9月からまた、Down To Worship賛美集会に参加している。
前記事でこの集会のご案内をした7月31日(土曜)お茶の水クリスチャンセンター8Fで開かれたDown to Worshipの賛美礼拝。
この賛美集会についていつも記事を書きたいとおもっていた。でも、賛美集会について私が抱いている思いが伝わるのだろうかと思ってなかなか書けなかった。どう表現していいかわからないのだ。この思いがみなさんに伝わったらいいな。
それほどこの集会はすばらしかったから。
面白いことに先日集まった賛美仲間が全く私と同じ思いを抱いていた。
どう表現していいかわからないけど・・・・とにかく素晴らしかった。賛美バンドも会衆も一体となって賛美をささげていた、何かとても温かいものが流れていたと・・・。みんな私と同じ思いをもっていたのだ。
去年の9月からこの集会が始まり、つどっている教会も、教派も、国籍も違う賛美者たちがともに集まり、ともに賛美し、神様から出る賛美について考えてきた。
「賛美は捧げるのではなく、受ける。それは神様のものだから。主の導きで集まったみんなで主の十字架に共にくだりたい。弱さをかかえ、苦しみがある場所。人の呻きがある、その場所から始まる賛美がある」
One Musicのmotoさん、逃れの町ミニストリーの穣さんがそんな思いから始めた集会だった。このお2人からお誘い受けた時、私は賛美についてとても悩んでいたのだ。
牧師との賛美の見解の違い。フェルマータに対する音楽的理解の違い。
でも何もしなくても見事に一つでもあるかのように一致する賛美があるのだ。だから曲によってフェルマータを伸ばす伸ばさないなどと決めるのはおかしい。
私はストレートに物を言ってしまうたちである。おかしいことはおかしいと。それによって少なからず軋轢が生じた。過去ログ「ダブルパンチ」はその時の話し合いの一部。
賛美は私たちがプロデュースするものではなく神様のなされるものだ。
思いは同じなのになんでこんなにこじれてしまうのか。
こだわりと自我の強い人と思われてしまったようだ。執事会でも結構激しく言ってしまったので高慢な人だと思われたかもしれない。そして、結局この件に関して私は何も言えなくなった。
しかし、賛美の学びをしているうちに気がついたこと、それは最高の賛美を神様に「ささげたい」という思いが日に日に強くなりすぎ、「私中心」の賛美になっていたのではないかと感じ始めた。
「7月に賛美礼拝を」という話があり、2つの賛美バンドができた。
その頃、私は自分勝手で、人を愛せない、許せないという罪を示されており、こんなものが賛美なんかできないんじゃないかとおもっていたんだ。そしてそのバンドに入って賛美することはできないと思っていた。
私は譜面を見て主旋律を奏でる事があっても自分でアレンジして奏でるということはなかったからそんなことはとてもできないと思っていたのだ。それも周りの方々は皆すごい方ばかりなのだ。自信がなかった。
断るつもりだったのに、集会に行かないつもりだったのに、この集会にはいつもすがるような思いで、なんといっていいかわからないけど行かずにおられないという思いから集会にいき、そこでフルートをもって参加していた。
祈っていた。心の中で。神様、メロディーを与えてください。他の人と調和するような決して邪魔にならないメロディーを。
バンド練習の時、自然とメロディーがでてきたのだ。
そんな風に練習の時はすぎ、本番のとき。
バンドのメンバーは、ギターは韓国人のK君、ボーカルは美しい声のKさん、凄腕のピアニスト,Jさん、
バーカッションはmotoさん、フルートの私。
曲:「おそれなく近寄れ」
「主は導きをもって」
「勝利を望み」(原題~We shall over come~この曲はアメリカの公民権運動の時に歌われた賛美歌。私が辛い時この曲に励まされたんだ。)
本番はいつもある震えが全く出ず、落ち着いて吹くことができた、
この時のことはなんと表したらいいだろう。
温かいものが心の中、この空間をながれる。会衆とバンドは一つになって賛美をささげていた。これは自己満足とかでは決してないし、集団の心理による陶酔でもない。
賛美の中に主は住まわれるという。確かに主の臨在がそこにあったのだ。
もうひとつの賛美チームも同じだ。何一つ自分の力でできたことなどそこにはなかったのだ。
それは私たちが捧げるのではなく主から受けた賛美だったのだ。
