おとのくに♪♪

生徒さんのピアノレッスンで感じたこと、考えたこと、コンサートの感想などポツポツ綴っています。

リストの本で感動

2021年12月23日 | 書籍紹介

少し前に「師としてのリスト」を読んで、
リストのことを誤解していたカモ・・と、思っておりました。

レッスンでのリストの言葉、
「音楽をするというのは、もっと神聖な行為」
「全くの無心で、ごくシンプルに、静かな心で、自然体で」
「周りの注目を浴びるためではなく」
「今のは演奏というより騒音だ。耳で聴こうとしないなら、なぜピアノを弾いている?」

この言葉だけでも、まっとうな音楽家。

そのあとにご紹介した
「フランツ・リストは なぜ女たちを 失神させたのか」(新潮新書単行本 – 2013/12/14 浦久 俊彦 著)

こちらを読み終えたところです。

本の最後の方で、泣けてきました・・

リストは、ハンガリーの作曲家といわれていますが、
ご存知の通り、現在はオーストリア領の村の生まれで、
リストはハンガリー語は話せませんでした。

家系はドイツ系。
ウィーンでツェルニーの下で1年半学んだ後、12歳でパリに。
リストが最もよく使った言葉はフランス語。

マリー・ダグー伯爵夫人とのスイス、イタリアへの逃避行。
コンサート・ピアニスト引退後のワイマール宮廷楽長時代。
宮廷楽長辞職後の、ワイマール、ローマ、ブタペストの3分割された生活。

漂流者としての孤独。
「全世界が私に反対する」と。

「ドイツ人は私の音楽がフランス的だとして拒否し、
フランス人はドイツ的だという。
オーストリア人には、私がジプシー音楽をやり、ハンガリー人には外国の音楽をやると言われる。そしてユダヤ人は私の音楽を理由もなく嫌うのだ」

コンサートでの収入の多くを寄付し、
無償で後進の指導を続けたリスト。

「私の音楽上の望みは、私の槍を未来という漠然とした空に飛ばすこと。この槍がすぐれたもので、地面に落ちてさえこなければ、他のことはどうでもいいのです」

「芸術の使命は、苦悩に満ちた現実を、天空の高みに昇華させることだ」

リストは、自分を
「私はおそらく失敗した天才である。そのことは、時が教えてくれるだろう」と、言っていたそうです。


私は、ロシアンメソッドを通じて
ロシアンピアニズムの系譜を知りました。
そこにはリストの弟子たちの存在があります。


リストが放った槍は、未来である現世に届いていると感じます。


是非、この本を読んでいただきたいです。
マズルカやポロネーズをショパンが亡くなってから書いたこと。
ショパンの魂は私の中に生きていると、書きとめておきたかったのではないかと、この本を読んでいてそう思いました。

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都響定演 2020/12/20

2021年12月20日 | コンサート情報

サントリーホールでラフマニノフとショスタコーヴィチを
聴いてきました。



ラフマニノフは、ピアノコンチェルトNo.3

ピアノは、阪田さん。

エリザベートコンクールのガラで弾きたかった曲と
仰っていた曲です。

若さある演奏で駆け抜けていました。
心地よい疾走感。爽快でした。

いつもながらの美しい音。
壮大さと、長いフレーズの滑らかな美しさ。

ピアノでこんなに音だけで歌えるのかと、
余計なことをしなくとも聴かせてくれるな、と
聞き惚れました。


昨日、Eテレで、実はまともに聴いていなかったブルース君の
ショパンを聴いて、
何度も引っ掛かりを感じ、どうしても私には心地よくない
という結論に達しておりました。

こういう時代なのかもしれませんが、
私には阪田さんのような音楽の方が好きなようで、
日本にいてくれて、ありがとう!という気持ちです。

今年初めて聴くようになったピアニストさんですが、
彼のお陰で、随分と今年はコンサートに足を運び
全く知らなかった曲や演奏家にも出合い、
楽しませて頂きました。

それにしても、恐ろしく忙しいピアニストさんだったのだと
知りました。


ショスタコーヴィチの交響曲No.5
生で聴いたことがなかったかもしれないと思いながら、
ショスタコはやはり真意がわからない人だな、
と思いながら聴いていました。


今年はこのコンサートで私は終了です。

あ、チラシの中に、

ドヴガンちゃんです。紀尾井ホール。
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リストの本 第2弾

2021年12月17日 | 書籍紹介

「師としてのリスト」のあとがきに、
「フランツ・リストは なぜ女たちを 失神させたのか」
という本の存在が紹介されていました。

このままリストの流れに乗って、読んでみようと思い
図書館から借りてきました。



読み始めたばかりですが、たまたま「師としてのリスト」の前に、
「名画で読み解くブルボン王朝」という本を読んでおりました。

ルイ14世だの16世が私の頭の中ではゴチャゴチャで、
アントワネットの旦那はどっちかも
よくわかっていなかったくらいなので、
この本を読んでスッキリしていたところでした。

