豆本三昧我褸芥(がるぁくた)ノート & 美人画あれこれ

日本の名作文芸と東西の名画の自作豆本の内容紹介のほか、その資料として集めている東西の美人画をいろいろ紹介しています。 

世界最小の錦絵豆本

2010年05月09日 | 豆本
    

 上掲左写真、大きい方はB8版(90×64ミリ)、小はその半分B9版(64×45ミリ)。
 開いてあるのものと小さいものは「北斎・富嶽三十六景」、和綴じ左は「広重・東海道五拾三次保永堂版」、右は「歌川国貞・五拾三驛景色入美人絵」
 右写真はB9版の、上「富嶽三十六景」 下左「英泉・広重 木曾街道六十九次」 下右「東海道五拾三次」 

 豆本プロ作家のTS女史が「日本一の豆本コレクター」と推称する千葉県のSY氏の言によると、販売されている浮世絵・錦絵の豆本は未だ無いということである。単に小さく印刷されて市販されているというものなら、トランプになった東海道五十三次もあるし、国際文通週間の郵便切手などがある。しかし、一冊の形に纏まった本は無いそうだ。
 そうなると、拙作の豆本が日本最小(ということは世界でも最小)を自称しても誇大妄想ではないだろうし、SY氏もコレクションに加えてくださっている。もちろんどこかに、もっと小さいサイズのものをお作りの方もいるかもしれないが、私みたいに公開されてないようなので googleでもyahooでも他の検索サイトでも「豆本 広重」と検索して初めの二三項目に出てくるのは私のサイトであり、ほかに「広重の豆本」の項目は見当たらないはずである。
 また、私の作ったB8版の錦絵豆本は、江戸・明治期のもの合わせて目下40作品を越えているから、ここにあげたもの以外で世界一のものは、一つぐらいはあるだろうというわけで世界一と称しても大丈夫かなと思っている次第である。
 

 
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遠くへ行った豆本

2010年05月08日 | 豆本
  

 写真は和綴じの「富嶽三十六景」、洋綴じ角背の「東海道五拾三次」、洋綴じ丸背の「日本古典文学十選」であるが、これと同じ三作品をセットにしたものが、ニューヨーク市立図書館、ボストン市立図書館、ハーバード大学図書館にあるはずである。「あるはず」というのは、アメリカの図書館視察に行ったさる人に、土産として持参し届けてもらったということで、私自身が直接渡したわけではないからである。( 富嶽・東海道は和綴じ・洋綴じが逆の組み合わせもある。) だからそれらが、蔵書として受け入れられているのか、単なる展示ケースのアクセサリー扱いなのか、どうなっているのかは不明である。
 日本のどこの図書館にも無い「海外に流出した広重や北斎の貴重な豆本の新発見!」などといったニュースが、いつかあったら・・・と、愚かしき妄想をいだいているのである。奥付には20○○年といった発行の日時があるから、そんなことはありえないことは、よく分ってはいるのだが。

 なお、海を越えて遠く外国へ行った拙作豆本には、フランスへ行っているものもあるということである。これまた人づてのことなので確かなことは分らない。
 確実に手渡したものでは、カンボジアに在住の日本の人に差し上げたものがある。 
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「福」「寿」のいろいろな字体を集めた豆本

2010年05月07日 | 豆本
  

 「百福」「百寿」などという風にさまざまな字体をたくさん集め、額や掛け軸などにして飾りものにしているのを見かける。
 この豆本は、そういうめでたい文字を集めてあるだけで整理してあるわけではないから、字典といってもあくまでお遊び的に名付けたものに過ぎない。
 しかしながら、中国の切り絵(文字?)とか、篆刻まで並んでいるので、眺めているだけでも結構楽しい、と作者自身は思っているのだが・・・・。

 左開いたページは中国の切り絵、最後四文字はパソコン製作の「寿」 
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月岡芳年の美人絵の豆本

2010年05月07日 | 豆本


 芳年というと、血みどろの無残絵と思う人もいるかと思うが、美人画もたくさん描いていて、この豆本はそれらを集めたものである。
シリーズの形になっているものの中で「美立七曜星」と「美人七陽華」というのがあって、これらは宮中で天皇の傍近く侍る女性七人を七曜、七つの花に見立て描いたもので、それぞれ「正○位 ○○○○」のように位と名前入りである。当時としては当然これらが物議を醸し大問題になったそうである。
 各七人の女性は全部別人でなく重複しているものもいるが、中に無記名の女性が一人ずついる。
 下には七曜星と七陽華の無記名女性と「従四位 万里小路幸子」を出してあるが、この2枚の人物は誰かということになれば、これは皇后と考えざるを得ない。なぜならば花の方はともかく、七曜の筆頭の「日」に当ててあることといい、絵柄の輝かしい描き方といい、皇后としてまずさしつかえなかろう。浮世絵の形で女官を描いたどころか、皇后陛下までもとなれば、物議を醸したのもさもありなんということになる。

