オランブラは最初にも書いたように第2次世界大戦後、国土の復興のためにオランダ政府により政策として行われた移民によってつくられた町です。
移民資料館の外壁に建物内部にも、たくさんの移民家族の写真や、年度ごとの移民名簿が展示されていました。
ブラジル政府はオランダ移民を他の国よりも多く受け入れたというのに、現在オランダ移民の方と思われる苗字が少ないのが不思議だね、なんて娘と話をしながら名簿を見ていたらなんと「シューマッハー」なんて苗字のファミリーもいるじゃない。
往年のF!ドライバー ミヒャエル・シューマッハ Michael Schumacher。
彼はドイツ人ですが。
で、オランダ語の表記は Schumakherになっていたけど。
娘が考察するに、ドイツ移民の人たちの名字と同じようだからわからないのでは?とのこと。
オランダ語はペケママ、カリブ海のオランダ領アル―バ島に旅行した時にちょこっと触れたのですが、ドイツ語みたいだけどドイツ語じゃないっていうぐらいのことしかわからない。
そういえば、会場内にはポルトガル語と並んでオランダ語の案内も表示されていて、へ~と感心しました。
日本移民が笠戸丸で来たように
オランダ移民の方たちも、故郷を離れる時にはいろいろな思いがあったのでしょうね。
オランダと言えば農業大国、移民の方たちは花卉技術の他にも
牛とか豚も連れてきたそうです。
搾乳の道具の中には、これは最近のだろう!!
的なものも交じっていますが...
以前は この場所に 協同組合があったそうです。
協同組合は現在別な場所に移り、町の農業を支えています。
また、生活用品や当時の住居の様子なども再現されています。
日本の「唐箕」そのものですよね。
トウモロコシの実??を選別する道具だそうです。
こんな感じで大きいものから小さなものまで、農機具がたくさん。
それらの農機具を修理した道具。
家庭内の道具もどこか懐かしいものばかり。
ずいぶんたくさんのアイロンがあったわ。
オランダ人几帳面だった??
今でも十分に使えそうなオーブン
おいしいピザが焼けそうだよね。
質素だけど整えられた室内ですね。
子供たちの遊んでいたおもちゃも
とにかく盛りだくさんの資料館です。
木靴の体験コーナーも
娘によると、意外と履きやすくて歩けるものだそうですよ。
入り口には自転車も。
デンマークでママチャリで走り回っていた娘にはぴったりだわ
たっぷりとお勉強もできたペケ母娘でした。