詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

世に倦む日日 幹事長。森裕子がいいと思う。院内活動を熟知しているし、他野党との交渉や調整をよくできる

2020年07月18日 | 政治
本当に4月と同じ感染状況になった。早く緊急事態宣言を出して外出制限をかけないといけない。自粛要請して移動と接触を止めないといけない。すぐに病床が重症者で満杯になる。死者が増える。医療従事者と保健所が疲弊する。GoToどころじゃない。https://news.yahoo.co.jp/articles/8586136eb4b8284fc15461e141a2fa0ebc8d4498 …

朝日が仕掛けましたね。新規感染者数86人の大阪も無理だ。GoToキャンペーンから外さないといけない。こんなに感染者の多いところから地方に行っちゃいけないし、来させちゃいけない。東京・埼玉・千葉・神奈川・大阪・京都は除外。キャンペーンそのものを中止すべき。https://news.yahoo.co.jp/articles/684eb28b41d828c624a11f60bbfeb2d303400952 …

小沢一郎は大きな船を作ろうとする発想と路線だから、いいんじゃないかな。国民民主と立憲民主を一つにし、それに太郎新党も加えて一つにしようとする方向性。本来、山本太郎は、国民民主、立憲民主、共産の三党を一つに纏め、小選挙区で自民現職と戦うシンボルの存在だった。その原点に戻ればいい。

幹事長。私の案はですね、いきなりだけど、森裕子がいいと思う。院内活動を熟知しているし、他野党との交渉や調整をよくできる。選挙も知っている。発信力もある。ダメージを受けてぐらついている小新党。小沢一郎が、再度、庇護者として出てくるのがいいんじゃないかな。安定感を回復できる。

だから、れいわ新選組の組織のマネジメントは変えないんですよ。組織のマネジメントを変えないとはそういうことだ。これまでの成功体験の積み重ねを土台から否定することになる。田中龍作の要求は、斎藤まさしを外せということだが、簡単には応じられない。それじゃ誰を幹事長にするんだよということ。

田中龍作や山口泉がいろいろ言っているが、山本太郎に即して考えればすぐに分かること。(少し政治に口出して目立つだけの)一介の役者・芸人でしかなかった自分を、ここまでの政治家にしてくれたのは誰か。誰のおかげでここまで来れたか。斎藤まさしです。斎藤まさしの力が7割。小沢一郎の力が2割。

(物議を醸すかもしれないが)、れいわ新選組には幹事長がいるんですよ。全てを仕切っている幹事長がいる。組織だけでなく政策や路線も仕切っている。斎藤まさしだ。そのことは昨年の記事で書いたとおり。昨年までは、斎藤まさしと小沢一郎の二人がブレーンだった。今年からは斎藤まさしが一切を統括。

8月に提案して、様子を見たが、山本太郎からも、支持者からも、反応はゼロだった。無視された。まあ、何の反応もないだろうと思っていたし、山本太郎がどういう政党作りをするかも予想できていた。予想どおりの進行となったけれど、私にとっても彼にとっても想定外で誤算だったのはコロナ禍の到来。

れいわ新選組について、幹事長を選べと最初に提案・勧告したのは、おそらく私だ。昨年の8月のことですが、ご記憶でしょうか。参院選が終わった直後のこと。その後、12月にもリマインダの記事を書いた。皆さん、もう少し早く声を上げて加勢してくれればよかったですね。https://critic20.exblog.jp/30392732/

梨の木ピースアカデミー:今しか見られないNHK映像が明かす日本の戦後処理とは

2020年07月18日 | 四要素論
*レイバーネットMLから

皆様
コロナの影響で、著作権が限定フリーになっている貴重なNHK映像を、 元NHKディレクタ
ー桜井均さんと一緒にみます。日本のメディアは戦争と戦後日本をどう描いてきたのか
。コロナ時代に読むNHK映像は、今の時代をどう考えさせるでしょうか。今しかみられな
い貴重を映像を一緒にみて語りましょう。宣伝・参加大歓迎です。李。

◆ 第2回 2020年7月18日(土)
「皿の碑」(1974年8月9日)
四国88か所の札所浄瑠璃寺(愛媛県)の本堂の裏の縁の下に捨てられていた300余枚
の皿。そこには七五調の4行詩が書かれていた。ニューギニア、サイパン、満州、華北、
ビルマなどの地名があり、村の戦死者の仕事や人となりが焼き込まれていた。戦後の占領
下、村の出身の元新聞記者相原熊太郎が一軒一軒を歩いて書き綴ったものであることがわ
かった。いったい彼らはどこでどんな死にかたをしたのか。そして、なぜ皿はそこに打ち
捨てられていたのか。90歳になった元記者は、東京にいた。しかし、視力を失い、記憶
も薄れていた。取材班は、老人の足跡をたどり直すことにした。わかってきたことは、村
の人々は戦争のことに触れることで、GHQの不興を買うことを恐れるあまり、元記者を
排斥したことだった。日本の戦後処理のあいまいさを、打ち捨てられた皿が物語っていた


