少し前に「師としてのリスト」を読んで、
リストのことを誤解していたカモ・・と、思っておりました。
レッスンでのリストの言葉、
「音楽をするというのは、もっと神聖な行為」
「全くの無心で、ごくシンプルに、静かな心で、自然体で」
「周りの注目を浴びるためではなく」
「今のは演奏というより騒音だ。耳で聴こうとしないなら、なぜピアノを弾いている?」
この言葉だけでも、まっとうな音楽家。
そのあとにご紹介した
「フランツ・リストは なぜ女たちを 失神させたのか」(新潮新書単行本 – 2013/12/14 浦久 俊彦 著)
こちらを読み終えたところです。
本の最後の方で、泣けてきました・・
リストは、ハンガリーの作曲家といわれていますが、
ご存知の通り、現在はオーストリア領の村の生まれで、
リストはハンガリー語は話せませんでした。
家系はドイツ系。
ウィーンでツェルニーの下で1年半学んだ後、12歳でパリに。
リストが最もよく使った言葉はフランス語。
マリー・ダグー伯爵夫人とのスイス、イタリアへの逃避行。
コンサート・ピアニスト引退後のワイマール宮廷楽長時代。
宮廷楽長辞職後の、ワイマール、ローマ、ブタペストの3分割された生活。
漂流者としての孤独。
「全世界が私に反対する」と。
「ドイツ人は私の音楽がフランス的だとして拒否し、
フランス人はドイツ的だという。
オーストリア人には、私がジプシー音楽をやり、ハンガリー人には外国の音楽をやると言われる。そしてユダヤ人は私の音楽を理由もなく嫌うのだ」
コンサートでの収入の多くを寄付し、
無償で後進の指導を続けたリスト。
「私の音楽上の望みは、私の槍を未来という漠然とした空に飛ばすこと。この槍がすぐれたもので、地面に落ちてさえこなければ、他のことはどうでもいいのです」
「芸術の使命は、苦悩に満ちた現実を、天空の高みに昇華させることだ」
リストは、自分を
「私はおそらく失敗した天才である。そのことは、時が教えてくれるだろう」と、言っていたそうです。
私は、ロシアンメソッドを通じて
ロシアンピアニズムの系譜を知りました。
そこにはリストの弟子たちの存在があります。
リストが放った槍は、未来である現世に届いていると感じます。
是非、この本を読んでいただきたいです。
マズルカやポロネーズをショパンが亡くなってから書いたこと。
ショパンの魂は私の中に生きていると、書きとめておきたかったのではないかと、この本を読んでいてそう思いました。