アントワネットがマリア・テレジアの子供の中で
どんな存在だったか、
ブルボン王朝が復活したり、ナポレオン3世が統治したり、
といった話もしっかりと読めました。

なにせ、世界史で習った、
1789年フランス革命 
しか知らず、中身は全く知らなかったので・・


さて、リストがパリに行った頃の町の状況の描写が
「~なぜ失神させたのか」に書かれていて、
思いがけず読んでいた本のお陰で、
歴史がつながった感覚です。

マリー・ダグー伯爵夫人との関係がどう変化していったか、
ヴェネツィア、ローマ、ナポリ、フィレンツェ、と続いた
2人の巡礼の旅。逃避行と言うべきか・・

愛の夢第3番を「随分ばかげた曲を作ってしまったもんだ」
と言ったリストの心境が、
なんだか想像できるような2人の関係性の変化。

読んでいて、著者の少々主観的な見方が気にはなりますが、
昔と違い、今は作曲家の生涯を面白く読める本が作られているようで。


こちらもお薦め
名画で読み解く ブルボン王朝 12の物語 (光文社新書) 新書 – 2010/5/18 中野京子 (著)

ハプスブルク家も読むと、更に歴史が繋がります。
ロマノフ、ハプスブルク、ブルボンと読みましたが、この順番、なかなか良かったです。

音楽家が生きた時代の歴史背景がわかって、
面白かったです。
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熊なのですが・・

2021年12月16日 | レッスン

今年ピアノを習い始めた生徒さんに、
音楽を聴いてイメージした絵を描いてもらいました。

曲名は伝えずに、レッスンで曲を聴いてもらい、
家で絵を描いてきてもらいました。

何度か聴いてもらう必要があるかと思っていましたが、
皆、一度聴いただけで「わかった」と言っていました。

描いてきてくれた絵を、曲と一緒にしてみました。


レビコフの「熊」という曲なのですが、
一人も熊は書きませんでした。

多かったのが「象」

2枚目は、解説が必要ですが、
動物が並んで行進しているのだそうです。

最後の絵は、もう1曲聴いてもらった曲があり、
そちらと一緒に書いてあります。この曲のイメージはライオンの方です。


2枚目の動物の行進の絵は、
なかなか良いと思います。

左上の青い川のようなものは、
工事をしている所だと言っていました。
川ではなく、道路なのだと思います。

近所で工事をしているのを見たのでしょう。

最初の2枚は、双子の姉妹の絵です。
見分けがつかないくらい似ていますが、
絵は違います。

レッスンも、得意なことが異なります。
弾き方も違います。

でも、シールを選ぶ時は、
「それ、えらぶとおもった」とよく言っています。

2人とも、太陽を描いたことをアピールしていました。


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リスト門下生(Lisztianer リスティアナー)

2021年12月09日 | 書籍紹介

前回、「師としてのリスト」という本をご紹介しました。

その本の最後に、リストの弟子たち(Lisztianer 弟子と認められた門下生たち)の録音が紹介されております。

リストの臨終に立ち会った弟子3人の中の一人、
ベルンハルト・シュターフェンハーゲン(Bernhard Stavenhagen 1862-1914 ドビュッシーと同い年です。)

リストの最後の高弟で、師に目をかけられ各地に同行。
彼の演奏が見つけられたので、ご紹介を。

19 Hungarian Rhapsodies, S244/R106: No. 12 in C-Sharp Minor (Welte-Mignon piano roll recording)


もう一人、リストの演奏に最も似ていると目されたピアニスト。

アルフレート・ライゼナウアー(Alfred Reisenauer 1853-1907)
11歳でリストに師事。巨漢で酒豪。リサイタル後、ホテルで急死。

19 Hungarian Rhapsodies, S244/R106: No. 10 in E Major, "Preludio" (Welte-Mignon piano roll...


他にも、リスティアナーの録音を見つけることができます。

少し聴いてみた所、この2人が印象的。
リストがレッスンで口にしていた言葉、
「それじゃ学生みたいだ、恥ずかしい」

この2人、その言葉とは無縁だったような演奏。
実際に作曲者本人であり、大ピアニストだったリストの前で
自分が作曲したかのような演奏を繰り広げていた様子が想像できます。