映像を「読む」
このシリーズは、映像を見るという常識をはなれて、「読む」ことに専念してみようとい
う試みです。読書会ならぬ「読映会」です。ドキュメンタリーには、見えにくい文体(st
yle)があり、それを読み解くことで、あらためて発見できることがたくさんあります。
パンデミックの閉塞感のなか、複数の人間が同じ映像をじっくり読み込み、語り合うこと
で、映像の背後に隠されてきた時間や空間、とりわけ戦争の深層(deep structure)を浮
上させ、共有することは大切なことです。
日本におけるテレビの草創期は、戦後の復興経済から高度成長経済にさしかかる時期と重
なります。殊に、戦争に関するドキュメンタリーは、戦争被害の実態を体験者の証言から
再構築することから始まり、やがて、日韓基本条約やベトナム戦争への批判から、戦場と
なったアジアへの視点を拡大していくようになりました。次に、冷戦の崩壊、昭和天皇の
死去などを契機に、戦争指導者の責任を追及する放送が出始め、併行して、中国大陸、朝
鮮半島、東南アジアにおける戦争犯罪など、日本人の加害責任を問うようになりました。
当然のように、それに対する反動も激しくなり、歴史教科書の記述をめぐり「自虐史観」
との攻撃をする勢力も勃興してきました。
今では、戦争に関する番組は、歴史修正主義との激論の磁場から自由に放送することはで
きなくなっています。しかし、次世代の作り手たちを中心に、さまざまな視点も発掘や、
表現の方法などを考え、過去に対する戦争責任とともに未来に対する戦争責任を強く意識
したドキュメンタリーが生まれ始めています。
以上のようなドキュメンタリーの変遷を、時代の背景とともに考えていきたいと思います

講座で使用する映像は、個人がテレビ放送で録画したものです。

開催方法
オンラインとオフライン(あめにてぃCAFE・梨の木舎)

開催日
全6回・原則として隔週土曜日 (14:00~16:00)

定員
50名 (オフライン10名含む)

参考図書
- 桜井均『テレビは戦争をどう描いてきたか 映像と記憶のアーカイブス』(岩波書店、2
005年)

コーディネーター
- 内海愛子(大阪経済法科大学特任教授)
- 李泳采(恵泉女学園大学教授)
- NPA事務局

講師:桜井均(立正大学社会学科非常勤講師) ※講師はオンライン参加
1946年生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。NHKに入局。スペシャル番組センター、エグ
ゼクティブ・プロデューサーを担当。この間,主に教養番組,ドキュメンタリーなどの制
作にあたる。立命館大学映像学部、東京大学情報学環、立正大学社会学科などで教員。著
書に「埋もれたエイズ報告」など。
受賞 
- (1994年) 日本ジャーナリスト会議大賞、放送文化基金賞 NHKスペシャル「埋もれたた
エイズ報告」
- (1992年) 放送文化基金賞本賞 NHKスペシャル「東京裁判への道」
- (1991年) 放送文化基金賞 NHKスペシャル「チョウムンサンの遺書~BC級戦犯裁判~」
- (1981年) 文化庁芸術祭優秀賞 ルポルタージュにっぽん「米ソ艦艇・謎のUターン」

申し込み方法
https://peaceacademy-apply.nashinoki-sha.com/
(単発の方は1講座を申し込んでください)
*申し込みの方へZOOMのリンクと資料を送ります。

コース希望者の場合は、コース6を選択してください。

梨の木ピースアカデミー(NPA)HP
https://peaceacademy.nashinoki-sha.com/


◆ 第1回 2020年7月4日(土) (終了:録画リンク貸し出し中)
「和賀郡和賀町 ~1967年・夏~」(1967年11月3日)
岩手県和賀町は、奥羽山系の山ふところから平野に向かってのびる典型的な東北の農村である。人口1万7000人、その7割は農家である。この放送までの10年間に3000人が減った。この地はアジア・太平洋戦争中に出征した農民兵士の手紙を蒐集、編纂したことでも知られる。高度成長期、第二次構造改善事業で大農化、集約化、機械化が進み、大量の余剰人口を東京に送り続けた。農民兵士の次は出稼ぎ者と集団就職の若者たち。戦争の傷跡が癒えないうちに、次の荒波が和賀町を襲っていた。そのため、村の行事は毎年夏のお盆
の時期に集中する。成人式、老人福祉大会、出稼ぎ者座談会、村対抗運動会、そして戦没者慰霊祭。複数のカメラが、人々の動きを追い、その多声(ポリフォニー)のなかから、戦争の惨く隠された告白を聞き分ける。南方戦線での人肉食の記憶が語られるが、その映像はストップモーション。消された声が、かえって心に響く。こうした現実は、公刊戦史には出てこない。

◆ 第3回 2020年8月1日(土)
「昭和の誕生」(1977年1月13日)
昭和天皇在位50年というタイミングで、昭和という時代がどのように誕生したのか、そこにかかわった人々のその後を追ったドキュメンタリーである。昭和2年に挙行された天皇即位式の映像が防衛庁の廊下の片隅から出てきた。それは陸軍陸地測量部が撮影した音声を伴わないフィルムだが、式典の進行状況は、日本放送協会が別個に中継したときの録音と完全に一致する。正確無比に行われたのである。かくて、国民は、天皇が現人神になっていく瞬間を目撃した。画面ににじみ出ているのは、日本人のなかに内面化されていく天皇制の「呪力」である。このページェントに参加した人々は、この後、戦争の時代に突入
していく。

