イリーナ先生の「絶対にあきらめてはいけません」の言葉を日々自分に言い聞かせてきましたが、「あきらめる」の対象を考え直す必要があるかなと、このところ思います。
昨年4月から全員の奏法をやり直しています。
テキストを「不思議」に替えられる生徒はかえました。
中級や上級の生徒はテキストを変えずにしています。
この中で1年2カ月経っても全く音が変わらない生徒が1人います。
このメソッドを始める前からその音には気力も体力も消耗していました。
この状態から脱することができるならと彼女にも音の出し方からやりました。
その1回目のレッスンも2回目のレッスンもため息をつかれました。
ため息をついた生徒は他にもおります。
しかし、時間はかかりましたが少しずつ良くなっています。レッスンの初めから良い音では弾けませんが直していくと変わっていきます。
ところがこの生徒だけはやってもやっても変わらないのです。
もう限界だろうと今週初めて思いました。
やろうとしてできないのであれば、私はやはり「あきらめない」
しかし彼女に対しては初めて「あきらめよう」と思ったのでした。
昨年4月から全員の奏法をやり直しています。
テキストを「不思議」に替えられる生徒はかえました。
中級や上級の生徒はテキストを変えずにしています。
この中で1年2カ月経っても全く音が変わらない生徒が1人います。
このメソッドを始める前からその音には気力も体力も消耗していました。
この状態から脱することができるならと彼女にも音の出し方からやりました。
その1回目のレッスンも2回目のレッスンもため息をつかれました。
ため息をついた生徒は他にもおります。
しかし、時間はかかりましたが少しずつ良くなっています。レッスンの初めから良い音では弾けませんが直していくと変わっていきます。
ところがこの生徒だけはやってもやっても変わらないのです。
もう限界だろうと今週初めて思いました。
やろうとしてできないのであれば、私はやはり「あきらめない」
しかし彼女に対しては初めて「あきらめよう」と思ったのでした。