憧憬、大艦巨砲主義w

盆栽RF900R 営農機セロー250 奥様号レブル250

文句は言うまいて。

2023-10-16 10:07:20 | 機体と人命を尊重する


マイバイクを選択する際、皆様はどこに優先順位をつけられますでしょう?
ルックス、スペック、高速性能、巡航性能、走破性、積載性、許容性(扱いやすさ)、自己整備性、コストや置き場(居住環境)なんてのもあるでしょうし、他にも要素があるかもしれません。
また、これらの要素が絡み合って総合的に選ばれるバイクが、購買対象になると思うのです。

はて、これらは個々人にとって、普遍的なモノでしょうや?
ええ、そんなコトはございません。
ヒトは内的にも外的にも変わっていくモンでしょう。
初心者時代の彼と、猛者になった彼が同じバイクを指向する、なんてケースは少ないはずです。
状況によっては「一旦、バイクを降りる」なんて方もいらっしゃるでしょう。

大鑑巨砲。
poitaの憧憬です。
アスリートみたいに鍛えこまれたバイクじゃなくて、とにかく地力で大馬力と高速を実現する。
ロケ3がpoitaの「大艦巨砲主義」のピークだったように思います。
アホみたいに重くてデカいバイクに、ひたすら全開ぶちかますのが大好きでした。
身体が後方に持っていかれ、脳の血流が後頭部に集中するような。
巨大な機体を右に左にねじ伏せていくような。

たくさんの方と出会いをくれたのもロケ3でした。
今でもつながっている方が何人もいらっしゃいます。



とかなんとかアレコレ思い出しながら書いていましたら、脳内で「グダって小理屈こね回してんじゃねーよw」ってなお声が聞こえてまいりますw
小理屈アレして自分を正当化するのは、ボケ始めたジジィがやるこったいw
そりゃ、そうだwww
ホンダビッグバイクのおっさん以上オーナー、こんなんばっかりで、うんざりしてたしw
あやうく、「うんざりジジィ」の仲間入りしちゃうとこだったぜwww


うんうん、ココはシンプルにナニしたほうが潔いw
 ・「足が付かない」「重い」とかで苦労したことはなかったのですが、最近、なかなか厳しいw
 ・現宅の庭は素地&バック入庫が必須なのですが、段差もあって押すのがしんどいw
 ・結果として、出撃機会激減w
 ・昨年の20日間にわたる北海道ツアーでアフツイたんの使命は9割完遂したしw
 ・かといって盆栽してても、償却は進んでいくのでもったいないしw
 ・開拓作業なんかもあって、他にやること増えてきましたしw

ビッグバイクとの惜別は確定した未来の一部、従来よりそういう認識でおりましたし。
えぇ、潮時とはこういうことを指すのです。

恋に別れがあるように
この日が来るのが恐かった
ありがとう 友よ
さらば アフリカツイン



違法行為満載の強行弾丸ツアー辞めて、国産4発も辞めて。
今度は、ビッグバイク降りることになっちゃったよw
poitaにとってのバイクの世界は、どんどん狭くなってきた。
アレがナニするのがコワイ、そんなんじゃない。

この世知辛い世の中の空気を吸ったり吐いたりするなかで。
コレが、「分相応」なんだわ、きっと。
そして、この「分相応」の枠を受け入れなければならん自分の実力を、やっと、理解できるようになった。
16からバイクに乗り始めて、ホネ1本折ることなく今日に至ったのが、幸運過ぎたのだ。
なんだこの悟りみたいなアレはwwwww


さて、掲題の回収です。

あのバカは年を取らないので、あの頃の姿のまま、ロクに理解もせずに嘲笑うだろうなw
とはいっても、バイクを降りるわけじゃない。
スタイルがかわるだけ。
だから、まぁ、嘲笑しても、文句は言うまいて。
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お先にアガリ、とさせて頂きます。

2019-04-27 22:38:15 | 機体と人命を尊重する
GW、10連休ですよwww
ニュース観ますと、世の中浮かれまくりといいますか、各報道機関が煽りまくりといいますか。
我社も10連休でございます。
スゴイ。
実は、昨年も連休の中日に有給取れちゃいましたので、10連休しましたのです。
そんなの、長きにわたるダラリーマンライフでも「最初で最後」とか思っていましたのにw
入社した当時はブラック企業の見本みたいな会社でした。
新入社員の初の休日は上司のクルマの洗車に駆り出されまいたのにwww
時代といいますか、世の中も変わったものです。
とは言いましても、すでに1日終了しましたがw


