徒然なるままに 平和と音楽を求めて

平和憲法のもと日本は戦争しない国として、いろんな国の国民から賞賛されてきた。この日本が戦争する国に変質しようとしている。

名護市長選で、民意は辺野古基地建設反対に

2010-01-25 | 政治

昨日おこなわれた沖縄県名護市の市長選で、「辺野古に新たな基地は作らせない」と訴えた稲峰氏が当選したことが報道された。
 これで、沖縄県民の意思は決まった。
 
朝日新聞の社説は、「名護市長選―「県外」探しを加速せよ」と、毎日新聞は、「名護市長選 辺野古反対の民意重い」と、煮え切らない社説。
読売新聞は、「名護市長選 それでも辺野古移設が最善だ」と、
日本経済新聞は、「名護市長選挙で深まった普天間の混迷」と、民意を否定する論調。
沖縄タイムスは、「[名護市長に稲嶺氏]「翻弄の14年」に終止符」とし、「日米安保改定50周年の節目の年に、大きな地殻変動が起きようとしている。」と結んでいる。
琉球新報は、「名護市政交代/民意は「辺野古」ノー 「脱基地」の北部振興元年に」とこちらも明快。

確定投票率は76・96%

稲嶺進 17,950
島袋吉和 16,362


『ショパン 若き日の肖像』 小沼ますみ 著

2010-01-25 | 読書
ショパン生誕200年の今年、若き日のショパンを記した本を手に取った。あのピアノ曲の繊細さ以上に繊細なショパン、ピアノ協奏曲を2曲作曲した以外にはすべてピアノ曲。演奏も繊細で、激しく、身振りも大きなリストとは正反対と。だからホールでの演奏は好まず、サロンでの演奏が多かった。
 ワルシャワ音楽院で学んだ以外は、ほとんど独学。だから、いい演奏を聴くことが、学ぶことだった。そのため、ウィーンでいい演奏を聴き、そして、パリで暮らすことになったのは、ショパンにとって必然であったのかもしれない。

1931年9月8日に、ウィーンから着いたばかりのシュトゥットガルトにいた21歳のショパンのもとに、ワルシャワが陥落したというニュースが届いた。このときの気持ちを、雑記帳に記している。「シュトゥットガルト。奇妙なことだ!」から書き始めたこの文章は、ロシア軍がワルシャワを総攻撃し、ワルシャワの蜂起軍が苦戦をしているという知らせを聞いて書いたもの。「父上!母上!姉上と妹よ!僕の一番愛する皆さんはどこにおいでですか?ひょっとして亡くなられた?ロシア人達が僕に邪悪ないたずらをしかけたのだろうか。ああ、待ってくれ・・・涙か?」まだまだ文は続く。ショパンの練習曲ハ短調作品10の12「革命」は、このとき、着想したと言われている。
ジョルジュ・サンドとの交際に至る前の若い時のショパンを、生き生きと描いたこの本、あらためてショパンの祖国ポーランドへの思いの一端を理解することができた。

『ショパン 若き日の肖像』 小沼ますみ 著



自然豊かな野川

小金井市東町の南側を流れる野川。 国分寺崖線のはけの道に沿って。