◆ 第4回 2020年8月22日(土)
「戒厳指令“通信ヲ傍受セヨ” 2・26事件秘録」(1979年2月26日)
昭和が誕生して11年目、1936年に二・二六事件が起こった。昭和天皇35歳の時だった。二・二六事件は、陸軍の青年将校らが天皇中心の「親政」を実現しようと、テイト東京の中枢部で蹶起し、首相をふくむ重臣たちを暗殺または重傷を負わせたクーデタであった。
しかし、このパニックのなかで、秘かに電話が盗聴されていた。その録音盤が発見されたのである。それは、青年将校と北一輝(「日本改造法案」の著者)の会話、兵士たちに原隊復帰をうながす上官の声などを記録していた。皇道派のクーデタはなぜ盗聴されていたのか。のちに、軍上層部がからむ陰謀事件の解明の端緒になった番組である。

◆ 第5回 2020年9月5日(土)
「戦犯たちの告白 ~撫順・太原戦犯管理所 1062人の手記~」(1989年8月15日)
昭和天皇の死去後初めての終戦記念日特集。中国の撫順、太原における戦犯裁判で有罪とされ、教育を受けたのちに帰国した日本軍将兵が書いた手記を携え、あらためてそれを書いた本人の証言をを求めた番組である。その中には、自分たちが略奪、放火、殺戮を行なった中国の村々を訪ねる人たちがいた。直接対面した中国人の厳しい言葉に、身を凍らせる姿もあった。(放送から11年後、そのなかの二人の元兵士が東京・九段会館で行われた「女性国際戦犯法廷」で証言した。しかし、それらはETV2001「問われる戦時性暴力
」の改ざん事件で、放送直前に落とされてしまった。)

◆ 第6回 2020年9月12日(土) 隔週でなく連続週となります
「チョウ・ムンサンの遺書 ~シンガポールBC級戦犯裁判~」(1991年8月15日)
1941年末以降、日本軍は、東南アジアに進攻し、連合国軍の将兵を捕虜と収容し、泰緬鉄道の建設などで過酷な強制労働に駆り立てた。このとき、労働力を供給した捕虜収容所の監視員のなかに、朝鮮半島出身が含まれていた。戦後、現地で開廷されたBC級戦犯裁判で、彼らは日本人として裁かれ、重い刑を言い渡された。その一人、チョウ・ムンサンは捕虜にビンタをはったことがジュネーブ条約に反するとして、一審即決で死刑を宣告された。彼が、処刑の直前まで綴っていた遺書が残されている。そこからは、日本の朝鮮
植民地支配を受けた若者の無念の思いが伝わってくる。また、死刑を免れ、スガモプリズンに移送された韓国・朝鮮人の戦犯たちは、戦後10年たって釈放され、日本の地に住むことになった。彼らは、日本人として裁きを受けながら、GHQの占領終了後は、韓国・朝鮮人として戦後補償の対象から外された。日本の植民地支配の責任がいまだに果たされていない。
ーーー
1講座からでも受講OK
東アジア関係,憲法,沖縄,ジェンダー,メディア,福島・水俣・秋田の「現場の声」,市民の新ライフスタイル,韓国語,韓流カルチャーなど多様なコースがそろってます❗
割引期間中のまとめての受講がお得お申込みはお早めに⚡🔸⚡
詳細はWEBサイト➡http://peaceacademy.nashinoki-sha.com
シェア歓迎梨の木ピースアカデミー公式サイト
https://peaceacademy.nashinoki-sha.com/
お申込み手順https://peaceacademy-apply.nashinoki-sha.com/blog/2020/06/22/121659
よくあるご質問https://peaceacademy-apply.nashinoki-sha.com/blog/2020/06/23/20415
3

あめにてぃCAFE・梨の木舎
http://amenitycafe.nashinoki-sha.com/map.html

梨の木チャンネル(YouTube)
https://www.youtube.com/channel/UCgnEUOH0UGvcVXOgtWc8ZfQ
*受講関連問い合わせNPA HPの問い合わせフォームにお願いしますhttps://peaceacadem
y.nashinoki-sha.com/