1400GTRを購入して約2年。
バイクでの年間走行距離、約3000kくらいのpoitaですが結局5000kくらい乗りました。
メインバイクは銀翼かCTXでした。
本来はキャンプ用に購入したバイクですが、メインになっておりましたのです。
GTRは「よっし、今日はGTR乗るぞ!」と気張って乗る、そんなカンジになっておりましたのです。
なぜ、いちいち気張らんといけんのか。

「危ないから」なのです。

GTRが我が家に来ましたのは、、、っと。
一旦GTSとCBを処分して「国産4発は降りる」とココロに決めてF6Bに入れ替えたのです。
ですが、やっぱり足りなかったのです。
まだ、poitaには早い、そう思いましたのです。
んで、2年前、GTRの導入に至りました、、、が。
GTR、出ちゃうんですっつーか、出せちゃうんです、速度www

1回GTRに乗りますと複数回「やっべ!」があるのです。
300回のヒヤリハットに対して1割の事故、1回の死亡災害級の重大事故が潜んでいるというのが安全管理上の常識でございます。
「アクセル開けなきゃいいじゃん」
ええ、そうです、知ってますとも。
核心がそもそも確信犯ですから、知っててもヤるのです。
ええ。
ヤってきても生き残ってこれたのです。

駄菓子菓子。

これからも、そのようにあることができる確証はないのです。
確証なんておこがましいですな。
確信、矜持、自信はおろか慢心さえ、すでに残ってはいないpoitaなのです。
うん、マジ危ない。
カンタンな想像です。
他人様に危害が及ぶに至っては、アブナイどころの話ではなく、恐怖でございます。



2度目の決断。
うん、もう、ジタバタしない。
もう、ブレない。


お先にアガリ、とさせて頂きます。


あ、バイク降りるとかではないですけどw
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路上。

2013-05-12 02:41:35 | 機体と人命を尊重する
昨日は雨のオヤスミ。
5月でロケたんの車検が切れるのです。
今回はショップにお任せしよう、と思っていたのです。
いたのですが。
おカネがないのです。。。
はて。
機体、問題抱えてるような気がしなくもないのですが。
仕方ありません。
会社、有給使いたくないのですが。。。
今回もユーザー車検、決定でございます。


と言うワケで。
車両のマフラー、ストックに戻さなきゃならないのです。
ガレージには、ロケⅢ、GTS、VSたん、うーたん、と5台が押し合いへしあいの状態なのです。
当然、マフラー交換のような作業をするには、それなりの作業場所が必要なワケでして。
2台を外に出さないと、なかなか苦しいのです。
雨の中に放置、というのも、アレなのでございます。

んで、今日は、全くの休暇。

バタフライに踊るミク様をお迎えしたりして、遊んでおりました(笑)。
ややや。
ミク様をお迎えするのがメインの御用ではなくて、こういったコトを通じてスマホに慣熟するのが目的なのです。
別段、踊るミク様でなくてもいいのですg、、もういいですかそうですか。



最近。
某巨大掲示板のバイク板を見てて思うのです。
「キケンな行為にムカツク」やら「ヒヤリさせられた」とか。
全く被害者気分で書き込まれてるコメ、ヒジョーに違和感を感じますのです。
ま、コメそのもの、と言うよりは、そういう無責任な方が路上には一定割合実在する、という事実でございます。

ええ。
この上なく無責任な方々だにゃぁ、と不信感を抱く発言なのです。

1点としまして。
ご自身は、他人から見てキケンと映る行為は、一切ありえないのでしょうか?
また、他人をヒヤリとさせてしまう行為は一度もなかったのでしょうか???
左様。
路上には、そういうキケンやヒヤリは、存在してて、しごくアタリマエのコトなのです。
銭湯いったって、回転すし喰ったって、ルールはあるものの、みーんな熟練や認識や判断基準が違うヒトが混在してますのですから。
銭湯やすし屋はキケンが微小なだけで、ヒトの動きは自分の想定とチガウのは当たり前の事実なのです。
加えまして。
そんなことさえ理解できてない自分をひけらかすような発言に引け目を感じないのは、周りが見えていない証左でございます。