リストもフレンドリーに弟子に接していた様子で、
レッスン後に、一緒に飲みに出かけたり、トランプをしたり。


本を読みながら、リストが自分の和声法について、
音楽院を卒業できない、とよく言っていたようなので、
ドビュッシーの音楽は知っていたのだろうか・・、と
思いました。

シュターフェンハーゲンがドビュッシーと同い年。
もし、聴いたことがあるとしたら、どう思ったか知りたい・・

お弟子さんも作曲、編曲、即興などされていた様子。
リストは自分のことを
「編曲はいかにも私向きだが、作るとなるとそうもいかないのだよ」と、自虐的。

私はリストファンではなく、
ハンガリー狂詩曲第12番を弾かされていた時には、
「余計な音しかない。このハッタリ感、ゾッとする」
と、思っておりました

今回、シュターフェンハーゲンの演奏を聴いて、
「あら?いかにもジプシーっぽい民族色の濃い音楽。
上手い人が弾くと説得力がある。」

と、やっとこの曲を面白いと思えました。


でも、やっぱり弾きたくは



ない・・

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弟子が見たリスト

2021年12月06日 | 書籍紹介

「師としてのリスト」(音楽之友社)


1884年~1886年の間、リストの弟子であり、秘書でもあったアウグスト・ゲレリヒの14冊ある日記の内、6冊に書かれたリストのマスタークラスでのメモを編纂したもの。

長く閲覧できなかったそうですが、ゲレリヒのお孫さんがこれらの日記や写真などを、この本を編纂したヴィルヘルム・イェーガー氏に託され、この貴重な内容を目にすることが出来るようになったようです。

イェーガー氏の言葉が1973年12月とあります。

だいぶ以前からあったのか、と日本の本の奥付を見ると、
2021年6月第1刷。

何だ、今年?
こんなに期間が開いているのにもかかわらず、出版にこぎつけて下さり、感謝。翻訳がとても読みやすい言葉で、リストがその辺でレッスンをしているのかな?、と感じてしまいます。


当時レッスンされていた曲目が、今では聴いたこともない、というものが当たり前のように存在しています。

作曲家目線で曲を評価していたようで、ショパンの作品に関しては敬意を払っていたことが分かります。

ただ、スケルツォNo.2に関しては「女家庭教師スケルツォ」と言って毛嫌いしていたとのこと。
レッスンに持ってくることも拒否していたそう。

シューマンの作品に関しては、良いものとそうではないものがあったようで、幻想曲に関しては第1楽章の最後は素晴らしく美しい、と心奪われていた様子。

この曲のレッスンでは、
「音楽をするというのは、ただ作るだけでなく、もっと神聖な行為なのさ!」「全くの無心で、ごくシンプルに、静かな心で、自然体で弾きなさい」

自分の作品に関しては自虐的な言葉が多く、
早くこの曲のことは忘れてほしいとか、

愛の夢第3番においては、
「全く、私としたことが、随分とばかげた曲を作ってしまったもんだ」
「冒頭のテーマは重苦しくならず淡々と。愛しうる限り、と言っても、そもそも愛はそう長続きしないものだからね」
「今日では耳にタコができるほど浪費されているフレーズだ」

クララ・シューマンがどのような演奏をしていたかも、リストの言葉から知ることができます。

リストは、テンポを刻み堅苦しく演奏する様子を
「ライプツィヒっぽい」
もたついた重苦しい演奏を
「ドレスデンっぽい」
平凡な演奏や音楽を
「マカロニ」

と、表現していたようです。

低音で何を弾いているかわからないような演奏には
「うがいしちゃだめだ!」

ある生徒さんのレッスンで、
「あなたはいい加減、自力で何とかしなければいけない。私はもう何も説明できないし、あまりにも退屈している」「もっと一貫した流れで弾かないと」

「そんなに速くしないで。誰のことも気にしないように弾くんだ。周りの注目を浴びるためではなく」

「今のは演奏というより突き刺すような騒音だ。耳で聴こうとしないのなら、どうしてピアノを弾いているんだ?」


リストの録音は残っておりませんが、
この本を読むと、現代にリストがいても、きっとリストは伝説になるようなピアニストだったのだろうと思わせます。

ご紹介した言葉は、ほんの一部です。
リストを知る、というよりも音楽家リストの音楽への姿勢から学べることがある、と思う本です。

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クリスティアン・ツィメルマン リサイタル 2021/12/04

2021年12月04日 | コンサート情報

ツィメルマン、聴いてきました。



今年は若いピアニストの演奏ばかり聴いていたことを、
彼の演奏を聴いて気付きました。

音の熟成度がやはり違うな、と思いました。

若いピアニストの演奏も十分に堪能し、満足していましたが、
やはり違うものだと思いました。

バッハのパルティータの、羽のような軽やかな音。
こういう音は、今年は初めて耳にしました。

自分の身まで宙に浮いている感覚。

そしてツィメルマンは、ピアノという楽器で
パルティータを演奏している感覚ではないのでは、と思いました。

ブランデンブルクを聴いているようでした。
アンサンブルのようでした。ツィメルマンは指揮者。


休憩後のブラームスが、筆舌に尽くしがたい素晴らしさ。
Op.117ですが、この2曲目が最高でした!