渡部通信 : 高校生ビラまき弾圧事件

2020年07月18日 | 歴史
  ・「都教委包囲首都圏ネットワーク」、・「新芽ML」、
  ・「ひのきみ全国ネット」、・「戦争をさせない杉並1000人委員会」
の渡部です。
=============================
(少し長いです)
東京で、公道でビラまきをしていた高校生が不当逮捕された。
彼を支援する仲間たちが出した『校民日報』(1号、2020年7月15日発行)によると、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 7月8日の朝、目黒区立第九中学校の近くで小山台高校の水泳授業のあり方を批判し、
生徒の権利を訴えるビラを配っていた現役高校生Iさんが第九中学校の高橋秀一副校長に
「公務執行妨害」の嫌疑で逮捕され、警察に連行されたのだ。・・
7月7日から目黒区立第九中学校付近でビラをまいていたIさんは7日のビラまきの際も、
高橋副校長にビラをまくことを執拗に妨害されていた。
これを踏まえ、8日のビラまきでは学校から離れた場所でビラをまいていた。
しかし高橋副校長はわざわざIさんのもとに来て、ビラ配布をやめるよう妨害を行った。
あまりにひどいため、Iさんが表現弾圧の証拠として撮影しようとしたところ、
高橋副校長が怒鳴りながらIさんにぶつかってきたのだった。
しかもなんとぶつかってきた高橋副校長は、Iさんに殴打されたと主張。
警察を呼び、Iさんを不当逮捕させたのだ。こんなめちゃくちゃな話があるのだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ということである。
Iさんはその後、10日間の起訴前勾留となった。
<被疑事実>には次のように述べられている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
被疑者は、令和2年7月8日午前8時頃、
東京都目黒区洗足1丁目8番13号青木方路上において、
目黒区立第九中学校の職員証を首から下げて同所を巡回していた
同校副校長高橋秀一(当時55歳)らから、
ビラを配ることについて注意を受けたため、
所持していた携帯電話機のカメラで同校教員を撮影しようとし、
その頃、同所において、被疑者が撮影するのを遮った前記高橋の右手を、
携帯電話機で殴打する暴行を加え、もって同人の職務の執行を妨害したものである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

また、勾留の事由としては、下記の2、3に当たるという。
 1、被疑者が定まった住所を有しない。
 2、被疑者が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある。
 3、被疑者が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由がある。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昨日(7月17日)、勾留をさらに10日間の延長をするかどうか、
「勾留理由開示公判」が東京地裁で行われた。
緊急な連絡だったが、傍聴に48人が駆けつけてくれた。
(公安も10人余り配置されていた)。
しかし、傍聴席はコロナ感染予防で15席しかなく、抽選になった。
429号室の前は40程の警備がおり、物々しく、持ち込めるものは筆記用具だけだった。

公判では、最初に裁判官からIさんが氏名・生年月日・住所・職業について聞かれたが、彼はすべて黙秘した。
その後、裁判官は先に述べた「被疑事実」と勾留の「事由」を述べた。

それに対し、弁護士(3人)は、40項目以上のことについて釈明を求めた(「求釈明」)。
しかし、多くの項目について、裁判官は「答えられない」と述べたため、傍聴者の一人が「答えろ!」とやじったところ、裁判官は「退廷」を命じた。
すると、警備の職員が一気に大量に法廷になだれ込み、彼を押さえつけ退廷させるということがあった。

「求釈明」は、次のような構成からなっていた。
 第1、勾留状に記載された被疑事実について
 第2、被疑者に対する逮捕行為(逮捕前置主義について)
 第3、勾留の理由について
 第4、勾留の必要性について

ほとんどの所で、「答えられない」と述べたが、
いくつか答えたところがあるので、以下に箇条書きにしたい。

①「・・・青木方路上」とある場所は「第9中学校の構内か」については、
 「構内ではない」と答えた。
②「公道上かそれとも私有地か」については、
 「公道上である」と答えた。
③「公道上で巡回し、注意をする立場であったのか」には答えなかったが、
 「巡回しビラへの注意をしたことは適法である」と述べたので、
 弁護士は「本気か?」、「ビラには第9中学校のことは書いていないのに、
 また生徒に何もやっていないのに、なぜ注意できるのか。
 なぜ適法なのか理由を述べてもらいたい」と述べた。しかし、これには答えなかった。

また、「携帯で殴打」についても、「そのとき副校長は職員証を下げていたのか」、「携帯を奪い取ろうとしたのではないか」、
「携帯を触ったのではないか」、「どのような資料から殴打したと判断したのか」などについても明確な釈明はなかった。

「逮捕時」のことについても、「Iさんは逃げようとしたのか」
(彼は逃げもせず、警察の車に乗せられ初めて逮捕されたことを知った:接見弁護士)、「告知をしたのか」についても釈明はなかった。

そこで弁護士(3人)は、それぞれ、
・「公務執行妨害というでっち上げ事件だ」、
・「言論の自由を妨害するものだ。7月14日に家宅捜索も行われたが、
  押収されたのはそれ以前の無縁のビラ26点だけで、情報収集活動をしている。
  政治活動を鎮圧するものだ」、
・「裁判所は人身の自由を奪っている。証隠滅とか逃亡の疑いなどはない。
 勾留延期を棄却すべきである」と述べた。

以上のように、今回の事件は、高校生の公道でのビラまきに対し、
 ①ビラに直接関係のない副校長が学校の構外まで出てきて執拗に妨害し、
 ②それを撮影しようとした携帯を取り上げようとし、
 ③「殴打された」として警察を呼び、「公務執行妨害」で逮捕させ、
 ④高校生を勾留までしているという、
きわめて不当で異常な言論や表現の自由への弾圧事件である。