      

 
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? ! の豆本

2010年05月06日 | 豆本


 「四畳半襖之下張」(永井荷風)、「花の幸」(十返舎一九) : 上段2冊
 「幽燈録」(伝頼山陽)と「夜伽草紙」(はつはな・袋法師絵詞など)の合本

 これまた言わずもがなの作品である。
 「幽燈録」あたりをスラスラ読んで「その気分」になれるような人がいたら、この幽燈録の豆本を差し上げてもよろしいと思っている。しかしながら「幽燈録」をスラスラ読めて理解なされるような人はかなりの年配だろうから「その気」になるのは難しかろうし、すぐに「そんな気」になれるような若い人では、文章理解がむずかしいと思う。
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珈琲の豆本

2010年05月05日 | 豆本


 ある通販書籍の広告に「珈琲の豆本」というようなタイトルがあって購入したとろ、普通のA5版サイズの本であった。要するに「珈琲の豆(についての)・本」だったわけで、それをしゃれて言ったのである。グーグルなどでもただ「豆本」だけのキーワードだと3千9百万件にヒットするが、中には南京・豆本・舗というような豆屋さんも含まれるのと似たようなことだ。
 ここで自慢をさせてもらうと、google検索で「豆本」とやると、最初のページのその2番目くらいに私の豆本サイトがあるはずである。1番目はWikipediaの豆本解説であるし、ほかは豆本の販売目的などのプロの人たちであるから、豆本販売には関係ない素人のサイトとしては健闘していると思う。また「豆本 広重」の検索なら最初の三つほどは、このブログも含めて当「我褸芥書房」のもので、以下は豆本と直接結びつかない広重の項目だから、公開市販されている広重など浮世絵の豆本は無いという、豆本収集家S氏の言葉通りであろう。

 さて、ここに挙げた拙作のものは正真正銘の「珈琲(について)の・豆本」であることは確かである。「珈琲渇仰」と題して、寺田虎彦の「珈琲哲学序説」ほか2編を収め、川上澄生のカットなどで飾ったたものである。
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日本全国鉄道唱歌の豆本

2010年05月04日 | 豆本


 「汽笛一声新橋を」で始まる例の唱歌を集めた豆本で、上下2巻からなる。もはや「汽笛」すら死語になっている現在では、歌えないどころか、その存在さえ知らない人もおおいのではないか。
 上巻には「1 東海道線、2 山陽・九州線、3 奥州・岩城線」 下巻には「4 北陸地方、5 関西・参宮・南海、6 北海道の南北、伊予鉄道」を収めてある。
 ところで、写真では、真ん中に水色のパンフレットのようなものがあるが、これは何かと言うと、「満韓鉄道編」という付録なのである。釜山から大連の方に至る鉄道もかつては日本の鉄道であったから歌が作られたのは当然なのだが現在では他国のものなので、困ったあげくにかかる付録と言う処置をとった次第である。
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新作品? 「東海道五十三次」の豆本

2010年05月02日 | 豆本


 昨日出来上がったばかりのこの豆本は、広重の「東海道五十三次」ではなく、長谷川貞信(初代)という幕末の上方の浮世絵師の作品である。この「貞信」は現在も五代目として継承されているほどの由緒ある絵師である。しかしながらこの作品、オリジナルな作品ではなく、初代広重の蔦屋版「東海道」の模写なのである。

    

 上の「日本橋」(左広重東海道)を比べてみると図柄はほとんど同じながら、書き込まれている文字が違っている。落款が違うのは当然として、特に注意するのは右上タイトル部分で、広重は「東海道 一」、貞信は「東海道五十三次 大尾」となっていることである。この「一と大尾」の違いから判るとおり、普通「東海道」を描く場合は江戸から京へ向かっていくのだが、これは逆の京から江戸への東下りになっているのである。それと「○○へ何里何丁」というふうに、次の宿場までの距離が記されていて、最終の日本橋のこの図には「京都まで凡百廿五里半余」となっている。
 単なる自分の勉強のための名画の模写ならば、そっくり模写すればよいはずだから、これがどのような事情で描かれたものかわからない。
 しかし東海道関係の作品を集めて豆本を作っている自分にとっては、貞信という絵師の新作品かと思っただけに、かなりがっかりしたのであった。
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新約聖書の豆本

2010年05月01日 | 豆本
 豆本の起こりはもともと、聖書を旅行の際の携帯用としてとして、小さく簡便に作ったという実用的なこととされる。

 しかしながらこの豆本はそういう聖書ではなく、フランスの画家ギュスターブ・ドレによる銅版画の挿絵集である。
 このドレは、新旧の聖書のほか、ダンテの『神曲』、セルバンテスの『ドンキホーテ』などの挿絵も描いていて、広く世界に知られている。

  
     

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