シントコからまた1人いなくなった

2021年06月06日 | 友人


> お疲れ、6月初め**に引っ越しました。
> 新所沢を離れるのは辛く寂しかったです。

私が新所沢駅の近くに住んでいた頃に、よく飲んでいた友人からのLINEが22:06に届いた。
私は、すぐ無料LINE電話をかけた。
元気な友人の声が聞こえてきた。
友人の住んでいた新所沢の家の家賃は高かった。
部屋が沢山あり、夫婦2人で住むにはもったいないな、と私は思っていた。
ただ、それは他人の私から友人には言えなかった。
たわむれにそんな話を向けると、新所沢に対する愛を友人は語ってくれた。
私だって、“シントコ”に対する思いは負けない自信がある。
しかし2009年、私が長野県で仕事をすることになり、女房は清瀬市に、私は軽井沢に引っ越した。
現在私は、新所沢から1時間はかかる所に住んでいる。
池袋に行くのには、1時間半はかかる。
出来れば池袋から40分ほどの新所沢に暮らしていたいと、私はむかし考えていた。
しかし、私の収入を考えたらそれは無理だった。
なので終の棲家として、今住んでいる家を手に入れた。
家の近くに居酒屋はなく寂しいところです。
でも、庭は広く、女房とリフォームしたのでキレイな家になった。
4月にテレビ東京の「インテリア日和」という番組に出たので素敵なソファーや観葉植物をいただいた。
そのおかげでそれまでとは違う素晴らしい家の環境になった。
友人は今、西武新宿線のある駅から行く住宅に住んでいるという。
これでまた、1人がシントコからいなくなった。
寂しいですが、しかたないですね。

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2人だけの送別会

2018年08月30日 | 友人

今週の月曜日から私は、あるマンションで仕事をしています。
水曜日までの3日間は、研修でした。
前任者から仕事の引き継ぎをしていた。
そして昨日でそれが終わりました。
前任者は30・31日は有給休暇で休みで、8月いっぱいで退職します。
それで昨日は2人で送別会をした。
駅前の安い居酒屋で飲み、彼が通っていたというカラオケ喫茶に行った。
私は“カラオケ喫茶”というところに初めて行った。
彼はこれまで昼間に行っていたという。
土曜日が半日勤務で午後に歌いに行っていたらしい。
1100円でソフトドリンク1つと歌い放題だということです。
夜は、1800円に上がります。
私は久しぶりのカラオケで、たくさん歌いました。
他の客はいなくて、貸し切り状態でした。
居酒屋で彼のものすごい半生を聞き、それで飲まずにいられなくなりました。
九想話に書きたいのですが、遠慮します。
私は帰りの電車で寝てしまい、自分の降りる駅に降りられず、
戻ってきたときにはバスはなくなり、タクシーもないので歩いて帰った。
1時間半歩いて家に帰ることになりました。
それでも楽しい送別会でした。

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ある離婚

2002年10月13日 | 友人

昨日、天気がよかったので、
頭もすっきりさせようと思って、床屋に行った。
12時過ぎ、床屋から帰ってきたら、
行く前には寝ていた女房が起きていた。

「みきちゃんが離婚したんだって!!」
いきなり女房がそういう。
「みきちゃんって、あのみきちゃん」
「そう。午後2時に小手指駅で会うことにしたの」
私の心にただならぬ衝撃波が広がった。

みきちゃんは女房の友人で、
この公団住宅に住んでいた。
息子たちが幼稚園に行ってたとき、
娘さんも同じ幼稚園で、それで友だちになった。
息子たちが小学生に上がった頃、
西武池袋線の所沢から4、5番目の駅の
マンションを買って引っ越した。
みきちゃんの旦那さんが友人と会社を起こし、
収入が増えマンションを買ったことを聞いた。
3DKのマンション。
私たちには夢の世界だった。
新しい家具があり、娘さんの部屋もあった。
その頃、私たちは築40年近いテラスハウスの2DK。