にもかかわらず、閉廷後1時間程して、裁判所は
「勾留期間の延長」(理由:証拠解析・精査の未了。検察官による被害者、
 目撃者の取り調べ未了、処分決定のための補充捜査未了)という文書を出してきた。
明らかにこのでっち上げ事件を利用して、ビラまきなどに対する弾圧を強化しようとしていると考えられる。私たちは闘わなければならない
 ―――――――――――――――――――――――――――――――
「Iさん救援会」は、近く、彼が勾留されている碑文谷警察暑への抗議行動を行います。
 また、闘いが長引くことも考え、カンパ募集も始めました。
 <振替番号>00110-5-49424
 <加入者名>「全国集会・交流集会」で、「I君カンパ」と書いてください。
是非ご協力ください。
                       以上
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(おしらせ)
    『公開討論会「2020年コロナ禍と学校現場」』
   <日時>2020年9月6日(日)13:00~17:00(で借りています)
 <場所>しごとセンター・地下講堂
 <内容>①参加者からこの間の動きと現状を報告してもらう ②討論 ③提案 ④まとめ
   義務制、高校、特別支援学校、子ども食堂、学生、などの方々に交渉中。
 <対象>現場教職員をはじめ関心を持つ人々に広く集まってもらう。
 <資料代>500円
 <主催>都教委包囲首都圏ネットワーク

政府は再度の緊急事態宣言を出せ - 第2波を起こした三つの感染ルート

2020年07月18日 | 歴史
https://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/
政府は再度の緊急事態宣言を出せ - 第2波を起こした三つの感染ルート_c0315619_16261976.png
今日16日のモーニングショーで、玉川徹が東京新聞の報道を紹介していた。練馬区の保健所では、コロナ感染を疑う市民からの電話が鳴り止まない状態になっていて、PCR検査の順番が取れず、待機を要請されている事態だという。すでに3月4月と同じ状況になっていた。

小池百合子は、1日4000件のPCR検査数を鼻高々で自慢しているが、それでは全然足りず、東京では市中感染が広まっている。玉川徹が指摘したように、1週間単位で見たとき感染者数は倍、倍と増えていて、今週末から来週にかけて東京都の感染者数は400に膨らむ可能性がある。大曲貴夫の予測では、感染経路不明者の数は4週間後(8/11)に現在の16倍の1200人となり、さらに4週間後(9/8)には256倍の19200人になるという数字が示されている。4月中旬にニューヨークで1日の感染者数が最大だったときが1万1500人だが、それを凌駕する水準だ。何も対策を打たず、感染拡大を阻止しなければ、この予測どおりの結末になるだろう。


政府は再度の緊急事態宣言を出せ - 第2波を起こした三つの感染ルート_c0315619_16401730.png
第1波が起きたとき、感染者数は4月中旬まで急上昇のカーブで増加したが、同時にその過程は行政とマスコミが必死になって「人と人の接触を減らす」呼びかけをした刻一刻だった。小池百合子の「ロックダウン」発言が3月23日であり、それに触発され牽引されて政府が緊急事態宣言を出したのが4月7日である。西浦博が「42万人死亡説」の脅しを発したのが4月15日であり、山口那津男が官邸に給付金10万円の談判に乗り込んだ日と同じだった。

その間、テレビの報道番組は毎日毎回、繰り返し執拗に渋谷駅前交差点の現在の様子を映し、人出が減った現況を伝え、人と人との接触を8割減らす目標の必達を国民に訴えていた。外出自粛の厳守を呼びかけていた。その甲斐あって、5月に入って陽性者の数は急速に減って行く。5月中旬以降、「日本の成功」が喧伝され、5月25日に緊急事態宣言が解除される。スタバやユニクロやQBハウスが店を開け始め、市民生活は長い「戦時」から解放されて一息つく安堵の局面となった。


政府は再度の緊急事態宣言を出せ - 第2波を起こした三つの感染ルート_c0315619_16361260.png
最早、第2波の襲来は否定できない。今回の事態が厄介なのは、行政も専門家もマスコミも等閑に徹していて、危機を危機として認識することなく、市中の混雑を防止しようとせず、都市の人流をそのままにしていることである。経済の再開再興を旗印に、感染拡大を放置し、放置するどころかトランプ的に拍車をかける政策まで遂行していることだ。

3月4月の頃の空気感と全く違う。「感染防止と経済活動の両立」と言いつつ、実際には経済活動を重視した開放の流れで進んだのが、6月7月の日本の楽観に満ちた日々だった。空気は弛緩し、企業はテレワークをやめて社員を都心のオフィスに戻し、会社の飲み会が解禁され、テレビも出演者をスタジオに戻している。ウィルスからすれば、自由に活発に繁殖できる環境条件になっている。発表される感染者数は2週間前の感染実態だから、常識で考えて、大曲貴夫の予測が今後の推移の想定として正しいところに違いない。少なくとも今後3週間は、感染者は増え続けるだろう。東京都の感染者数は月末までに1000人を突破するだろう。


政府は再度の緊急事態宣言を出せ - 第2波を起こした三つの感染ルート_c0315619_16383861.png
政府は再度の緊急事態宣言を出すべきである。少なくとも東京と埼玉・千葉・神奈川については4月頃の厳しい自粛環境に戻すべきで、日本型ロックダウン、すなわち自発的非強制的な都市封鎖の措置に踏み切る必要がある。そうしないと、感染者数が指数関数的に増え、全国に感染が拡大して取り返しのつかない事態になる。米国やブラジルのような窮状になる。高齢者に感染が広がり、各地の病院と福祉施設で深刻な院内感染が起き、医療体制が崩壊して死者が急増する。