2点としまして。
ご発言の方も、実際に回避できたから、掲示板にいてアレコレ発言なすってるワケで。
コドモでも知ってますように、路上を往来するエンジン付きの乗り物は、簡単にヒトを殺傷できます。
逆に、殺傷されないように路上に出るのも必要なスキルなワケです。
poitaだってG共に、「赤信号はとまれ」とか教えましたもの。
キケンやヒヤリは、ある程度回避する能力あって、これまた当たり前のコトなのです。
当り前のコトがあって、当り前のコトができて、実際の損害なくて、何を掲示板で仰りたいのか、意図が不明でございます。
想像するに、「被害者ぶりたい」のかにゃぁ、などと思ったりします。
実際に、被害、ないのに(笑)。
ココで言う「被害者」とはいわゆる無過失の善人を意味するでしょうから、自分がソレである、と言いたいのだろう、と想像します。
うんうん、真逆ですよ。
被害がないのに、被害者ぶるのは実に卑下た行為であって、ちっとも無過失な善人ではありません(爆)。
つまり、こういう方は、自分に過失があってもソレに気付かないか、気付いてても過失がないと言い張ると断じてイイと思うです。

3点としまして。
匿名掲示板でそんなこと仰っても、何にもならないのに、わざわざ書き込むその動機でございます。
キケンやヒヤリを超えて、実際に被害に遭われた方々をどうお考えなのでしょうか?
こういった書き込みをなさる方、キケンやヒヤリを減らす活動、何かやってるのでしょうか???
なーんにもやってないから、匿名掲示板に匿名で書き込んでらっしゃると考えます。
活動やってらっしゃる方は、匿名掲示板でのこういった発言は全く意味がないコト、よくご存知と思うからです。
真剣に取り組んでいらっしゃるから、意味のないコトにカロリーを割いたりしません。
つまり、書き込みの動機は、「事故撲滅」「交通安全」などとは全く意味の違うトコに存在すると思うです。
ま、いろいろ動機はあるでしょうが、「自分のため」であることには間違いない、と判断します。
だって、そういうの、一切、他人のためにはなりませんもの(笑)。


①周りが理解できてなくて、②実害がないのに、③自分のために他者を批判する。
ね???
無責任じゃありません???

こういった人々が路上に一定割合(データはもちろんありませんが)実在するのです。
タイヘンに恐ろしいコトと思うのです。
いつ、自分がこういう方々と路上で絡んじゃうか、わからない。
そういう機会があるかもしれない。
恐ろしくありません???


そんな思いで、今日も路上に出るpoitaなのです。
コメント (11)
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こっち側(完成版)。

2010-10-21 22:24:37 | 機体と人命を尊重する
どうも通しで読まないとナニを言ってるのかワカラナイので、再度重複部分も掲載いたします。
ま、書いた本人しかヨクわからないであろう、放屁な駄文なんですが。




神奈川から帰葉いたしましてココ一年位でしょうか、イロイロと思うトコロがアレしてきたかな、なぁんて思っていたんです。
書くタイミングというか、そういうのもありまして。

神奈川に1年いて、家庭や仕事のコトは別として、最大の出来事ってば、やっぱり事故なんです。
結果としては、別段の大ケガもなく、バイクがダメになっちゃった、そんな程度だったのですが。
ですが。
モノの見方は大きく変わったのです。
ええ。
オレ自身のモノの見方ではなく、周りのオレに対する見方が、です。
ソレによって、自分の価値観も影響をうけつつあるのかしら、なんて思ったりしまして。

バイクの絡む部分でのオレの人生には、大なり小なりいくつもの前提というか、不朽の部分があります。
機体と人命を尊重する、というテーゼの各項は端折りますが、問題はそのアンチテーゼのほうです。
たとえば、遵法という社会のルールはあるけれど、100%のソレは誰にとっても味気ないし、遵法という行為自体が誰にとっても斟酌の対象だというコト。
たとえば、自己責任な運転行為であっても、公道上では無責任な利害関係者によって責任を追及されるというコト。
たとえば、ステイクホルダー達にとっては、速度と危険は比例しても、そうでない者も路上には散見されるというコト。
たとえば、全く落ち度がなくても、与条件に不備がなくても、被害者もしくは受傷者になりうるというコト。
そして、安全や遵法とは全く別の高度な次元で、ソレらにそぐわない価値観がオレの中にも実在するというコト。

このテーゼとアンチテーゼのせめぎ合いに揉まれるコトを承知で、オレは、バイクというどうでもいいようなモノに傾倒しているのです。
そして、そういう考え方をしているかどうかは別として、オレから見れば、ライダーなんてのは誰もがこの揉まれの中で生きてるのだと思うのです。



