おとのくに♪♪

生徒さんのピアノレッスンで感じたこと、考えたこと、コンサートの感想などポツポツ綴っています。

魔法とは違う

2020年12月27日 | 重力奏法
今年もそろそろ終わります。

驚くべき1年でした。

さて、指導法を変えて2年10カ月経ちました。

不思議な音の国でピアノを始めた生徒さんには、教えてきたことがはっきりしているので、何がどのくらい習得できているかがわかりやすいです。

この教本の力には今も驚嘆し、そして信頼は増しています。

このメソッドと教本に変えてはっきりしたことがあります。

結局は、本人の意識次第だと。

習ったことを定着させるのは家で繰り返し復習すること。それしかありません。

レッスンに来る度に毎度おなじことを注意され、言われれば直す、言われなければ直さない。直してもその場限り。

初めのうちは電子ピアノの影響でわからないだけかと思っておりましたが、どうやらそうではないと思うようになりました。

先生は何度でも教えてくれるとどこかで思ってはいないかと最近思います・・
何度も教えてもらうのは権利で教えるのは義務?と考えたりします。

以前は十分に教え切れていないことが少なくなかったので、仕方がないかと何度でも教え直していましたが、今は違います。

生徒さんによって意識の差は大きく、誰に対しても効き目のある最高の力を持つ指導者ではない私は、あきらめることを知るべきかと思うようになりました。
奉仕の限度を決めるというか・・

このメソッドを知る前は、幻想を追いかけていたおかげで救われていた部分もあったように思います。

音楽的にはこのメソッドで救われていることが多いのですが、新たな闘いが生じています。

誰でもピアノが上達する魔法のメソッドではないのです。
弾き方が分かれば弾けるようになるのではなく、やるやらないは本人次第。

1年後はどんな境地に達しているのだろうと思いながら、今年のブログを締めたいと思います。

ブログをお読みくださり、今年もありがとうございました。
みなさまのご健康をお祈りしております。
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生徒さんインディアン・セレナーデを弾く

2020年12月21日 | レッスン
マーサ・ミアーの「インディアン・セレナーデ」をレッスンで弾いている生徒さんの演奏を録画させていただきました。

不思議な音の国修了後、Die Russische Klavier Schule Band1とグネーシナのピアノのABCをメインに使っています。

年長からピアノを始めて現在小学2年生です。

グネーシナは最後から2曲目を弾いているところです。あと、2曲でこの教本は修了です。
この後は速いパッセージの練習をしたいので、ツェルニーの125のパッセージに進もうかと思っています。

インディアン・セレナーデは、ほとんど一人で弾いてきた状態と変えていません。
私が話したのは形式のことです。それによって音楽がどう変化しているか想像してと、どんな気持ちでこのインディアンはいるのだろうと。

それから、中間部の少し遠いバスをすぐに離すと、ペダルが音の途中から入りプツッとした音になるのでそれを注意しました。

録画では自分で気づいて途中から直して弾いています。

細かい所はもう少しやった方が良かったと思いましたが、感心したのはフレーズの終わり方と左手伴奏です。

これまでの生徒さんでしたら、レッスンしてもこのような弾き方はなかなかできませんでした。
しかし、不思議な音の国でレガートの弾き方をしっかりと覚えたので、一人でもここまで出来るのです。

フレーズの終わり方は、この生徒さんが自分でちゃんと身に付けたことです。
不思議を修了した生徒さんは、この点は注意されると直せます。しかし、言われないと忘れていることが多いです。

音をどれだけ聴き続けているかです。
意識を定着させるのは繰り返すことでしか得られません。

注意されたその時だけできればいいでは定着はしないのです。
練習の時から習ったことをするか、しないかです。

こちらの生徒さん、電子ピアノで練習しています。

音を聴くことはアコースティックでなければと思いますが、この生徒さんに関しては電子ピアノでもこのようになれています。

インディアン・セレナーデ




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不滅の旋律、観てきました

2020年12月18日 | コンサート情報
稲垣吾郎さん主演の舞台、「No.9-不滅の旋律」を観てきました。



ベートーヴェンの話です。

以前から見たい舞台でしたが、チケットが取れず行けずにおりましたが、今年は運よく取れたので行って参りました!

面白いと思ったのが、舞台の両脇で2人のピアニストが生で演奏されていたことです。

ピアノソナタがメインでしたが、2人同時にユニゾンで演奏したり、フレーズごとに演奏を受け渡したり、2台用に少しアレンジして演奏したりしていました。

曲目が、「月光」「悲愴」「熱情」「告別」の他、初期のソナタの終楽章とか、中期の最初の作品op.26とか、後期の作品の緩徐楽章とか終楽章のフーガの部分とか。

選曲が通というか、派手さを狙ったものではなかったところが良かったです。

ピアノの演奏と台詞が被ると、ついついピアノに耳が行ってしまうので、台詞は全て聞き取りやすかったのですが、両方は聴けず、話についていけない場面もありました。

ベートーヴェンのピアノソナタは、私にはBGMにはならない・・

ベートーヴェンが、周りにいる人たちと言い争い、人を排除し、孤立する場面で流れたのが、op.111のArietta。

場面と全く合わない音楽のように一瞬感じられますが、ベートーヴェンの本当の心情を表しているようでグッときました。

舞台の端と端でピアニストがアイコンタクトで合わせているのも楽しめ、役者さんたちの充実した演技も良かったです。

最後の第九は、稲垣さんが客席を向いて指揮をする場面で、大音響で合唱も録音されたオケも、2人のピアニストの2台ピアノバージョンも演奏され、歌わずにはいられない!