すばらしい。本当にただそれだけ。
前記事でこの集会のご案内をした7月31日(土曜)お茶の水クリスチャンセンター8Fで開かれたDown to Worshipの賛美礼拝。
この賛美集会についていつも記事を書きたいとおもっていた。でも、賛美集会について私が抱いている思いが伝わるのだろうかと思ってなかなか書けなかった。どう表現していいかわからないのだ。この思いがみなさんに伝わったらいいな。
それほどこの集会はすばらしかったから。
面白いことに先日集まった賛美仲間が全く私と同じ思いを抱いていた。
どう表現していいかわからないけど・・・・とにかく素晴らしかった。賛美バンドも会衆も一体となって賛美をささげていた、何かとても温かいものが流れていたと・・・。みんな私と同じ思いをもっていたのだ。
去年の9月からこの集会が始まり、つどっている教会も、教派も、国籍も違う賛美者たちがともに集まり、ともに賛美し、神様から出る賛美について考えてきた。
「賛美は捧げるのではなく、受ける。それは神様のものだから。主の導きで集まったみんなで主の十字架に共にくだりたい。弱さをかかえ、苦しみがある場所。人の呻きがある、その場所から始まる賛美がある」
One Musicのmotoさん、逃れの町ミニストリーの穣さんがそんな思いから始めた集会だった。このお2人からお誘い受けた時、私は賛美についてとても悩んでいたのだ。
牧師との賛美の見解の違い。フェルマータに対する音楽的理解の違い。
でも何もしなくても見事に一つでもあるかのように一致する賛美があるのだ。だから曲によってフェルマータを伸ばす伸ばさないなどと決めるのはおかしい。
私はストレートに物を言ってしまうたちである。おかしいことはおかしいと。それによって少なからず軋轢が生じた。過去ログ「ダブルパンチ」はその時の話し合いの一部。
賛美は私たちがプロデュースするものではなく神様のなされるものだ。
思いは同じなのになんでこんなにこじれてしまうのか。
こだわりと自我の強い人と思われてしまったようだ。執事会でも結構激しく言ってしまったので高慢な人だと思われたかもしれない。そして、結局この件に関して私は何も言えなくなった。
しかし、賛美の学びをしているうちに気がついたこと、それは最高の賛美を神様に「ささげたい」という思いが日に日に強くなりすぎ、「私中心」の賛美になっていたのではないかと感じ始めた。
「7月に賛美礼拝を」という話があり、2つの賛美バンドができた。
その頃、私は自分勝手で、人を愛せない、許せないという罪を示されており、こんなものが賛美なんかできないんじゃないかとおもっていたんだ。そしてそのバンドに入って賛美することはできないと思っていた。
私は譜面を見て主旋律を奏でる事があっても自分でアレンジして奏でるということはなかったからそんなことはとてもできないと思っていたのだ。それも周りの方々は皆すごい方ばかりなのだ。自信がなかった。
断るつもりだったのに、集会に行かないつもりだったのに、この集会にはいつもすがるような思いで、なんといっていいかわからないけど行かずにおられないという思いから集会にいき、そこでフルートをもって参加していた。
祈っていた。心の中で。神様、メロディーを与えてください。他の人と調和するような決して邪魔にならないメロディーを。
バンド練習の時、自然とメロディーがでてきたのだ。
そんな風に練習の時はすぎ、本番のとき。
バンドのメンバーは、ギターは韓国人のK君、ボーカルは美しい声のKさん、凄腕のピアニスト,Jさん、
バーカッションはmotoさん、フルートの私。
曲:「おそれなく近寄れ」
「主は導きをもって」
「勝利を望み」(原題~We shall over come~この曲はアメリカの公民権運動の時に歌われた賛美歌。私が辛い時この曲に励まされたんだ。)
本番はいつもある震えが全く出ず、落ち着いて吹くことができた、
この時のことはなんと表したらいいだろう。
温かいものが心の中、この空間をながれる。会衆とバンドは一つになって賛美をささげていた。これは自己満足とかでは決してないし、集団の心理による陶酔でもない。
賛美の中に主は住まわれるという。確かに主の臨在がそこにあったのだ。
もうひとつの賛美チームも同じだ。何一つ自分の力でできたことなどそこにはなかったのだ。
それは私たちが捧げるのではなく主から受けた賛美だったのだ。
すばらしい。本当にただそれだけ。