とはいっても、現実に路上に出て、用もないのにバイクに乗るのです。
明確な結論というのはないんでしょうけど、折り合いというか現実の乗り方が存在しているワケで。
オレ的にソコにあっては、好き勝手にやっている、という要素は半分以下な印象です。

んで。
オレの持論というか主義というかタガというか、「疾い遅いを論ずるコトは、個々の価値観を論ずると同義」というのがあります。
だってだって、先段のテーゼとアンチテーゼの間で揉まれて、その折り合いに現実の速度があるとすれば、ソレは全くの任意であるべきなのです。
全くもって個々の持ちうる価値観に等しい事情であって、ソレは論ずる対象ではなく、尊重されて然るべきでしょう。

そして、安全というか事故抑止というか、そういうものに対するライダー個々のありようも、この話の延長線上にあると思うのです。
あくまで、バイクに乗る、公道上のオハナシですよん。

社会はそんな人々の住むパラダイスではありません。
事故防止がオシゴト給料の官憲はともかくとしても、勤務先、同僚、ご近所、親戚あれこれ、友人、知り合い、そして嘆かわしくも同属性であるはずのライダーまでもが、自分の価値観と相容れない者を批判したがります。
ややや。
こういう批判を述べる権利があるのは、受傷者被害者本人・加害者本人か愛情あるその家族だけですよ。
ステイクホルダー(利害関係者)ヅラして、無責任な批判や勝手な意見を述べる者達を見かけると、心底うんざりするのです。
彼らは当事者にも、交通社会全般という超広義な枠組みで見たって限りなく無関係に近い他人なのですから。
一構成員であることは、もはやステイクホルダーであるとは言えません。
だって、遵法という指標そのものが個々の斟酌でどうにだってそのありようを変えてしまうのですから。



はて、自分自身も含めてですが、ライダーはどうでしょう?
同情憐憫というヒトを卑下したアレを排除したとしても、操縦技術や思考や感覚を理解できてしまうだけに、本人が求めないのに、アドバイスだったり意見だったり。
価値観の変化を、当事者当人が求めて模索している手助けなんて、責任伴ってできる自分なんぞ、はて、存在するんでしょうか??
おこがましい、全くおこがましい、と思うのです。
誰であれ、責任なんて持てるワケねーし(笑)。
煩悶の真っただ中にいるのは本人ですし、時間的経済的利益を逸失して苦しんでいるのも本人なんですから。
愛情ある家族以外にコレを補佐できうる存在を、オレは知りません。
他のライダーにできるコトは、いくらもありません。
そもそも、オレ自身だって、身を持って経験しないと思い知ることができない人間なんですから。

オレにできるコトは、当事者の今までのありようを尊重し、祈るくらいです。
それは、オレが当事者である可能性を見こして、心配されるのがつらい、そういう弱さの反作用、だけなのかもしれませんが。

話は初段に絡んでまいります。
神奈川での事故によって、周りはオレを心配するようになりました。
オレを愛する者たちにとっては、当たり前に存在したオレが、ワリとたやすく失われる可能性を示唆する出来事だったのです。
そしてソレが現実のものになったトキ、その現実を担保するナニかは、仮定の受傷者・被害者であるオレに対し、今現在のオレができうるコト程度しか成り立たないハズなのです。
ナニができるのか。
オレにできるコトは、当事者の今までのありようを尊重し、祈るくらいなのです。

つまりは、無力である、というコトです。
言葉ヅラは理解していたコトなのですが、オレにとって受傷者・被害者という立場は、現実に遠すぎていたようです。



とはいったものの、この現実は、実は解決すべき喫緊の課題でもあります。
劣化が顕著な身体能力、感覚、洞察力、情報収集・分析能力、そして意思のチカラ。
今現在の感覚として、これらが昨年の事故に無関係であったとは、到底思えないのです。

根本的な解決策は、ありますとも、言わずもがなです(笑)。
でも、そんなの、ありえねぇですよ。
オレはこっち側に、ナニが何でも、永遠に残りたいんです。


自分に嘘のない、等身大のオレがオレの中で模索する、オレのバイク乗りとしてのありよう。
今は、残念ながらも理解できちゃうんです、魅入られた魂の転がる方向というものが。
理解できちゃうんですが、抗ったっていいじゃないですか。
オレは、こっち側にしか、いたくないのだから(笑)。
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こっち側(作文途中)。

