暴走族を「珍走団」と呼称しよう!ってなキャンペーン(?)を耳にしてから、もう、何年になるだろう。
当時は、その発想に感服したものだ。今では「珍」といっただけで話が通じるケースも多いようだ。
最近、「ちょいワル」と言う概念が、ハヤリのようだ。どういう定義なのかは、よく、知らない。
ただ、TV番組なんかでの使用方法を見ていると、やはり、ヒトをコバカにしている場面がよく目に付く。ハヤリ言葉に良くありがちな感覚だ。
おじさんが「ちょいワル」なぁんて言われてニヤケてる場面を目の当たりにして、「おまえ、バカにされてんだよ?何ニヤケてんのよ?」って、気の毒に思ったりするのは、オレがオヤジ世代の入り口にいるから、だけではあるまい。
こうやってハヤリ言葉によって慣熟されていくうちに、そのカテゴリーの独自性は初期は擬似的に普遍性の一部分としてスリ換えられるのだ。そのうち、定義が定着してくると本当に普遍性そのものの一部になって、結果として無価値なものになっていくのだと思う。
この国において、自己とは異質なものに、まず敬意をもって接し、尊重するという美徳は、今やツマラナイ世界観の一種になりつつある。
「ワル」もそのうち「珍」と等価値になるのではないか、と危惧するのは、オレだけではないと、思いたい。
そういえば、年取った「珍」を「○車会」ってゆーんだろ?
本っ当に最近、オマエ、ゆーよーになったなっ!
ほめられてるの、かな?