図書館で借りて来た本です。
「昭和の日本のすまい」(創元社)
もちろんコルビジェやルイスカーンの様な名建築家の
住宅作品も大好きですが、
一方で近代や戦前と現代、僕が過ごして来た時代を
つなぐ建築にも興味があります。
そして街並みの変化。
スクーリングでも訪れた京町屋の通り庭。
炊事、日常生活、社交の場としての通り庭。
天井を張らない土間空間の抜けのいい解放感が良かったです。
でもこれはかなり恵まれた空間。
庶民の生活空間の変遷を追って行くと
いつの間にか僕や僕の同世代が育っていた
空間のバリエーションにたどり着きます。
俗に言う文化住宅とアパート。
さっきの通り庭が真ん中の廊下になったのがアパート。
長屋を二階にも載せたのが文化住宅。
僕の9歳くらいまで、世田谷砧での原風景です。
2階の廊下で遊んでいて階段を転げ落ちたことが約5回ほど。
階段を転げ落ちるときって意外と痛くないんですよね。
本当に頭の周りを星がめぐる感じ。
気を失って数秒してから痛みで目覚める。
そんな子供時代でした。
通天閣からのこの風景はなんとなくわかります。
昭和30年の風景なのに麓の阪堺電車の恵美須町駅だけ
そのまんまだったりして。
でも都市空間のスクラップ&ビルドと
郊外スプロールでどんどん庶民の住空間が変化して
いく様が今に繋がる様子がよくわかりました。
大阪の守口の長屋風建売。
親友の実家はまさにこれでした。
見舞いで訪れたのにてっちり・てっさでもてなして下さり、
居間に布団ひいて一泊させて下さいました。
戦後の高度経済成長で持ち家を欲する人が増えて
郊外、僻地、山のすそ野まで
しかも注文住宅ではなく建売で家を求める人々...
はい、私もその一人です。
そして社宅や財形、住宅ローン補助について。
特に社宅については、国際労働機関(ILO)が昭和36年に
「日本の社宅は労働者を企業にしばり付けるもの」として
公営住宅化を勧告していたそうです。
16年前、最初の会社を辞めるとき、当然社宅からも出ました。
不連続に見えてみんなしっかりつながっていました。
(一部写真を本文より引用させていただきました)