久し振りに、ツィメルマンの凄さを目の当たりにしました。

聴いていて、可笑しな例えですが、
三途の川を渡る時に聞こえてくる音のようだ、と。

この世のものとは思えない音。
ヴィルサラーゼを聴いた時のような感覚に近かったです。

魂が浄化されていくようでした。

ブラームスを聴き始めた時に、
これも彼の頭の中ではピアノではないのだろうと感じました。

ショパンのコンチェルトを弾き振りした録音がありますが、
あれほどオーケストラを自由に操れるほどの
指揮者としての力がありながら、
彼はずっとピアノ一筋。

否定する意味ではありませんが、
指揮活動に手を出したり、
活動をそちらに移行したりするピアニストもいます。

しかし、ツィメルマンは、ピアノで全てを表現したいのだと、
そう考えているのではないかと、今回聴いていて感じました。

それだけ、ピアノに愛着がある人なのだろうと。
私は今でも、彼の音を聴くとピアノという楽器に憧れてしまいます。

それが何故なのか。

きっと、彼のピアノへの想いが
私には尊いものに感じるからではないかと、
そんなことを今日は思ったのでした。


ステージに現れた彼は、いつもの燕尾服。
これを守り通していることに、なんだかホッとしたりして。

日常ではない所にある感じがして、
むしろ、新鮮に感じました。
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巡礼の旅 第2回「伝統への挑戦」阪田知樹さん

2021年12月01日 | コンサート情報
阪田さんのユニークな企画「巡礼の旅」第2回を聴いてきました。

演奏前にプレトークがありました。
自分史上、最大にマニアックなプログラム、と。



前半の曲は全て初めて弾く曲だと。
そして今後も弾かないのではないかと。

貴重な機会に遭遇しました。
第1回は昨年の予定でした。それが今年の6月に延期になり、
チケットは完売していたので、私は第2回から旅に参加です。

リストは、ショパンやブラームスと異なり、
メモのように作品の断片を残しているので、
どのような過程で曲が出来上がったかを知ることが出来ると。

ピアノ協奏曲第2番のソロ版は、
この曲を決めた時には手元に楽譜がなく、
イタリアの知らない出版社から出ているのを入手したと。

楽譜を見てギョッと(このような言い方ではなかったかもしれませんが)した、と。
今回、リハーサルの時から、
この曲を弾き終えて自分が生存しているだろうか、と周りに言っている、と。

楽譜は、その後ブタペストの新リスト全集に入り、
そちらを使われていました。

ピアノ独奏用初稿、とありますが、本当に?という印象。
もうおびただしい音の数です。

阪田さんが仰っていましたが、
作曲する時は最初にピアノで弾く用に作って、
そこから他の楽器に割り当てていく。

初めからスコアで書かない、と。

このコンチェルトの初稿は、つまりそういうことのようで。
ここから、オケのパートを割り当てて、
ピアノ独奏も整理して、ということです。

プログラムを全曲弾き終えて、
ピアノの負荷が大きくて、
ラフマニノフの3番のコンチェルトを
2~3回弾いた感じだと。

阪田さんでなければ組めないプログラムです。

最後のベートーヴェンの交響曲第2番。

ピアノで聴くと、ピアノソナタの要素が
たくさん聴こえてきて、
ベートーヴェンのピアノソナタが
オケに置き換えられるとよく聞きますが、
逆を聴いて、それを実感しました。



只今、「師としてのリスト」という本を読んでいます。
リストの弟子の1人が、リストのマスタークラスでの
レッスンをメモしていて、それを本にしたものです。

リストがどんな演奏をしたか、
どんな音楽を要求していたか、
どんな言葉を言っていたか、

結構面白いです。

至って常識的で、現代の私たちには
馴染みやすい気がします。

こちらの本の話は、後日、自分のためにも
書いておこうと思います。


今日も阪田さんの音は、魅力的でした。
あんなに多くの音を弾いても、安定した音。

偉いものです。
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