2010-10-20 00:15:46 | 機体と人命を尊重する
神奈川から帰葉いたしましてココ一年位でしょうか、イロイロと思うトコロがアレしてきたかな、なぁんて思っていたんです。
書くタイミングというか、そういうのもありまして。

神奈川に1年いて、家庭や仕事のコトは別として、最大の出来事ってば、やっぱり事故なんです。
結果としては、別段の大ケガもなく、バイクがダメになっちゃった、そんな程度のだったのです。
ですが。
モノの見方は大きく変わったワケなのです。
ええ。
オレ自身のモノの見方ではなく、周りのオレに対する見方が、です。
ソレによって、自分の価値観も影響をうけつつあるのかしら、なんて思ったりしまして。

バイクの絡む部分でのオレの人生には、大なり小なりいくつもの前提というか、不朽の部分があります。
機体と人命を尊重する、というテーゼの各項は端折りますが、問題はそのアンチテーゼのほうです。
たとえば、遵法という社会のルールはあるけれど、100%のソレは誰にとっても味気ないし、遵法という行為自体が誰にとっても斟酌の対象だというコト。
たとえば、自己責任な運転行為であっても、公道上では無責任な利害関係者によって責任を追及されるというコト。
たとえば、ステイクホルダー達にとっては、速度と危険は比例しても、そうでない者も路上には散見されるというコト。
たとえば、全く落ち度がなくても、与条件に不備がなくても、被害者もしくは受傷者になりうるというコト。
そして、安全や遵法とは全く別の高度な次元で、ソレらにそぐわない価値観がオレの中にも実在するというコト。

このテーゼとアンチテーゼのせめぎ合いに揉まれるコトを承知で、オレは、バイクというどうでもいいようなモノに傾倒しているのです。
そして、そういう考え方をしているかどうかは別として、オレから見れば、ライダーなんてのは誰もがこの揉まれの中で生きてるのだと思うのです。





まだまだ、書きたいことの25%まで、なんです。
ですが、何だか今日は、通信状況がよろしくなくて。
ええ、ちゃんと書いてたんです。
残り20%位のトコでセーブをポチっとしましたら。
「IEでは表示できません」
。・゜・(つД`)・゜・。

寝ます。
続きはまた、数日中に(笑)。
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入魂。

2009-06-02 01:29:19 | 機体と人命を尊重する
 

G2号は、1号と全く違った志向をお持ちのようで。
2号、今日は、同級生女子2名を自室に連れ込むという花花公子ぶりだったそうです(笑)。
1号が男子のみで徒党を組んで活動するのと、好対照です。
思わず、1号にオレの隠しおやつ「ビッグソースカツ」をこっそりあげちゃいました。

うんうん。
1号よ。
君の生き方のほうが、オレには清々しく見えるとも。
うんうん。
2号よ。
将来の話でかまわないから。
おさがりでも、少しでもいいから、兄者には、分けてやれよ。
立派な弟ってのは、そういうもんだと、父は思うぞ。
その時、おさがりってのは、やんわり、初めに言っておくんだぞ。



マエフリ、長いですね(笑)。
さて。
ここんとこだいぶ慣熟してきたBKたんですが。
んでも、まだまだ、フリマワスって領域まではイってないな、なんて感じています。
ま、オレも相応なトシですから、従来より時間もかかろうってなモンですし、ひょっとしたら、従来のイケイケまではたどり着けないかもしれないかも知れない?などと思ったりしちゃうのです。
いづれにせよ。
オレ的には、まず、新しいバイクを手にしたら、ライダーを慣らす作業というか時間が必要なのです。

ま、しごく当然なオハナシなんですが、機種転換に伴う熟練不足によって発生するであろう転倒や事故や立ちゴケなどをできうる限り予防するワケです。

オフ車のような転倒や投げもライドの一部であるものは除外しまして。
転倒や立ちゴケで機体を破損するのがお好みのライダーは、まず存在しないとは思います。
思いますが、機種転換直後にやっちまう御仁が多いのもまた事実であります。
事実、ってのが大げさなら、よく耳にするオハナシですよ。

当の本人のココロが痛んでいるのは、重々承知なんですが。
やっちまったの見てると、オレ自身も、ココロが痛むのです。
経済的に、バイク一台なんでもない裕福なヒトも、そりゃ、いらっしゃるでしょう。
ですが、オレの知る範囲では、誰もが、いろんなトコに経済的な折り合いをつけ、バイクという高コストな嗜好品を運用していると思うのです。

