そういえば。
ロケⅢ関係でこの大顔出すようになってから、イロイロ、御誘い頂くようになった。
嬉しいコトだ。
「んじゃ、走りましょう」って、よくお声掛けいただく「あの御仁」の場合だけは特段目的が明確。ひたすらアクセル全開にする「お相手」なのだ。だから、この御仁だけは、別枠。ハッキリしすぎ(笑)。
もちろんと言うか、少なからずと言うか、オレもそっちの方で魅入られている側なので誘われてウレしいのだが、コワい部分が確実に存在するのだ。
何なのだろう、コレは。
かといって、単騎で走る時ナニやってんのか、っつーと、実は、あんまり変わらない。今日は、何キロくらい出るかな~っ、なんて疾ったりしてる。
ユキズリのお相手ともバトルごっこ、やる方だと思うのだが、。
でも、コワいことや、特段、構える事は別段ないのだ。
さらに。
フツーに走るお誘いに乗ってお出かけしても、オレは、ヤっちゃうのだ。
イイコにするようにしているのだが、長時間の正座に耐え切れなくなるように。
コレも、コワいことは、ない。
はて、何が違うのだろう?
行為自体は、さして、変わりない。
っつーことは、オレのなかで、何かが違うワケだ。
しばし、考え込んでみたが、良く分からない。
自分で自分のコトがワカラナイなんて、久しぶりで、何かちょっと、楽しい。
炸裂、ってほどでもないが。
彼はきっと、「poita!てめー、ハメやがったな!!!」って思ったに違いない。
オレだけアカッパジのイケニエにされて、そのままでオレが終わりにするわけないじゃん。アンタも、そろそろ、学習しなよ。
ま、あんたらの仲間入りは、させてもらえそうにないんだから、楽しませていただきますわよ。会社もちっとは楽しまナイト!
キシシシシ。
ってなことで、上司にマキゾエも喰わせたし、多忙+無駄な抑圧から解放されて、今はユルユル。
大人の世界も、コドモと、そう、カワランかも知れない。
はしゃいだので、ツカレタ。寝ます。

業務上のキーパーソンが、緊急入院した。今日、心臓の周りをカスタムされているはず。
無事の帰還を祈るばかりだ。
司令塔が戦線を離脱したので、そのシワヨセはこちら方向に、来てしまった。
金曜、出社すると、忙殺及び煩悶が連隊規模で強襲してきた。増援は当面、期待できないし、明日、最大規模の攻勢が予定されている。
金曜+本日と小火器を撃ちまくったが、果たして、明日、現場を支えきれるだろうか。不安は大きい。
「この人がいないと、ココは支えきれない」
こんなヒトが急に離脱してしまうと、現場はキリキリ舞い+右往左往する。
欠落した部分を埋めるべく、代理が指名されるが、その、代理もいつものルーティンワークを抱えたまま、ってのが、当社のデフォルトだ。
っつーか、フツーの会社は、ほとんどそんなカンジじゃないだろうか。
たぶん、不安が大きく、迷走しながらも、明日は、無事切り抜けられると思う。
先方は、「いや、組織力あるなぁ」って思うはずなのだ。
駄菓子菓子。
これが、組織力なのか???
否。
ただの代理をやらされるヤツがいるに過ぎないのだ。上層部は「わかった。んじゃ、オマエ、何とかしろ。」ってほざくだけだ。
いや、オマエは何をすんだよ、って言いたい。
「君、ちょっと、行ってくれないか
ちょっと行って、死んでくれないか」
わ、キタ!
リーマン誰もが、感じる、この瞬間。ずっりぃよ、ソレ!