今すぐに強力なハンマーを振り下ろすことが重要で、第2波の勢いを止めることが急務だ。米国のように感染が深く蔓延して日常化すると、どれほどPCR検査を増やして陽性者の隔離を徹底させても、ウィルスの力に社会全体が征服されて人の力では制御できなくなってしまう。日本は人口の中の高齢者の割合が高く、加えて、過剰なリストラ(聖域なき構造改革)のせいで医療体制が脆弱だから、米国以上に悲惨な結末になりかねない。GoToキャンペーンなど論外で、緊急事態宣言の再発出こそすぐに決定して行動に移さなくてはならない。

政府は再度の緊急事態宣言を出せ - 第2波を起こした三つの感染ルート_c0315619_16441331.png
昨日15日の東京都のモニタリング会議で、杏林大の山口芳裕は、東京都は3000床のベッドを確保するべく各病院に働きかけているが、現状、1500床がやっとで、そこから増やすのに四苦八苦しているという話があった。大曲貴夫の見通しどおりに感染者数が拡大すると、来週か再来週には病床が埋まり、医療体制が逼迫し、救急搬送先がなくなるだろう。おそらく、その問題は東京都よりも先に埼玉県で深刻化しそうで、病院に入れず、ホテルにも入れず、自宅待機を余儀なくされる患者が溢れ、モーニングショーで話題になるに違いない。3月4月と同様、保健所に電話しても、しばらく自宅で様子を見てくれと冷酷に突き放され、検査を受けさせてもらえなくなるだろう。

PCR検査のキャパは以前より増えているが、医療体制の不備は解消されておらず、入院施設や医師・看護師のマンパワーの手当が全くできてない。重症者がこのまま増加すれば、すぐに医療崩壊に陥るのは確実だ。「4日間待つのだぞ」の子連れ狼的フレーズは使えなくなったとして、保健所はどういう言辞で門前払いするのだろう。

政府は再度の緊急事態宣言を出せ - 第2波を起こした三つの感染ルート_c0315619_16474943.png
第2波の押さえ込みはなぜ失敗したのか。感染の第2波はどこから来たのか。三つのルートがあると私は推測する。第一は、「夜の街」からのスピルオーバーである。感染症研の島田智恵によるスピルオーバーの説明は説得的で、もっとマスコミで光を当てて議論してよい。「夜の街」には感染症が蓄積し滞留しやすい性質があり、最後までウィルス消滅を阻む素地がある。歴史的一般的にその傾向がある。そこを根治しないと周辺に漏れ出るリスクがあり、疫学にとって「夜の街」問題は永遠のテーマだろう。

岡田晴恵は、新宿など「夜の街」のローラー検査を提唱し続けたが 採用されなかったと苦言を述べている。第3波に備えての教訓と課題ということになるだろう。第二は、国際線の空港ルートである。これは、大塚耕平が7月9日の報道1930で漏らしていた事実だが、特にある国からの航空便で顕著な数の感染者が出ているという。大塚耕平は国名を言わず、政府は情報公開をするべきだとだけ言った。松原耕二は国名を訊かなかった。普通に考えて想像するのは、米国だろう。議論は続かず伏せられた。

政府は再度の緊急事態宣言を出せ - 第2波を起こした三つの感染ルート_c0315619_16503938.png
思い返せば、春の日本での第1波も、武漢から入った最初のウィルスと、次に欧米から入った感染力の強いウィルスと、二通りがあると専門家が分析していた。そして児玉龍彦は、愛知県に最初にウィルスを持ち込んでクラスターを次々発生させたケースがハワイ旅行帰りの夫婦だった点に着目、イタリア経由で米国から侵入したウィルスが日本の感染の主役になったのだと看破していた。

武漢ルートは右翼が叩きまくったが、米国ルートについては誰も言及しなかった。第三のルートは、第二とも関連するが、米軍基地へ検疫なしで入った米兵の体内のウィルスである。沖縄では、今、大問題になっている。沖縄だけでなく、米兵はフリーパスでどこでも着陸でき、自由に接岸上陸できる。横田でも厚木でも岩国でも、横須賀でも佐世保でも。そこから繁華街に繰り出すことができる。歴史を振り返れば、幕末に大流行して28万人の死者を出したコレラも、安政条約が締結された1858年、長崎に停泊していた米海軍軍艦ミシシッピの水兵が発症し、そこから全国に感染が拡大したものだった。ミシシッピはペリー艦隊旗艦のサスケハナに帯同し、浦賀沖に現れた四隻の黒船の一隻である。


第二と第三のルートの監視と遮断も課題である。政府と米国に情報公開させないといけない。第二・第三のルートを放置すれば、国内でどれだけPCR検査して隔離を徹底しても、何の意味もない。

〔週刊 本の発見〕三上智恵『証言 沖縄スパイ戦史』

2020年07月18日 | 政治
http://www.labornetjp.org/news/2020/hon165
毎木曜掲載・第165回(2020/7/16)
過ちの記録こそ次の過ちを防ぐ地図になる
『証言 沖縄スパイ戦史』(三上智恵、集英社新書、2020年2月刊、1700円)評者:志真秀弘

