マガンダンハポン
最近このブログにはパッキーハウスのことが全然登場しません。
なぜ
実家が空き家になってしまい、どうしたものかと悩んでいる時に
折角 多言語活動をしているのだし、海外の人向けのゲストハウスを
やったらどうかと2008年のリーマンショックの月にスタートし 今年13年目。
各部屋は個室ですが、キッチン、リビング、シャワー、トイレ、などは共通で
週に2回ぐらい掃除という言う名のもと、
我家からは自転車で40分ぐらいかかるのですが、雑巾、洗剤、備品などを積んで
掃除をしに行きながら沢山の人と交流してきました。
初めての入居はタイからの学生で、私が玄関でお迎えをしてタイ語で挨拶したら
タイジンデスカ?と聞かれたっけ
韓国の女の子は日本語に自信がなく、内見に来た時もおとなしかったのですが、
私が韓国語で挨拶して、部屋を案内したら、「ここ気に入りました、住みたいです」と
すぐに決めてくれました。
そのほかにもこの13年の間に
タイ、ロシア、アメリカ、イギリス、フランス、韓国、ドイツ、グリーンランド、
フィリピン インド、ネパール、カナダ、メキシコ、パナマ、オーストラリア、スウェー
デン 中国、香港、スペイン・・・・書き上げたらきりないけど
日本生まれの中華系アメリカ人、
コックニーというイギリスで話される英語を話すNさんの英語は一緒に住んでいたアメリ
カの人もよくわかからないと言われていたっけ
日本語の勉強に来たのに、日本でタイの彼女ができて日本語はうまくならないのに、
タイ語がうまくなったイギリスの彼
共同生活なのに何かと自己主張していたアメリカの女性弁護士
彼女は「Youは何しに日本へ」にも登場していましたっけ
普段はおとなしいのに、サッカーの試合でパナマが出たら性格変わったかの如く
すごい応援をしだしたパナマ青年。
料理がすごく上手でイタリアで日本料理店を経営して
いる中国の彼女は私が掃除をしていたら、パスタを作ってくれました。ボーノ
本当に思い出すだけでも楽しい日々でしたが、
しかし、ここにきて、大打撃
まず、海外からの人が来日できず、
大学も近いのでずいぶん留学生も来たのですが
今はそれもままならず、研修生、留学生も全く来ず、
むしろ来日がないので、家賃引き下げ合戦で、安い方に
移った人もいたり、
住人でも給料を下げられたり、中には突然解雇され
帰国を余儀なくされた人もいて、去年はそれでもなんとかやってきましたが
この先どれぐらいまで続くのか見当もつかず、
ほんと、ゲストハウスは厳しい業界となりました。
いつも紹介してくれる不動産屋からも見学の申し込みも来ず。
不安な日々のパッキーハウス。
去年は恒例の集金パーティ―もできなかったし。
あーあ、このブログの過去の記事読むと、ほんと楽しかったな~~
このブログもパッキーハウスの事を書くために立ち上げたんだし。
ずっと続くと思っていた楽しい日々もあっけなく、終わりを告げて
なんか歌の歌詞みたいです
パッキーが出会ってきた多くのゲストのエピソード楽しく拝見しました。私もゲストハウス🏠作ってみたいと思っているので、楽しさと隣り合わせのある大変さを考えずにはいられません。この先いい方向にみ向いて行くことをお祈りしています。
懐かしい、コメントありがとうございます。
そうなんです。なかなか厳しくて、すぐに改善する見込みもなく、仕切り直しかな😓