もう先月の話になるが、東久留米にあるクリスチャンアカデミーでコーヒーアワーが開かれた。年2回、いろいろなテーマでの講演会がある。今回はソプラノの工藤篤子さんのお証とコンサートだった。


最近のコーヒーアワーには体調が悪い時といろいろな行事とかさなって日程があわず行かない事が多かった。だからコーヒーアワーからのお知らせ等も家には直接来なくなっていたのだが、今回は思いがけないところからお知らせがとどいた。
2年前ほど、コーヒーアワーで知り合った方がいた。コーヒーアワーはその名の通り講演会の前の時間にコーヒーブレイクがあり美味しいコーヒーとお菓子がいただける。
普通は同じ教会の人同士や、友達同士がテーブルで語らいのひと時となるのだがそのとき私は1人出来ていた。たまたま隣り合った方も1人だったので思い切って話しかけてみたのだった。それがMさんである。それがきっかけでMさんが年賀状をかかさずくださるようになった。
そのMさんからコーヒーアワーのお知らせが届いたのだった。添えられた手紙にはMさんらしいきれいな文字で最近著書を読んで感動された事、音楽好きな私に喜んでもらえる内容だということが書かれてあった。又、Mさんはコーヒーアワーのスタッフもされているということだった。
気にかけてもらえた事への嬉しさと感謝でいっぱいになり、ぜひとも行きたいと思ったのだ。しかし、声楽家の工藤さんの事は名前は知っていてもどんな歌声の方なのかもしらなかったのである。
今回は有名な工藤篤子さんと言う事で満席に近い状態。以前三浦光世さんがいらした時と同じくらい盛況ぶりであった。
私は車で道に迷ってしまい5分ほど遅刻してしまったが、ちょうど工藤さんの歌の前に席につく事ができた。ふと見るとMさんが忙しそうにカメラを片手に走り回っていた。
さて、工藤さんの歌は地中海ソプラノと言う声質なのだそうだ。明るい管楽器のような声。その歌声は本場地中海地方のかたにも絶賛されたという。
工藤さんが歌うと横にいる手話通訳の方が音楽の雰囲気を手で表現し、歌詞を手話でつたえる。聴覚障害者は毎回熱心にこの場にやってきて証や、講演、音楽を楽しんでいるのである。私は歌を聴いてこれほど泣いた事はない。工藤さんの声が心にしみこんでくるのだ。神様がなさった事を証視ながらその内容にあった歌を歌う。それは私にも覚えがある体験だったり、同じ御言葉で導かれたりと工藤さんと私には不思議なくらい共通点があったのだ。
中でも鬱の症状はよく似ていた。起き上がれない。現実に立ち向かえず、気力をまったく失っている。お証でその状態から救ってくれた御言葉を紹介されていた。
「しかし、人が主に向くなら、その覆いは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私達はみな、顔のおおいを取り除けられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと主と同じ形に姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(IIコリント3:16~18)
主の御顔を仰ぎ続けることするべきことなのだと悟ったそうだ。後に工藤さんとお話する機会があり、私も鬱でとても励まされた事を話すとにっこり笑って「主と共に歩んでいくのよ。」と握手してくださった。
また、このコンサートでの恵みがもう一つ。私は21日のクリスマス礼拝で「鳥の歌」をフルートで賛美することになっている。
その鳥の歌を工藤さんが歌っていらしたのだが、初めて歌詞の意味を知ることが出来た。この曲がカタロニアのクリスマスキャロルでイエスキリストの降誕をお祝いしている内容だということは知っていたが、細かい歌詞の意味まではしらなかったのだ。
幸なる夜、一番光る星が現れる
鳥たちはその美しい声で歌いながら
祝福の挨拶を交わしている
鳥たちはこう歌った
「マリアから生まれた幼子はなんてかわいらしいんだろう!」
一羽のつぐみが喜びあふれてこう歌った
今こそ死は打ち負かされた!
私の命であるお方がお生まれになったのだから。
コーヒーアワーは最初から最後まで祝福にあふれていた。涙がでてしかたなかった。
Mさん、工藤さんに感謝だが、今一番必要な事を主は知っているのだ。Mさんを通してコンサートへ導き、工藤さんの歌によって力を与えてくださった主に感謝!



