10月も終わりに近づき、文房具店の店先に来年のカレンダーや予定表が並び始める時期となりました。
昨年のこの時期、私は日本でこの風景を見ていました。
夫がまだ車いすで外出できるぐらいの状態でした。
もう遠くに散歩に行くことは難しく、アパート近く、宇都宮の駅ビルのショッピングセンターに、良く散歩に行っていました。
本屋さんをブラブラ見ていると、一角に来年のカレンダーがたくさん並んでいました。
夫に「ほら、来年のカレンダーだ。お父さん、どんなのが良い?」と声をかけました。
夫は車いすに乗ったまま、一緒に一通り見ましたが、首を振りました。
「わんこにゃんこのがあったらいいね、またうちのワンコ達の写真で作ろうか?」と言うと、にっこりしたようでした。
来年はどんな年になるかな?
良い年になるといいね。
そんな話をしました。
その次にこの本屋さんに行った時の事です。
私が何か買い物をして、レジに向かいました。
夫には「お父さん、レジして来ちゃうから、ちょっと待っていてね。」と言って、夫の乗った車いすを人通りのあまりない本の棚の間に停めました。
レジを済ませ、車いすに戻ってみると...
夫がいない!!
真っ青になりました。
もうこの時期の夫は、自分の足で歩くことはほとんどできなくなっていました。
様態が急変して、どこかに運ばれたのだろうか?
苦しくて、本の間で倒れているのだろうか?
真っ青になってあたりを探しました。
すると...
夫は来年のカレンダーの吊るしてあるラックにしがみつくようにして、一生懸命にカレンダーを見ていました。
その姿を見て、私は自分がとてもひどいことをしてしまったのだろうかと思いました。
夫にはきっと来ない来年。
私が「来年は...来年は...」と話すのを、一体どんな気持ちで聞いていたのだろう。
夫は私を見つけると、ホッとしたような表情になりました。
急いで車イスを持ってきて、ゆっくりと座らせました。
これが夫が自分一人で立ち上がって歩いた、最期の時間でした。
数年前までは、来年のカレンダーや予定表を見ると、ワクワクしたものでした。
夫もこの時期になると、自分で使いきれないほどの予定表やカレンダーを持って帰ってきていました。
楽しそうに予定表を埋めて行った夫の顔が、車いすに座る夫の後ろ姿に重なって見えました。
自分には来ないであろう「来年」を、夫はどんな気持ちで見つめていたのか。
お父さん、車いすでもいいから、お正月には一緒に初詣に行きたいね。
春になったら、また、桜も見に行こうね。
来るはずのない「来年」が、私の頭の中にもたくさん浮かんできました
「来年」がたのしみだと思えるのは、それだけでとても幸せな事、大切にしなくてはならない時間だと思います。
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