そのマンションの横を入間川が流れていて、
引っ越してから2、3年は、
幼稚園で仲の良かった3家族が集まって、
毎年春に河原でバーベキューをした。

もうひとりの友人の旦那さんは、
国立大学を出て、
誰もが知ってる大きな会社に入っていた。
やはり、子どもが幼稚園を出た頃、
川越の先に建て売りの一軒家を購入していた。
うちは…、今でも公団住まい。

息子たちが中学生の頃か、
みきちゃんの旦那さんの会社が傾いた。
マンションを売ってその金を、
会社の資金繰りに回したとかいう話を聞いた。
初めてバーベキューに行ったとき、
嬉しそうにマンションの部屋を案内してくれた
みきちゃん夫婦の姿を想った。

夕方、女房が帰ってきたとき、私は布団に寝ていた。
(ああ…、怠惰な休日をまた過ごしている)
「みきちゃんの旦那さん、自己破産したんだって。
 ふたりで自己破産しなくてもいいように、
 離婚したんだって」
「それじゃ、へんなことで別れたんじゃないんだね」
何年かしたら元の鞘に収まるかな、
と思ってほっとした。
いや、それは分からないだろう。
娘さんは高校を出て就職しているという。
一度“離婚”という状態になってしまったら、
やはり難しいかな。

うちだってこれまで、
こういうことがなくはなかった。
紙一重の人生を送っている。

………………………………………………………………

昨日は夕方から、
インターネットにアクセス出来なくて困った。
深夜までいろいろやったが復旧しなくて
九想庵を更新出来なかった。
ルーターのせいだとは分かっていた。
息子が朝帰りしてきて、直してくれた。
立場が逆転している。
嬉しいような、哀しいような。

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新しい丸ビル

2002年09月30日 | 友人

昨日、小倉遊亀展のあと、みんなで喫茶店に行った。
喫茶店ですが、私はビールにした。
絵を穴が開くほど見ていたので疲れました。
ビールがうまかった。

5時になり、お店の照明が変わったのをしおに、
喫茶店を出た。
みなそれぞれの家に帰る。
Sさんが新しく出来た丸ビルを見たいという。
Tさんと私もお供をした。
私もTVやラジオで報道されていた
新しい丸ビルは見たかった。

地下鉄で大手町まで行った。
そこから歩いた。
東京駅を外から見るのは久しぶりだった。
最近、設計した辰野金吾のことが
新聞によく載っている。

丸ビルの横の通りの木々はライトアップされていた。
これはTVで見たことがある。
36階まで行くことにした。
あっという間についた。
帰りに時間を計ったら30秒だった。
丸ビルには展望台はないと1階に書いてあった。
でも、35階に大きく開いた窓がそれのかわりになる。

写真は、左側のネオンの明るいところが銀座です。
その上に黒く薄く見える斜めの線は、
36階から降りてくるエスカレーターです。
真ん中より少し右にある影は私の姿だ。
怪しい人間ではありません。
どちらも窓ガラスに写っている。

前の丸ビルには入ったことはない。
だから比べることは出来ない。
持ってきた「丸ビルフロアガイド」という
小冊子を見ると、
1Fがアトリウム広場、イベントカフェとなっていて
B1Fから4Fまではショッピングゾーンだ。
5F、6Fがレストランゾーン。
7F、8Fがインタラクティブゾーン(イミガワカラナイ)。
9Fから34Fまではビジネスゾーン。
35F、36Fがレストランゾーンです。

これだけの規模の丸ビルが成り立っていく。
あらためて丸の内というところは人が多いんですね。
ぜんぜん規模が違う話で恥ずかしいのですが、
ウォーキングで新所沢を歩いていると、
あ、焼き肉屋が潰れている。
ハンバーガー店が消えてしまった。
ラーメン屋の明かりがついてない。
なんてのが多い。
こんな街なのに、店の“回転”が早い。
いや最近、店が消えたあとは、
そのまま“空き店”になっている。

