![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/usagi.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en2.gif)
新約聖書の中にこんな話がある。
さて、イエスにさわっていただこうとして人々がその子ども達を身元に連れてきた。ところが、弟子達がそれを見てしかった。
イエスはそれをご覧になり、憤って彼らに言われた。「子ども達を私のところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなた方に告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」そしてイエスは子ども達を抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
礼拝でのメッセージは今の世の中で子どもが命を落としたり犠牲になったりしていることを憂い、イエス様が子ども1人1人を祝福してくださった事に習い、子ども達を尊び大切にしその存在に感謝することであった。そして親もまた完璧な者ではなく時に過ちをおかしてしまう愚かなものであり、主の助けが必要である事を語っていた。
そのメッセージが本当に心にしみて胸が熱くなった。おばあちゃんから若い信徒までが涙を流して聞いていた。私も子ども達につらく当たってしまった事を思い出した。子どもは不思議なもので赦すということを大人よりも知っている気がする。素直な子ども達が与えられたことを感謝した。
祝福式では中学生までの子ども達とその親が前に出て行き、牧師先生が子ども達一人1人の頭に手を置いて子ども達を感謝し、祝福の祈りをしてくださった。幼稚園、小学生の子ども達は牧師先生が手を置いて1人ずつ「神様、OOちゃんをありがとうございます。)といってくれるのが嬉しいらしくみんなニコニコしていた。
その中で次男1人だけが中学生、ちょっと微妙な顔つき。
最後にお菓子のプレゼントをいただいた。
次男「俺、恥ずかしかった・・・。」
思春期だなぁ。。。。
長男はこの日熱で礼拝を休んでいた。教会の人が気遣って長男の分のお菓子を持たせてくださった。後で今日の祝福式があったことを長男に言ったら「いいなぁ、僕も祝福してほしかった。」と非常に残念がっていた。高校生の長男が次男よりも素直なのがおかしくて笑ってしまった。
長男はこの頃また不安定になっている。
「教会では中学生までだったけれど当然あなただって愛されているし、祝福されているんだよ。」
そういったけど、ちょっと涙ぐんでいる。
みんなが寝静まってから長男と私だけでいろいろ話した。
赤ちゃんの時、抱いていた私が転んで長男は頭を打ってしまったのに、外耳を切っただけで後はどこも大丈夫だった事。
アメリカに行く前から助けがあった事、アメリカに行ってからも大変な時、不思議に道が開けて言ったこと、帰国の時も看護婦のマリアが「きっといつか彼のよいところを神様が用いてくださる時がくる」と告げてくれたこと。
日本に帰ってからも辛い時、本当にいいタイミングで別の学校が見つかった事。進路に関してもよい出会いが会ったことなどなど。
神様が長男にどんな恵みをくれたのかを順を追って話をすることが出来た。
彼は全てわかっているのだけどそれでも不安でつらくなるときがあるという。
だから、2人で祈った。この苦しみを取り除いてください、でも主の御心がなりますようにと。
長男も私のために平安が在るようにと祈ってくれた。
「ああ、お母さんには本当に癒されるな。」という長男。
とんでもない。本当はつらいつらいといっている彼を見るのがつらい。自分がつらいから何とかしてくださいというのが本音なのだ。
祈ろう。。。。主よ、愚かな母をお許しください。そして子ども達をありがとうございます。。。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_uru.gif)