 1945年3月26日、米軍は慶良間諸島に、さらに4月1日沖縄本島に上陸し、陸軍第32軍との間で凄惨な地上戦が繰り返される。その結果民間人を含む20万人余りが亡くなり、6月23日牛島満司令官の自決によって沖縄を「本土決戦の捨て石」とする作戦は実際上終わる。が、本島北部にはすでに前年9月、スパイ養成を目的とする陸軍中野学校出身者が大本営より配属されていた。第32軍壊滅後も米軍を撹乱するために、徴兵前の15歳から17歳の地元の少年たちを主力に遊撃隊を組織する任務がかれらに与えられた。第一護郷隊(正式名称は第三遊撃隊、村上治夫隊長)は今帰仁村、名護町などの出身者610名、第二護郷隊(第四遊撃隊、岩波壽隊長)は国頭村、大宜味村などの出身者388名からなった。

 映画『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵、大矢英代共同監督)は埋もれていたこのもう一つの沖縄戦を証言によって描き、大きな衝撃をあたえた。

 本書は、これに新たな少年兵の証言、軍が全国に遊撃隊を展開しようとしていたことを明かす証言、さらにその後判明した住民虐殺の真相なども加わり、読むものの魂を揺さぶる。

 本書は「少年ゲリラ兵たち」の証言から始まる。

 彼ら21人の証言のどれからも戦場となった村の空気、そこで生活する人たちの呼吸、そして一人ひとりの戦後の人生が伝わってくる。


*映画『沖縄スパイ戦史』より

 たとえば1929年生まれの「リョーコー二等兵」こと端慶山良光(ずけやま・よしみつ)さんの証言。戦場で頬に手榴弾の破片を受け傷病兵になる。同じ傷病兵の友人は足手纏いになるからと軍医が射殺する。彼も逃げる途中殺して置いていくと仲間に言われるが、半死半生で生まれた村にたどり着く。が、村に帰ったあと戦争PTSDを発症。村内で暴れ回るために座敷牢に閉じ込められるなど「兵隊幽霊」と呼ばれ苦しむ。が、五十歳を超えてキリスト教の洗礼を受け、信仰に助けられPTSDを克服する。いま彼は一人で暮らす。「沖縄戦のこと忘れたら、また地獄がきますよって。僕は・・桜の木を七十歳から植えはじめたんですよ。緋寒桜七十本あまり、・・英霊ですね、沖縄戦でなくなった若い人たちの。・・これを見てみんなに沖縄戦思い出してもらって。」が、かれに国による補償は何もない。護郷隊は秘密組織だから兵歴とみなさないという「理屈」のようだ。

 当時22、3歳だった村上、そして岩波二人の隊長への敬愛の念を隊員たちは異口同音に語っている。二人とも隊員には暴力を振るわず、生き延びることを指示した。それがゲリラ部隊の基本とも言えるが、それは二人がマニュアル通りに努めたというのとは違う。隊員の誰にとってもかれらは優しく、そして人格者であった。が、同時に戦闘のプロつまり敵を殺すプロだった。その両面が彼らにはあった。

 戦後、村上は沖縄へ家族共々慰霊のために毎年のように足を運んだ。そして最後は車椅子に乗って参列し、「もうわんわん、子供のようにね、顔を崩して」人前も構わず泣きじゃくったという。かれが抱えた戦場の闇はそれほど深かったのだろうと著者は書いている。村上は勇猛なゲリラ隊長であって、91人もの部下を死なせた末に生き延びた。その罪を抱えてかれも戦後を生きなければならなかった。そこに浮かび上がるのは沖縄戦の、ひいては戦争そのものの罪深さだ。

 後半の「スパイ虐殺の証言」「虐殺者たちの肖像」の二つの章が、複雑極まりない過程を丹念に捉えて明らかにしているのも、沖縄の地上戦が強いた戦場犯罪の構造と言える。だからこそこれらのことは、不問に付していいことでは決してない。

 「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている。

 著者の執念がこの本の力を産んだ。本書こそ2020年ベストワンと言い切っておきたい。一人でも多くの人がぜひとも本書を手にとってほしい。

高校生にはビラをまく自由もないのか!〜7.17「勾留理由開示公判」ドキュメント

2020年07月18日 | 政治
http://www.labornetjp.org/news/2020/0717shasin
高校生にはビラをまく自由もないのか!〜7.17「勾留理由開示公判」ドキュメント
*高校生グループ「日本自治委員会」のメンバー

→動画(11分)・事件発端記事(7/12)

 「公道上でビラまきがいけないのか」「ビラまき、表現の自由はないのか」「子どもに意見表明権はないのか」。7月17日、東京地裁前で高校生グループ「日本自治委員会」のメンバーはマイクで強く訴えた。この日午後1時半より、学校外の公道でビラをまいていただけで逮捕・勾留されている現役高校生I君の「勾留理由開示公判」が開かれた。


*この日高校生が撒いていた「校民日報」1号

 I君は、7月8日にブラック学校を批判するビラを東京・目黒区立9中付近で撒いていた。それを目黒9中の高橋副校長がとがめ、ビラまきを妨害した。妨害がひどかったためI君がそれをスマホで撮影したところ、副校長が怒鳴りながらI君にぶつかってきた。ところが副校長は逆にI君に殴打されたとして、その場で「私人逮捕」し、警察に引き渡したのだった。罪名は「公務執行妨害罪」。スマホがあたったとしているが、副校長には何一つケガはない。救援会メンバーは裁判所前集会で「こんな“私人逮捕”が乱発されたら大変なことになる。ビラまきひとつできなくなる。絶対に許してはならない」とアピールした。