その折り合い、っつーのは様々です。
衣食住だったり、家族だったり、恋愛だったり。。。


ええ。
その破損を復帰するコトに消費するコストで、大切な誰かを喜ばせる何かができちゃうのです。
ローンを組んでたりすれば、そのコストは自分の時間というか人生の残り時間の浪費と等価値だとさえ思うのです。
やっちまう時はそんなのわかってても、やっちまうワケですが。


んで、何が言いたいのか、ですが。

バイクはただの機械です、機械ですが。
だからこそ、機体への思い入れを育てたいと思うのです。
入魂、といってもいいかも知れません。
今、オレがこのバイクを所有して運用している間は、オレの魂が宿るほどに扱っていきたいと思うのです。
だって、コイツにかかっているコスト(=時間)は、何らかのシワヨセを誰かにヨセまくっているほど高額なはずなのですから。

おカネと愛情は等価値ではありません。
でも、冗費にしてしまうくらいなら、愛する者のために使う義務がオレにはあるはずなのです。
バイクに使うコストが、冗費にならないようにする責任、バイク乗りにはあると思うのです。
好き勝手にポコジャカやっていいはずはないと思うのです。



オレは、機体と人命を尊重したい。

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信ずるトコロ。

2009-05-16 00:50:51 | 機体と人命を尊重する
 


オレの持論として、「速い遅いを論ずることは、信じるトコロを論ずるコトと同義」ってのがあるのです。


あなたにとっての速い遅いってのはナンでしょう?
アイデンティティ?
安全?
数値?
運用環境(状況)?
機体?


速い遅いってのは、バイク乗りが個々に持ちうる軸線の一つだと思うのです。
比較対象の存在する相対的なものでもあり
数値で表現できる絶対的なものであり
内面的な事象でもあり
精神と現実が対峙する境界でもあり
単なる現実でもありうるが真実でもある

おおまかな区分けとしてはそんなトコかしら。
個々が持ちうる、という意味ではまだまだ細分化の先があるとは思いますが。

ただ。
「速い遅い」という目盛がそこにある以上、自分自身が軸線上にいるのは間違いないと判断されます。


んで。
裏返しますと。
速い遅い、っつーのは軸線という意味では、誰もが共有できるひとつの言葉ではあるけれど、共有の価値観で存在するものではないと思うのです。
それは、その軸線上の何者かを論ずることが、決して安易には成り立たないという結論のはずなのです。

例えば白バイの隊員。
そりゃ、彼らはそれなりの訓練を、それなりの意欲をもって受けていますので、それなりの技量を持っているワケです。
ただ、路上にあっては、彼らもお仕事でやってるのです。
自分自身が事故る事は、そりゃ、許されませんし、追尾対象が事故るのも、追尾対象が第三者を巻き込むのも許されないでしょう。
結果として相応のリスクを見込んだライドになるはずなのです。
また、お仕事で追尾するのと、自分自身の生活やアイデンティティを賭して逃げるのとでは、自ずからモチベーションも違ってこようってなモンじゃないでしょうか。

そして、白バイ隊員の速い遅いを自分の軸線で論じることは、主張を述べるという側面ではまったく無意味ではないでしょうが、彼は、聴衆から疎外されるコトとなるでしょう。

だって、ソレは彼自身の軸線上の速い遅いであって、彼我の軸線は共有のものではないのですから。
その軸線が共有されている確信があってのお話しでしたら、そんなことはないと思いますが。。。
それを共有できる人物って、オレにはそう何人もいませんですが(笑)。


誰だって、自分が信じる領域に、誰かが無遠慮に踏み込んできて、言語で蹂躙することを、宥恕したりはしません。
フツーは「あ、こいつはうんこだな」と処断され、「ふーん」とかわされるワケです。
相手次第では、殴り合いの紛争にまで事態は悪化するかもしれません。

だって、信じてることなんですから。
そりゃ、オトナであるほど、たくさん持ってるですよ。
ソレは今まで生き延びてきた経験であり現実であり、彼自身なんですから。
その領域に無思慮無配慮で立ち入ってくる側に落ち度があると思うですよ。



ですから、オレは、そういう話はあんまししないつもりでいるのです。
並立する事案としては「相手から聞かれもしないのに、教えちゃう」ってのがあります。
危険防止の観点から、お願いするトキはありますが。
あ、でも、そうでもないかな?
あいや、心がけてはいるのです(笑)。