ま、ビジネスの世界なので、この歌詞のように命まで取られることは、ないのだが、言ってることの意味合いはさほど、変わらない。
いいですとも。行ってあげますよ。社命ですもの、もちろんですわ。
ただ。
お気づきでないかもしれませんが、あなた様も、ミチヅレになっているシカケ、よ♡
キシシシシ。
昨日。ロケⅢクラブのミーティング敢行。
こんちくしょうな週間天気予報で、ミーティングのみに変更したのだが、ハレと表現しても支障ない陽気だった。走りたかったなぁ。。。
また、遠路お越しの皆様は往復共に渋滞にハマったご様子。なんか、申し訳なくて。
ミーティング自体は実に楽しかった。
参加各位のロケット話や、カスタム話、スケベ話、だいぶ、刺激も受けたように思う。
「や、オレ、ロ●コンだからカンケーねーや」って、今でも思い出すとプププだったりします。
また、版主様や、クルマでわざわざ駆けつけてくれた兄貴(いや、もう、アニキと呼ばせていただきますとも)には大きくフォローを頂いてしまって、「結局は何やってても人柄なんだなぁ」と他人事のように思い入ったりもした。
本当にありがとうございました。感謝。
今回の会場変更なのだが、お天気による屋内での交流、交通の便、立地、などを踏まえて選定したのだが。
実は、ひとつ、ワナが張ってあったのだ。今になってみれば、何らかの形で予告しておけば、良かったと思うほどの。
そう、柏のライコに程近く(かどうかは良く知らないのだけど)、「釣り上げよう」と思っていた御仁がいたのだ。
あえてというか、意図して、彼んトコでも、ココでも、彼と昨日のミーティングのハナシは一切しなかった。
そして、彼は、釣り上げられたのだ。しかも、タンデムで。
そう、この心理戦にオレは勝利した(ってだれも勝負なんかしてねー)のだ!
彼のロケⅢ登場を目にしたオレのヨロコビようは、「チンイツのようなメイサイかけて、狙った相手から、リーチ一発3色ドラドラのカンチャンを出アガリしたような感じ」と言ったら適切だろうか。タンデムということでウラドラも、ついたかも知れない。
っつーか、彼に会いたかったのも、ホンネだ。雨天で走りが1回ツブれていたので、なおさらってトコかしら。
ただ、話してて面白かった相手は本人だけではなかった。そうそうお会いできる機会がないので、もっとイロイロ話したかったが。。。
こんなだから、「悪党」って言われるのかも知れない。
でも、今後ともよろしくお願いします。
昨日の、記事、少し加筆訂正。
さて、23日はロケⅢクラブのミーティング。
今回はオレが幹事なのだが、やはり、雨オトコの本領発揮。
一昨日の週間天気予報では60%の雨、クモリ時々雨、だった。
が、しかし!
祈りが通じた。降水確率は40%までダウン。予報もクモリ、だけになった!
今回は走りの部分は削除したが、コレはコレでよかったかも。
いろんなロケⅢ好きが集まるかもしれない。
楽しみ♡
あまり、良く知らない、同僚が病気で死んだ。
まだ、30ソコソコらしい。2児の父だそうだ。
この会社に入社して、オレは3年目に異動になった。
もともと、オレは埼玉の出身なのだが、この異動先の千葉も、全く知らない土地だった。土地勘も全くないし、知人も誰一人いない。
当時営業職だったオレは、3人チームの一員になった。4つ上のA氏と、新入社員、3年生のオレ、のチームだ。
当社は、先輩が後輩の面倒を見ていくOJTで成り立っている会社だが、このA氏、良くも悪くも自己責任の考えの御仁で、特に指導らしい指導もなかった。
ま、迷惑掛けた時はだいぶ譴責を受けたのでソレが、彼なりの指導だったかもしれない。
でも、特に尊敬できる部分もなく、親しい訳でもなく、数多い先輩の一人だった。
ま、オレが、会社生活にどっぷり漬かるタイプの人間でもなかったから、そう感じただけかな、とも思う。
3~4年して、女子の営業職が入社してきた。
OJTも含めて、なんやかんや彼女と絡む機会もそれなりにあって、イロイロ、プライベートなハナシをすることもあった。
当然、A氏と彼女も接点を持つことも多かった。
A氏は彼女に、恋をした。