マスクの下から「Deine Zauber binden wieder Was die Mode streng geteilt Alle Menschen werden Brüder Wo dein sanfter Flüger weilt」

この部分だけは何十年経っても忘れないです。

Beethoven - Piano Sonata No.32 in C Minor Op.111 - 2nd Mov - Arietta


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不思議な音の国、修了ラッシュ到来!

2020年12月17日 | 不思議な音の国
「不思議な音の国」を最初に使い始めたのが、2018年2月。

半年前に教本は手元にありましたが、それまでになかったスタイルの教本で気軽に始められずにいました。

年が明けて、ハイフィンガーで1年間みっちりと習った生徒さんが移動してきて、これは「不思議な音の国」をやるべき生徒さんだ!と思い、下巻を使いました。

使ってみてすぐに、この教本はピアノの弾き方を教えることのできる本だとわかりました。

その年の春から「不思議な音の国」に変えられる生徒さんは全員変え、新しくピアノを習い始める生徒さんには迷うことなくこの教本を使い始めました。

その頃にこの教本を始めた生徒さんの多くは既に下巻が修了し、次の段階に進んでいます。

そして、その頃4才半だった生徒さんや、進みがゆっくりな生徒さん、去年からピアノを始めた生徒さんが「不思議な音の国・下巻」の修了を迎えています。

そろそろ終わる生徒さんは7人います。

この教本で徹底してやることは、発声法と発音法だと思います。
音楽の基礎的な知識も、もちろん身に付けます。

芯のある深い音でピアノを鳴らす発声法は、上巻全曲で行います。

下巻は発音法を覚えて身に付ける、ということかと思います。

ノンレガート、レガート、スタッカート、アクセント、テヌート。
これらは、語学なら発音記号にあたると思います。

今までの教本では、これらの記号の名前と意味は教えられても、身体の使い方まで徹底しては教えられませんでした。

「不思議な音の国」は、下巻でも多くの曲が8小節程度で、アーティキュレーションが細かく、一音たりとも気が抜けません。
そして、短いので集中力が小さな生徒さんでも持ちます。

外国語の「ア」「エ」「ウ」「イ」「オ」の口の形、舌の位置は日本語とは異なります。
発音記号を見た時に、その口の形と舌の位置になるように繰り返し意識して練習をする。(GACKTさんのお話を引用しています)

不思議な音の国上巻・下巻を通して、アーティキュレーションという発音記号を見た時に、その手首や腕の使い方が自動的にできるように癖付ける。

それを良い音で行えるように、肩からの腕の重さを使えるようにする。支えられる指先を作る。

これが習い始めの1年半~2年半にやるべきことなのだと、この教本に出会って知りました。

その期間の習得具合でこの先が大体見えてしまうのがツライところではあります・・
それに合わせて進路変更すべきか迷っていますが、初級の内は興味を失わなければ、正当な道を歩んでもらおうと思っています。

趣味だし、遊びだから、スカスカな音で鍵盤の場所を覚えてそこを押せばいいではなく、伝えるために、正しい発声と発音で演奏できるようになってほしいと思います。

相手に合わせることが大事と言っても、間違ったものに合わせることはできないと思うのです。






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力を抜くための力

2020年12月15日 | 重力奏法
GACKTさんの英語塾。発音以外でも「へぇ」と思う話が出てきます。

力を抜くにも力がいる。力を抜くはずなのに抜く力がいる。緩めるにも筋肉を使う。

筋肉とういうのは脳から信号を受けて収縮する。人間というのは力を入れるための信号は速い。しかし、入れたものを抜く信号に人間というのは慣れていない。

緩める信号を受けてニュートラルな場所まで筋肉をもっていくというのに個人差がある。意識と練習が必要。

ピアノでよく脱力という言葉を聞きますが、当然のことながら、全ての力を抜いて弾くことはできません。支える力は必要です。

その支えをどのくらい緩めるか、どこの部位を緩めるか、どの速さで緩めるか、色々あると思います。

GACKTさんのお話を聞いて、緩めるのに個人差があるとか、意識と練習ときいて、そういうものなのかと。

ニュートラルな状態に戻すという表現も使えそうな・・

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2020年12月12日 | 書籍紹介
少し前に見つけた漫画家の竹宮惠子さんの言葉。