そんなオレですが。
速い遅いをクチにする時もありますよ。
それは、一つのゲームとして、です。
ゲームとして、ってのはゲームという共有の時間・空間なのですから。

ですが。
そのゲームだって、斟酌を間違えると人命や大変なコストを伴う可能性があるのです。

ヒキョーなpoitaとしてはめずらしく(笑)自分の話でシメます。
今現在、オレにとっての速い遅いって何かしら?
過去の自分を省みないで、発言しちゃいますが(笑)。
ゲームをゲームの領域で終わらせる、ソレがオレの求める速い遅いだと感じています。


そう。
オレの座右は「機体と人命を尊重する」なのですから。
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笑いゴトではないけれど(笑)。

2008-05-16 23:17:21 | 機体と人命を尊重する
とあるHPで、至極マトモなご意見を仰せの方がいらっしゃた、という話で。
ま、オレがBBSに参加してる「とあるHP」なので、まぁ、そんな毛色と言いますか。
つまりは、かみさんのトコでの出来事なんですが(笑)。


うんうん。
全く仰せの通りなのですよ。
正論ですとも。
否定は致しません。

しかし、そんな正論をぶつける知能をお持ちの方が、そんな毛色の人々に、それを旨とせよ、って言っても理解されるワケない、ってのが、わからないらしい。
わからない、ってコトではないとすれば、その仰せはご本人自身のアイデンティティのためのご発言であるワケで。

「理解されるワケないのが、わからない」にしても
「ご本人自身のアイデンティティのためのご発言」であっても
ソレは、実にコッケイな行為でありまして。
オカシクッテおかしくって、ショーがない。

いやね。
多分、1ON1(サシでメンと向かって、の意味)では、こーゆーヒト、絶対、ホンネ言わないような気がするのよ。
言わないっつーか、言えないんだろうな、って。

だって、そーゆーヒトって、
①その正論に自分が拘束されるってコトも、
②正論が完璧に実践されない場合、程度問題に過ぎなくなっちゃう、
ってな論理も御存じなのですから。

「だからさ、200K以上とかヒジョーシキな速度は危険ではありませぬか!」
「んじゃ、あなたは、制限速度で、そのファイアーブレードを楽しむと?」
「そりゃ、制限速度ぴったりってワケにはイカナイこともあるけど、ジョーシキってのが、、、」
「それはあなたの、常識。オレのはチガウぴょ~んっ!」

ま、議論っつーよりも、子供並の論理で、平行線になるのは明らかですよ。
しかも、「危険じゃないか!」って訴える方は、議論が平行線な時点で、「マケ議論」になっちゃうワケです。
そんなお話は、無意味なんですよ。
言われるほうだって、事故って死んでるワケではないのですし、言ってるほうも生きてるワケで。

こんなお話を誰かに訴えることができるのは、2種類の人々だけですよ。
事故の遺族か、事故によって人生を破綻させた人。


ま、恐れるべきは、こんな話じゃなくって。
いいたいことは、こういうコトなんです。

この写真が事故だと仮定すると。
責任の所在はドコですかね?
ペリカン?
コドモ?
この場所の管理人?
ペリカンの飼い主?
コドモの保護者?
考えさせられちゃいます。
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家庭内タンデム。

2006-09-17 20:45:14 | 機体と人命を尊重する
 

ブログ巡回先でのお話。
バイクのチャイルドシートについて、取り上げてた。あの商品が、安全に寄与するかどうかはともかく、コドモをバイクに乗せるコトについて考えてみたい。

家族と称する集合体の定義は、個人個人で違ってくると思うが、大きく、3つのカテゴリーがあると思う。
1つは、自分自身を中心とした家族。パートナーだけとか、独居世帯が該当する。2つめは、父や母がいて自分が「子」の立場でいる家族。
3つめは、自分が保護者として構成される家族だ。

今回のテーマに則して、1、2共に対象外なので、3のカテゴリーについて、述べたいと思う。

自分は保護者である。コドモを保護育成し、彼の内的/外的自立に向け精神的・時間的・物理的・経済的に支えていかなければならない。
オレが何らかの理由で、精神的・時間的・物理的・経済的に家庭を支るコトができなくなってしまうと、保護者としての責務を果たすのは、いきおい難しくなる。