A氏は、酒が好きで、飲み会の場などでは、後輩を「ツブす」ような飲ませ方をするのはデフォルトだった。
ある飲み会で、A氏が後輩を酔いつぶさせてしまったのに、彼を放置して、彼女と次に出かけてしまったことがあって、オレは見かねて諫言したことなんかもあった。
そう、A氏はみっともないほど、彼女に恋していたのだ。
オレは、何となく、そんなA氏がうらやましくも思えたのを覚えている。
しばらくして、彼女と業務車同乗で、出かける機会があった。
A氏から、結婚の申し込みがあって、嬉しいのだが苦しんでいる、と言う。
「Aさんってば、勝負、はやっ!」っと思った。
彼女は、割と田舎の伝統的な家の娘で、10以上もトシの離れた、風采の上がらない(あくまで見た目で、A氏は仕事のデキるヒトだった)外見のドコの馬の骨とも知らんオトコに娘はヤレない、ということらしい。
オレは、「未来の自分が、過去の自分を恨むようなことの、ないように決断したらイイ」ってなコトを彼女に言ったように思う。
そして彼女は、寿退社となり、しばらくして、A氏は昇進異動となって、オレの視界から、消えていった。
数年に一回ほどの縁があってA氏とは顔を合わす機会があったのだが、表面を超える会話は、特になかったが、幸福そうだった。
彼女は、1回だけ、コドモを見せに職場に来たことがあったかしら。
その、A氏が、ガンで死んだ。
同僚と共に通夜に行った。
年長組の長女は「父の死」の意味さえ知らずに「お母さん、もう、泣かないで」と、泣きはらした顔の母の肩に手を掛ける。
1歳に満たない2子は、父親の記憶は何も残らない。前回に会ったトキ、「二人目が生まれる」と、A氏が言っていた乳児だ。
彼女が弔問客にアイサツに来た。
オレは、彼女にかけるコトバを持っていなかった。
彼女を癒せるコトバなど、ない。
おためごかしの同情など、今の彼女の、子供らの、何になるのだ。
オレが、彼女の悲しみをどうのこうのできるコトなど何もないのだ。
オレは、ココに来て、彼女に何を、言うつもりだったのか!
お決まりの弔問コトバを投げる同僚と、ソレを受ける彼女に背を向け、オレはその場を逃げ出した。
オレは、彼女から逃げるコトしかできなかった。
本当の、悲しみから、逃げるコトしかできなかった。
オレが納得しうる、勇気と誠意は、ドコで手に入れられるのか!
「未来の自分が、過去の自分を恨むようなことの、ないように決断したらイイ」
カンタンにエラソーなこと言ったくせに、本当の悲しみの前で、オレは逃げ出すことしかできなかったのだ。
オレはタダの軽薄ヤローじゃないか。
冒頭のような、訃報を受け取るたびに、かつての「軽薄な自分」に対する、悔恨が、また、蘇ってくる。
HJCのヘルメット。
塗装作業、した。
最後のクリアー、昨日の夜やったら(湿度が高くて)カブってしまった。
ま、「やっぱ、かぶっちゃたか」ってな具合。
剥離剤塗布して竹へらで、ごしごしやってたら!
んあ"!
本体が削れてるじゃん!
あ"!
調べてみたら、コレ、ポリカ製じゃん!
ミョーに軽いはずだ。
帽体直接の有機溶剤は、禁忌だ。強度が極端に落ちて、役に立たなくなる。
新品購入したヘルメットは、突然、ただのゴミになってしまった。
とほほ。

ブログ巡回先でのお話。
バイクのチャイルドシートについて、取り上げてた。あの商品が、安全に寄与するかどうかはともかく、コドモをバイクに乗せるコトについて考えてみたい。
家族と称する集合体の定義は、個人個人で違ってくると思うが、大きく、3つのカテゴリーがあると思う。
1つは、自分自身を中心とした家族。パートナーだけとか、独居世帯が該当する。2つめは、父や母がいて自分が「子」の立場でいる家族。
3つめは、自分が保護者として構成される家族だ。
今回のテーマに則して、1、2共に対象外なので、3のカテゴリーについて、述べたいと思う。
自分は保護者である。コドモを保護育成し、彼の内的/外的自立に向け精神的・時間的・物理的・経済的に支えていかなければならない。