◇◇◇◇◇◇◇
扉とは思いがけないものを見せたり、出合わせたりしてくれる存在。たくさん考えて、扉に向かってほしい。

扉を開けること自体は難しくなく、大事なのは開けた後。「何をするかを考えること」

「期待と違うことや、方向転換を迫られることもある。そのとき、どう対処するのかが本当の選択です。『こんな障害があった』と逃げることもできますが、何かのせいにした途端、扉を開けたことが終わってしまう。自分の選択の結果だと振り返って考えてほしい。結果が悪くても、『自分で歩いてここまで来た』と受け止める。そうすれば、扉を開けたことは、なかったことになりません」

 扉は何度も開き、ときにチャンスにつながるが、捉えられるかどうかは、その人次第だ、とも考える。

 「扉を開ける前にいろいろ考えることを提案しますが、考えるがゆえに開けられなくなる学生は多いかもしれません。でもそれは、自分で作る幽霊のようなもので、開けないと真実は分からない。たとえ失敗したり、困ったりしても、必ず何かが得られるはず。私の年齢になれば予測がつきますが、これから枝をどう広げていくか分からない今の時期に、何かを経験してほしいです」

◇◇◇◇◇◇◇
竹宮惠子さん、京都の大学で学長及び客員教授を20年間されていたらしく、今年退官されたそうです。
その最終講義で話されたことの一部です。

竹宮惠子さんと言えば「風と木の詩」「地球(テラ)へ」
若い方はご存知ないと思いますが・・

私は連載されていた頃、見かけてはいました。
美しい絵でしたが読んではいません。
漫画を読むのが苦手で、まともに読んだのは「ベルばら」だけです・・
アンドレがカッコ良かったから


扉を開けるためには扉に出合わなければいけないわけで、そのためにはアンテナを張って色々と考えている必要があります。

自分で求めて出合った扉なら開けてみたいと思うものです。

ところが今のままでも良いかと、開けて困るより何もしない方が良いかと扉を前に退散したり、今じゃなくともその内と思っている内に扉は消えてしまったり。

出合った時がチャンスです。捉えられるかはその人次第!

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今頃?の「羊と鋼の森」

2020年12月03日 | 書籍紹介
今頃?と思われそうですが、調律師さんの話「羊と鋼の森」を読みました。

読みながら色々と考え、自分がしていることと通じることが多いと思いました。

いくつか留めておきたい言葉があるので、忘備録としてここに。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
いつも思い出す。音の波の数と高さを揃えること。そこまでは誰でも訓練で到達することができる。才能ではない、努力だ、と諭された。ピアノを弾けても、弾けなくとも、熱意があっても、なくても、耳が良くても、悪くても、訓練すればだれでもスタートに立つことはできるのだ、と。

自分のことは棚に上げておいて、生徒さんのスタートラインについて考えさせられました。

これまで、とりあえず森に行っちゃえ、と、森を歩くのに適した靴も履かず、寒くなった時に備えた服装もせず、のどが渇いた時に飲む水も持たず、おなかがすいた時の食料も持たず、生徒さんを森に連れて行って、歩けない、おなかすいた、のど乾いた、寒いとなった生徒さんを励まし続けるのがピアノ指導者の役目のように考えていたのではないかと。

指導法をロシアンメソッドに変えて、最初にやるべきことがはっきりして、そこができれば生徒さんは様々な景色を見ながら歩けると知りました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一足でそこへ行ってはだめなのだ。一歩ずつ、一足ずつ、確かめながら近付いていく。その道のりを大事に進むから、足跡が残る。いつか迷って戻った時に、足跡が目印になる。どこまで遡ればいいのか、どこで間違えたのか、見当がつく。

早くたどり着けるのが良いことのような風潮があります。教えてもらう方が速いから自分で探さない。それでは自分の中に残らないのです。迷った時にまた人に教えてもらおうになります。それでは永遠に自立できません。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
才能ってのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあってもそこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似てる何か。

ヴィルサラーゼも仰っています。才能は関係がない。音楽がなければ生きていけないという情熱があればいいと。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
エゾマツの鳴らす音を僕は知っている。ピアノの原風景を、僕はずっと知っていたのだった。

ピアノが加工される前の、木であった姿を考えたことがなかったように思います。森や山にあった木、羊毛で出来たダンパーのフェルト。そのぬくもりがアコースティックピアノにはあるのだと。デジタルには感じられない一番の違いはこれだと、単純にそれが一番違うことと思って良いのでは。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あきらめる、あきらめない。-それは、どちらかを選べるものなのか。選ぶのではなく、選ばれてしまうものではないか。

これは厳しい言葉・・

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
勘違いしていたんだな。技術は身に付けるものだから、身体で覚えるだろうと思って。幻想。耳が覚えるだろう、指が学だろう、なんてのは幻想。ここだよ、覚えるのは。そう言って、自分の頭を指してみせた。

音楽は感性だけでどうにかなるものと勘違いされていることが多い気がします。頭脳を使わなければできないです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
書きとめるだけじゃ、駄目だ。覚えようとしなきゃ、無理だよ。歴史の年号を覚えるみたいにさ。あるときふっと流れが見えてくる。

学校の勉強と違い、覚えて終わりではできないのが音楽です。組み立てて、形にして、考えて、聴いて、伝える。音の読み方を覚えるとピアノは弾けると勘違いされているのは悲しい・・
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