そう、バイクで事故ると言うのはこの責務を果たすことが困難になる可能性が高い、ということと同義だ。
つまり、家庭が不幸になると言うことだ。

「コドモをバイクに乗せる」と言うのは自分の子供をタンデムシートに乗せる、というこだ。
衆知の通り、転倒/事故の場合、バイクの場合は運転者より同乗者の方がダメージを受けるケースが多い。
即ち、コドモをバイクに乗せるのは危険、と言う判断に納まりがちだ。

駄菓子菓子。
全くもっての勘違いと、否定したい。

タンデムライダー無しで事故って死ぬのも、家庭にとって不幸なことには変わりは、ない。
むしろ、タンデムランの方がスピードも抑制されるし、無理は、しない。安全度はこちらの方が高いと思えるくらいだ。

何が言いたいのか。
タンデムライダーがあってもなくても、家庭を不幸にすると言う観点では、「ヤっちまえば同じ」なのだ。

コドモをバイクに乗せるのはキケン、とかではない。
自分ひとりでヤっちまったって、家庭に与えるインパクトは充分大きいのだ。

コドモをバイクに乗せるのはキケンと思うヒトは、ソロで走ってても彼自身がキケンであると思うべきなのだ。

そういう者は、バイク乗りには、向かない。
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標準(オレ的)。

2006-09-16 22:28:32 | 機体と人命を尊重する
 

ヨッパライの運転は、どう、動くのかワカラナイ。
だが、バイクは、ドライバーから見ると、ヨッパライであってもなくても、どう、動くのか、ワカラナイ。

具体的に。
スリ抜けや、強行加速などの場面を目にした一般のドライバーは、「アブねぇなぁ!」と感じるのがフツーの感覚だ。
彼らはバイクを見ると「ブツけられるかも知れない」と警戒せざるを得ないのだ。
クルマの後に並んだら並んだで、ヘッドライト光が「まぶしーなぁ、ったく!」ってな具合だ。
そして、飲酒運転そのものが作為的であり、スリ抜けや強行加速も作為的である点も共通している。

事故要因の存在、と言う意味では、一般のドライバーの意識は飲酒運転も、バイクも、さほど変わりはないのが実情と思う。
ドライバーの目線では、バイクはヨッパライ運転と等価値の認識なのだ。

駄菓子菓子。
ライダーの目線では、その認識はとんでもない誤解なのだ。
全く同じシチュエーションでも、物理的に、事故ったトキの負担は明らかにバイクの方がリスクが高い。最悪の結末を迎える確率は、どう考えても、バイクの方が、高いのだ。
だから、相応のリスクを読み込み、対応を準備した上で、ライダーは走る。
そして、ソレは、ライダーしか知らない世界なのだ。バイクに乗った経験のあるドライバーでも、その瞬間瞬間における、目前のライダーの持つリスクの読み込みを共有することはできない。

ライダーのリスク負担は、ドライバーには意識されないのだ。

だから。
オレはオレのリスクの読み込みで、やりたいように、やらせてもらう。
事故らない事故らせないなら、何をやったって、オレの勝手だ。
オレは、絶対に、事故らない。

「そんなこと、わかんねーだろ」って言われる。オマエは、自分自身が事故るかも知れない、って思う程度のリスクの張り方なのだ。
オレは、オマエみたいなボウヤでは、ない。もちろん、未来が見えないのはお前と、同じ条件でも、だ。

どうせ、ドライバーにとって、バイクは、ヨッパライ運転の車両と等価値なのだ。
どうせ、オレのリスク負担は、ドライバー達には理解されないのだ。
どうせ、起こりうる結果は、全て自分持ちの、自己責任なのだ。

だから、オレは、走りたいように、走る。
責任は、全て、自分持ちだ。

「そんなコト言ってるヤツがいるからライダーの社会的地位が上がらんのだ!」
おいおい。オマエ、オレが死んだら、何か責任とってくれるんかい?
あるいは、ライダーの社会的地位向上に、オマエ、何か、責任負っているんかい?
そんなおためごかしヤローは、自分の不安を他者にぶつけているだけに過ぎない。

安全運転をオレに訴えるコトができるのは、オレの家族と、事故の被害者/家族もしくはソレを真摯に償っているヒト、だけだ。

機体と人命を尊重して、日々のライドに臨みたい。


 ヒトの社会の約束事の上に、胡坐をかいた、傲慢な発言だな。
 否定しないよ。
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