*裁判所前のアピール行動

 今週はじめにネットにこのニュースが流れると、「あまりにひどい話だ」ということで瞬く間に関心が広がっていった。そのせいか、この日の公判には15人の傍聴席に対して48人が集まった。メディア関係者も多かった。

 もともと事件は軽微で、管轄は強行犯係扱いだったのが、この日は公安扱いに「格上げ」されていた。指定された法廷は、軍事法廷なみの「429号警備法廷」。裁判所が「凶悪事件・過激派事件」用につくった法廷で、空港並みの金属探知機での身体・所持品検査、 さらに傍聴席に入る際に再度厳重な所持品検査と全身の身体検査が行われる。初めての傍聴者は「これが日本の国で起きていることか」と驚きを隠せなかった。    

 またいっぽう裁判所前には、10数人の公安警察が監視を続けていた(写真上)。声を上げる高校生を国家権力はなぜに恐れるのだろうか。応援に駆け付けた多くは「日の丸・君が代」の強制に反対してきた元高校の教員メンバーだったが、先生と生徒がタッグをくんで「教育の自由」「表現の自由」を求めることが目障りなのだろうか。それにしても、やりすぎとしか思えなかった。

*元高校教員が訴える

 記者は傍聴抽選に当たらず、公判の間は同じ4階のフロアーで待機していたが、しばらくすると強制退廷者が出されてきた。事情はこうだった。公判は約1時間行われた。弁護団が勾留理由の説明を10数項目にわたって「求釈明」したが、裁判長は何を聞いても「答えられない」「答えられない」を繰り返した。勾留理由が開示されないのだ。一番前で傍聴していた若者が思わず「ふざけるな!」と声を上げると「退廷命令」が出た。するとあっというまに20〜30人の警備職員が現れ、若者は担ぎあげて外に連れ出されてしまったのだ。傍聴していたある年配者は「あんな回答だったら怒るのはあたりまえ」と語っていた。

 公判後、弁護士会館ロビーで簡単の報告会があった。弁護団がI君からとして「みんなの顔がみえてとてもうれしかった。ありがとう」と伝言すると、「よかった、よかった」の声と大きな拍手が起きた。(M)

*I君が護送された車両に向けて仲間が「頑張れ」の声を上げた

児玉龍彦氏の迫力陳述に…西村コロナ大臣タジタジ逃げ腰 日刊ゲンダイ

2020年07月18日 | 政治
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/309.html

児玉龍彦氏の迫力陳述に…西村コロナ大臣タジタジ逃げ腰
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/276135
2020/07/17 日刊ゲンダイ

何もわかっていない(西村康稔コロナ担当相)/(C)共同通信社

「東京にエピセンターが発生しており、今、全力で食い止めないと、ミラノやニューヨークの二の舞いになる」――。16日、参院予算委員会(閉会中審査)に参考人として出席した東大先端科学技術研究センター名誉教授の児玉龍彦氏の陳述に委員会室は静まり返った。

 児玉氏は、欧米に比べて東アジアの感染が抑えられているのは、過去にアジアの人の間で新型コロナに似たウイルスに感染したことで獲得した「交差免疫」と各国のエピセンター潰しを挙げた。エピセンターとは、無症状の感染者がスプレッダー(感染を広げる人)となり、感染を増やす震源地のこと。外来の感染者から特定の集団が感染するクラスターとは異なる概念だ。

 無症状のスプレッダーを封じるには徹底検査が必要。1つのエピセンターの制圧には20万件以上のPCR検査が相場だ。韓国では宗教団体のエピセンターが発生すると、一挙に検査体制を整備し、約20万人の信者にPCR検査を実施した。シンガポールでは、外国人労働者の寮の“震源潰し”に30万件の検査を行った。6月に起こった中国・北京の食品市場のエピセンターは、22万件の検査で抑えようとしているという。


東大先端科学技術研究センター名誉教授の児玉龍彦氏(提供写真)

「東京にエピセンター。来月は目を覆うようなことになる」

 児玉氏が地方自治体に出向き、ウイルスのゲノム配列の報告を見ると、武漢や欧米とは異なる「東京型」「埼玉型」になっているという。児玉氏は大迫力で訴えた。

「総力を挙げて責任者を明確にして、トップダウンで前向きの対策を直ちに始める。そうしないと、今日の勢いで行ったら、来週は大変になります。来月は目を覆うようなことになります。交差免疫もある東アジアの日本ならば、必ずできます」

 児玉氏の力説に、西村コロナ担当相は「私も児玉先生とも一度お話をしたいと思って連絡をとらせていただいた。以前からですね。必要なら、尾身先生にお話を伺っていただければ」と逃げ腰。

「エピセンターと呼ぶかクラスターと呼ぶかは別としてですね。(略)PCR検査を無症状の方も含めて、積極的に拡充していく。この方針で東京都、新宿区と連携して取り組んでいるところです」

 クラスターとの違いを強調する児玉氏の指摘をみじんも理解していない。西村コロナ担当相任せでは、「ウィズ・エピセンター」がずっと続く。