下町のパンを食べてみませんか?

千住、緑町ゆうやけ通り下町のパン屋パレット

ポップ・ヨシムラ

2009-01-06 21:43:23 | 夢見るお年頃
バイク好きには言わずと知れた名前ですが
氏のアメリカでの活動を知ると「そんな馬鹿な話」が
あったんだと思うし、また後年の氏の活動や現在の
ヨシムラを見るとやはり本当に努力し
汗を流した人が残るとも思います。
ヨシムラのチューニングしたホンダのバイクが
ホンダのお膝元であるスズカ8時間耐久レースで
本家ホンダ・ワークスチームのバイクに勝り優勝するほどの
技術力には当時のバイク界では衝撃的出来事だったのかも知れませんね。
戦後の日本では米軍基地などでバイクレースが盛んに行われていた
そうですが次々に優勝を重ねたヨシムラチューンのバイクは
「ヨシムラ」の名をその世界に轟かせ米国本土での生産販売に
誘われて航空機エンジン技術に精通していた氏は渡米を決意したと
読んだ記憶があります。
ところが氏の交わした契約書や米国の法律によって氏は作る作業に
追われても販売利益は氏を米国に誘った人物に独占され
氏本人が「ヨシムラ」の標章を使用する事さえも許されなかったそうです。
開発者の権利が何一つ守られずに働くだけ働いた話です。
権利関係とは難しく厄介でもあると思いますが
余計な事を取っ払えば基本的には「信頼関係」だと
日本では思うのです。
逆に信頼するのが難しいから契約書が必要なのかも知れませんね。
世の中には汗を流し努力した奴が馬鹿を見て
そんな奴から力を引き出してウマク立ち回り利用した者が
利益や名声を手にしてしまう話もありますね。
でも今なら氏が米国で苦労した時代と違い新たにネットの世界が
存在しますから例え法律で権利を独占したとしても
情報までは封印出来ないかも知れませんね。
努力や誠意や汗を使い捨てる時代は過去の話かも知れませんし
そのような考えがこれからも通用するとは思えません。
ヨシムラに敗れたホンダはレース活動専門のHRCを立ち上げ
ヨシムラにはホンダの部品を供給しなくなったそうですが
その話を聞いたホンダの創設者は「そんなけちな考えはするな!」と
一喝したとも聞きました。
さすがですね、
それこそがバイク界を席巻しホンダを世界に押し上げた田宗一郎氏だと
思いました。
ヨシムラにはその後スズキがバイクや部品を持ち込み
ヨシムラのレース活動を全面バックアップするようになったと
思っているんですがヨシムラからポップ氏の長女と結婚し独立した
モリワキはホンダベースのバイクでレース活動をしていると
僕は思ってるんです。
契約の基本はやはり信頼関係があってこそと僕は信じています。

時々

2009-01-06 14:11:56 | 携帯更新
道具屋さんを覗いてみるんですがナカナカ有りませんね。
自分にしっくり来る大きさや何かを言いたげなハカリなんて…
このメーカーはアフターもきちんとシッカリしてるのでいつまでも使えるような気がしてるんです。