最近のコーヒーアワーには体調が悪い時といろいろな行事とかさなって日程があわず行かない事が多かった。だからコーヒーアワーからのお知らせ等も家には直接来なくなっていたのだが、今回は思いがけないところからお知らせがとどいた。

2年前ほど、コーヒーアワーで知り合った方がいた。コーヒーアワーはその名の通り講演会の前の時間にコーヒーブレイクがあり美味しいコーヒーとお菓子がいただける。

そのMさんからコーヒーアワーのお知らせが届いたのだった。添えられた手紙にはMさんらしいきれいな文字で最近著書を読んで感動された事、音楽好きな私に喜んでもらえる内容だということが書かれてあった。又、Mさんはコーヒーアワーのスタッフもされているということだった。
気にかけてもらえた事への嬉しさと感謝でいっぱいになり、ぜひとも行きたいと思ったのだ。しかし、声楽家の工藤さんの事は名前は知っていてもどんな歌声の方なのかもしらなかったのである。
今回は有名な工藤篤子さんと言う事で満席に近い状態。以前三浦光世さんがいらした時と同じくらい盛況ぶりであった。
私は車で道に迷ってしまい5分ほど遅刻してしまったが、ちょうど工藤さんの歌の前に席につく事ができた。ふと見るとMさんが忙しそうにカメラを片手に走り回っていた。
さて、工藤さんの歌は地中海ソプラノと言う声質なのだそうだ。明るい管楽器のような声。その歌声は本場地中海地方のかたにも絶賛されたという。
工藤さんが歌うと横にいる手話通訳の方が音楽の雰囲気を手で表現し、歌詞を手話でつたえる。聴覚障害者は毎回熱心にこの場にやってきて証や、講演、音楽を楽しんでいるのである。私は歌を聴いてこれほど泣いた事はない。工藤さんの声が心にしみこんでくるのだ。神様がなさった事を証視ながらその内容にあった歌を歌う。それは私にも覚えがある体験だったり、同じ御言葉で導かれたりと工藤さんと私には不思議なくらい共通点があったのだ。
中でも鬱の症状はよく似ていた。起き上がれない。現実に立ち向かえず、気力をまったく失っている。お証でその状態から救ってくれた御言葉を紹介されていた。
「しかし、人が主に向くなら、その覆いは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私達はみな、顔のおおいを取り除けられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと主と同じ形に姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(IIコリント3:16~18)
主の御顔を仰ぎ続けることするべきことなのだと悟ったそうだ。後に工藤さんとお話する機会があり、私も鬱でとても励まされた事を話すとにっこり笑って「主と共に歩んでいくのよ。」と握手してくださった。
また、このコンサートでの恵みがもう一つ。私は21日のクリスマス礼拝で「鳥の歌」をフルートで賛美することになっている。
その鳥の歌を工藤さんが歌っていらしたのだが、初めて歌詞の意味を知ることが出来た。この曲がカタロニアのクリスマスキャロルでイエスキリストの降誕をお祝いしている内容だということは知っていたが、細かい歌詞の意味まではしらなかったのだ。
幸なる夜、一番光る星が現れる
鳥たちはその美しい声で歌いながら
祝福の挨拶を交わしている
鳥たちはこう歌った
「マリアから生まれた幼子はなんてかわいらしいんだろう!」
一羽のつぐみが喜びあふれてこう歌った
今こそ死は打ち負かされた!
私の命であるお方がお生まれになったのだから。
コーヒーアワーは最初から最後まで祝福にあふれていた。涙がでてしかたなかった。
Mさん、工藤さんに感謝だが、今一番必要な事を主は知っているのだ。Mさんを通してコンサートへ導き、工藤さんの歌によって力を与えてくださった主に感謝!