風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

母の闘病記

2014-10-19 23:45:06 | Weblog
母が再入院して2か月がたった。これは今月に入って約3週間、病状はこんなにも変わるものなのか…。




10月1日

毎日母の入院している病院に行っている。この頃母のいっていることがよくわからない。ろれつがまわらないうえに声が小さい。それでも何とか話を合わす。

今日は変なことを言っていた。患者の家族が集まってその人の財産分与でもめていたとか、近所のおばさんが待合室に座って他の人といっしょに孫の悪口を言っていたとか。何を言っているのかさぐりながらとにかく話を合わせた。アルツハイマー?

体は衰弱している。寝たきり状態。人の話もあまり聞いていない。自分の事しかはなさなくなった。だんだん私の知っている母ではなくなっていくようで怖い。こんな時思う、私に兄妹とかいればよかったのに。そんな事思っても仕方ないね。



10月2日

病院で吐いてから病院の食事はとらなくなったのでおかずを持って母のところへ。昨日のように話がちぐはぐ。まあ、いいや。

おかずを食べて歯磨きをして蒸しタオルで顔を拭くのが毎日の日課になっている。

先日ユーオーディアの試験で演奏した曲を聴かせたら喜んでいたので今日は賛美歌をフルートで吹いて録音し、母に聴かせてあげた。賛美歌の曲は「主に任せよ」「人生の海の嵐に」。


歌詞も書いて聴きながら歌詞を見てねと渡したのだが母は目を閉じて聴くスタイルなので歌詞は見てもらえなかったけど賛美歌は、とくに「人生の海の嵐に」の曲はとても気に入ったらしい。明日は何の曲にしようかな。



10月13日


母が笑顔になるとき、孫の話、故郷の話、母の得意料理の話。

今日は母がとてもうれしそうだった。というのも長男がパソコンで母の故郷の大ケヤキや母の若かりし頃のゆかりの地の町並み、上野駅、その頃の電車などの画像をプリントして母にみせてくれたからだった。

懐かしいんだね、孫が可愛いんだね。良かったね、お母さん。




10月16日

昨日、母の病室を大部屋からやっと個室へ変えることができた。やはり以前より落ち着くかな。お金はかかるけど母にとって心地よいほうがいい。

ありがたいことに食欲はある。食事のとき今度の課題曲を聴かせると「いいねぇ」「楽しみだねぇ」と嬉しそうだ。

手の力がなくなってきて食事も歯磨きも私がやるようになった。


この頃うつらうつらしていることが多くなってきたせいか時間が経っていることがわからないんだろう。「もう帰るの?」という。可哀想になるけど仕方ない。帰る時お祈りをしてから帰る。もうお祈りも忘れちゃったかなぁと思っていると、しばらく経ってアーメンと言ってくれた。

今日は昨日より時間を多くとろう。



10月17日

この頃病室で讃美歌を歌っている。母はやはり目を瞑って聴いている。1曲終わるともう一回歌ってという。昨日は4曲。もともと歌が好きだった母、今日は親友のお見舞いもあってか昔を思い出して小学唱歌をうたっていた。YouTubeで唱歌メドレーをながして知っている曲はいっしょに歌ったりした。

そんな中、医師から非常に厳しい状態だと聞かされた。腹水で手も足も浮腫んでいる。そのため点滴をするのが難しくなっていて点滴をやめることになった。なんだか胸が締め付けられる思い。どうか痛みや苦しみがありませんように、主の平安が母にありますように。


そして今日、

10月19日

この頃の母は眠ってばかり。
今日はベッドのかたわらにいると突然、寝ている母がうわごとのように「バカ、バカ」という。悪い夢でも見ているのかと「お母さん、どうしたの?」というと「そこで話しているのきこえてるんだから。みんなわかってるんだから」眼をつむったままという。こちらは???である。なんだか被害妄想。夢からまだ冷めてないのか。

反応もあまりよくない。長男が来た時も声をかけてしばらくしてから長男のことをにんしきしたらしくやっとニコッと笑うのだ。長男が母を喜ばせるために持ってきた写真を少し見るとまたすぐ眼をつむってしまった。痛み止めの薬のせいだろうか。食べている時だけかろうじて起きているような状態。少しでも食事の時を豊かなものにできればと祈りつつご飯を食べさせている。食欲はある。少しでもぽサポさしているとしばらく噛んだ後出してしまう。まるで赤ちゃんがやるみたいに。眠りながらご飯を食べているみたい。

薬を使わなければ意識ははっきりするだろうし、妄想もなくなるだろう。でも薬を使わなければ痛みがある。でも痛みで苦しんでほしくない。これしかないのか・・・。