遅刻の王様

2009-01-06 10:57:40 | 携帯更新
「〇〇!毎日学校に遅刻して来るが卒業をさせるかどうかは成績だけでなく態度や出欠日数も加味して決めるぞ!」と言われたのは母の一番上の兄です。
オジは戦前にもかかわらず教師に向かって「毎朝、弟や妹達の食事を作り食べさせ学校に出す支度をして食事の後片付けをするのと自分が遅刻しない事とはどちらが大切ですか!?」と尋ねたそうです。
翌日からオジは堂々と?遅刻しながらもちゃんと卒業したそうです。
その話を「おにぎり」で思い出したのですが母は自分の母親を病気で亡くし最後の義母は彼女が自分の妹を呼び蕎麦屋の鍋焼きうどんを火鉢に当たりながら食べてる時に「テメエら 子供達の飯もろくに作らず いい加減にしろ!」と王様が一喝して出て行ってしまい祖父は困り果てた顔をしながらも以後ヤモメを通したと聞きましたからイッタイ母はいつ料理を覚えたのだろう?という疑問です。兄達や従業員達は兵隊に取られた後は母は父親の家業を男勝りに手伝っていたそうですから結婚してから本を見ながら料理を覚えたのでしょうか?
そういえば母の生い立ちは一度も母本人の口から聞いた覚えがありませんし誰から僕が聞いたのかも思い出せません。
母は王様の影響で本を読むスピードが速かったんです。入院してからも〇の本が読みたと言われては本屋に行っては買い届けました。母の読書の速さはページを斜めに読んでたそうで行間を読んでるからと言い訳してた僕とは桁違いのスピードでした。
母の遺した本は料理だけではなかったのですが男三人暮らしになった当時は取り敢えず食べる為に僕は料理の本しか見ませんでした。ですから母が読んでた「橋のない川」などは最初の数ページ読んだだけでもう何十年も中断したままなんです。
母や母の二人の兄達に共通してたのは王様からオマエのは乱読だと叱られたらしい母も含めて三人の最期の入院のベッドの傍らには読み掛けの本があった事です。

キモイ話

2009-01-06 06:06:35 | 携帯更新
学生時代の話なんですが友人のお弁当は毎日のように自分で握った「おにぎり」だったそうです。また別の友人は両親が仕事で忙しかったのでお腹が空くと家に大量にあった人参ばかりをオヤツ代わりに食べていたそうです。今では美味しくない食べ物が苦手だったり人参は絶対に食べなかったりしてる友人達ですが僕は「おにぎり」に至る経緯を思い出す度に吹出してしまうのです。僕が子供の頃の夏休みに泊まった家の朝食の味噌汁には生と思える茄子がいつもお約束のように浮いていました。せっかく作ってくれたのだからと飲み込みましたが「それが毎日」とか「毎回同じ市販のカレールーを使って別段味をいじる訳でもなく毎回違う味のカレーが出てくる」話はにわかに信じがたいのですが母親の料理を食べない時もあったなんて…。最初は笑いながらにしろ親不孝者!と思ったんです。考えてみれば僕は高校生の頃にカレーに塩、胡椒は当たり前で牛乳、ケチャップ、ソースに僅かな醤油なんかを入れたりしてましたから何もしないで違う味をどうしたら出せるのか理解出来なかったんです。友人の母親はある意味で天才かも知れませんね。それにしても滅多な事ではくじけたり折れたり
しそうになく一見クールでしかもヤンチャそうでもあるのに泣き虫までも住まわしているバンカラな友人の困ったであろう顔を想像すると僕は妙に可笑しくなって吹出してしまうのです。笑えるのはソノ話の何処にも悪意を感じないからです。ある意味で天才と思われる友人の母に会った事はありませんが僕の想像ではとても可愛い女性なんだと思っています。キモイのは決して他人に見せる事のない頭の中のシェリル・リンでステップを踏み思い出した友の話に吹出しながらパンを作っている自分の姿です。

Got To Be Real

2009-01-06 01:50:33 | 携帯更新
緊張感からか運転疲れで帰宅後早々に寝たせいなのか先程目が覚めました。
思わせぶりたっぷりに「ちょっとダケよ」とPCネットは不通になり携帯更新です。
昨日一番印象的だった事を起きても覚えてるので書き留めておきます。
免許証更新のビデオ講習でソレはいきなり鳴り響き出したんです。
BGM?にしてはド派手!
事故の予測判断するシーンと落ち着いた声のナレーションにはウラハラなBGMだ…と思ったら誰かの携帯電話の着歌じゃん!!
会場の混み合っていた後ろの席を避けて怖い教師に指される訳でもないから誰も居なかった最前列ど真ん中に座った僕が振り返るとグレーよりはホワイトの髪色をした男性がポケットの中をさぐってた…
シェリル・リンだ!
眠かった僕の顔は違う意味で更にユルンダと思われます。
何となく嬉しかった…
繋がったPCにて補足
http://jp.youtube.com/watch?v=EoXvDleWJ5U