05 | 矮小布団圧縮袋

○ようやく天候が回復した。この際なので写真撮影には適した状況とみて、再び一日だけ脱出して散歩に出ることにする。以前若松線も若戸大橋も通ったことがあるので、行ったことのないルートとして今日は戸畑→若松へ渡船。戸畑駅北口から徒歩でぶらぶら10分弱で渡船場に移動。しかし、戸畑駅南口と随分雰囲気が違い、駅地下通路を抜けて北口に出ると既に不思議なタイムワープの気分が起こってくるのは…ちらほら古い建物が混在しているからだろう。出船時間が迫っているので戸畑側のいくよ旅館[大正2年(1913)]と日本水産ビル(ニッスイ戸畑ビル)[昭和11年(1936)]だけ撮影してみる。
  

 若戸大橋の下の渡船場から約3分(100円)で対岸につく。キイロイトリ「トバタエキカラ ホントニ チカイノネ」船の上からさっきの日本水産ビルの特徴的な形がよく見える。
 

  

 むすび丸「それにしても、すばらしい好天に恵まれました♪」(対岸のお散歩へつづく)

BGM:The Only One / The Cure (「4:13 Dream」)(20120505)


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