オレが何らかの理由で、精神的・時間的・物理的・経済的に家庭を支るコトができなくなってしまうと、保護者としての責務を果たすのは、いきおい難しくなる。
そう、バイクで事故ると言うのはこの責務を果たすことが困難になる可能性が高い、ということと同義だ。
つまり、家庭が不幸になると言うことだ。
「コドモをバイクに乗せる」と言うのは自分の子供をタンデムシートに乗せる、というこだ。
衆知の通り、転倒/事故の場合、バイクの場合は運転者より同乗者の方がダメージを受けるケースが多い。
即ち、コドモをバイクに乗せるのは危険、と言う判断に納まりがちだ。
駄菓子菓子。
全くもっての勘違いと、否定したい。
タンデムライダー無しで事故って死ぬのも、家庭にとって不幸なことには変わりは、ない。
むしろ、タンデムランの方がスピードも抑制されるし、無理は、しない。安全度はこちらの方が高いと思えるくらいだ。
何が言いたいのか。
タンデムライダーがあってもなくても、家庭を不幸にすると言う観点では、「ヤっちまえば同じ」なのだ。
コドモをバイクに乗せるのはキケン、とかではない。
自分ひとりでヤっちまったって、家庭に与えるインパクトは充分大きいのだ。
コドモをバイクに乗せるのはキケンと思うヒトは、ソロで走ってても彼自身がキケンであると思うべきなのだ。
そういう者は、バイク乗りには、向かない。
ヨッパライの運転は、どう、動くのかワカラナイ。
だが、バイクは、ドライバーから見ると、ヨッパライであってもなくても、どう、動くのか、ワカラナイ。
具体的に。
スリ抜けや、強行加速などの場面を目にした一般のドライバーは、「アブねぇなぁ!」と感じるのがフツーの感覚だ。
彼らはバイクを見ると「ブツけられるかも知れない」と警戒せざるを得ないのだ。
クルマの後に並んだら並んだで、ヘッドライト光が「まぶしーなぁ、ったく!」ってな具合だ。
そして、飲酒運転そのものが作為的であり、スリ抜けや強行加速も作為的である点も共通している。
事故要因の存在、と言う意味では、一般のドライバーの意識は飲酒運転も、バイクも、さほど変わりはないのが実情と思う。
ドライバーの目線では、バイクはヨッパライ運転と等価値の認識なのだ。
駄菓子菓子。
ライダーの目線では、その認識はとんでもない誤解なのだ。
全く同じシチュエーションでも、物理的に、事故ったトキの負担は明らかにバイクの方がリスクが高い。最悪の結末を迎える確率は、どう考えても、バイクの方が、高いのだ。
だから、相応のリスクを読み込み、対応を準備した上で、ライダーは走る。
そして、ソレは、ライダーしか知らない世界なのだ。バイクに乗った経験のあるドライバーでも、その瞬間瞬間における、目前のライダーの持つリスクの読み込みを共有することはできない。
ライダーのリスク負担は、ドライバーには意識されないのだ。
だから。
オレはオレのリスクの読み込みで、やりたいように、やらせてもらう。
事故らない事故らせないなら、何をやったって、オレの勝手だ。
オレは、絶対に、事故らない。
「そんなこと、わかんねーだろ」って言われる。オマエは、自分自身が事故るかも知れない、って思う程度のリスクの張り方なのだ。
オレは、オマエみたいなボウヤでは、ない。もちろん、未来が見えないのはお前と、同じ条件でも、だ。
どうせ、ドライバーにとって、バイクは、ヨッパライ運転の車両と等価値なのだ。
どうせ、オレのリスク負担は、ドライバー達には理解されないのだ。
どうせ、起こりうる結果は、全て自分持ちの、自己責任なのだ。
だから、オレは、走りたいように、走る。
責任は、全て、自分持ちだ。
「そんなコト言ってるヤツがいるからライダーの社会的地位が上がらんのだ!」
おいおい。オマエ、オレが死んだら、何か責任とってくれるんかい?
あるいは、ライダーの社会的地位向上に、オマエ、何か、責任負っているんかい?
そんなおためごかしヤローは、自分の不安を他者にぶつけているだけに過ぎない。
安全運転をオレに訴えるコトができるのは、オレの家族と、事故の被害者/家族もしくはソレを真摯に償っているヒト、だけだ。
機体と人命を尊重して、日々のライドに臨みたい。