このところの不景気で、
東京のオフィスの空室率が多いとラジオで聴いた。
丸ビルなんかではそんな心配はないのだろうが、
貧乏性な私は考えてしまいます。

それにしても私は、
久しぶりに東京を“体験”しました。



………………………………………………………………………………………………………………………………
9月の九想話

9/1  名古屋オフ
9/2  ドングリ
9/3  久しぶりに、煙草の話
9/4  秋刀魚
9/5  弾き語りフォーユー
9/6  わがまま
9/7  北の国から
9/8  キーボード寒し
9/9  雨のウォーキング
9/10 ねずみぞう
9/11 9.11
9/12 起業
9/13 3連休
9/14 「愉快な仲間たち」ライブ
9/15 風邪っぴきの日曜日
9/16 地団駄
9/17 遣る瀬無い
9/18 フロム・ニュー・エリア
9/19 鬱になったらウォーキング
9/21 ゲリラライブ
9/22 雨の中のライブ
9/23 やっと買ったスキャナー
9/24 新しい季語が生まれた
9/26 さんまパーティー
9/27 季節の移ろい
9/28 フィットネスクラブ
9/29 小倉遊亀
9/30 新しい丸ビル

 

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訃報メール

2002年08月22日 | 友人

前の会社の友人から訃報のメールが届いた。
私と同じ資材部で働いていたKが
8月16日に亡くなったという。
1つ年下だが、一時は私の上司でもあったひとだ。
10年ほど前、
私のいた会社と彼がいた会社が合併し、
私は彼の会社に勤務することになった。

Kは、酒が好きでよく飲んでいたらしい。
私は一緒に飲んだことはあまりなかった。
よく会社を休んだ。
ひどいときは1ヶ月ぐらい続けて休んだこともあった。
結局、本社の資材部から外されて、
山梨の工場に飛ばされた。
山梨でもよく会社を休み、1年ほどで退職した。
それで私が山梨に単身赴任することになった。
そういう意味で私は、
Kにいろいろ苦労をさせられた。

でも、人柄はいいひとだった。
憎めないやつだった。
初めて山梨の工場に行ったとき、
釜無川の土手で2人でいろんなことを話した。
私が退職して所沢に戻ってきたとき、
国分寺の居酒屋で2人飲んだこともあった。
あるとき電話がかかってきて、
1時間ほどグチを聞かされたこともあった。
ある大学を出たことが自慢だった。
独身だった。
めんくいでいつも可愛い女の子に恋していた。
なにしろ酒が好きだった。

冥福を祈ります。

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幼なじみ

2002年08月17日 | 友人

15日の夜、盆踊りに行った。
そこは私の通った分校があったところです。
現在は集落センターとなっている。
そこでカメラを持ったTちゃんに会った。
彼は私より1歳年下で、小さい頃よく遊んだ。

Tちゃんの家に行って飲むことになった。
彼は、タイの女性と結婚した。
その奥さんがいなかった。
9歳の息子がいた。
ハキハキものをいう明るい子だった。
「『千と千尋の神隠し』のビデオがあるけど観る?」
といってビデオをかけてくれた。
3年ぐらい前にこの子に会っているが、
覚えていないだろう。
人見知りもせず、いろいろ話しかけてきた。

Tちゃんは中学を卒業して東京に行き、
鶏を解体する仕事をした。
30前に父親が死に、
田舎に帰ってきて、豚を解体するところに勤めた。
正社員ではない。ずーっと契約社員だ。

子どもの頃、よくいじめられていた。
社会に出てもいじめられたという。
性格は素直でいいが、
弱いところをバカにされるようだ。
40歳近くまで独身だった。

タイの女性と知り合い結婚した。
結婚するまで大変だったそうだ。
Tちゃんがタイに行ったときの
写真を見せてもらったことがある。
奥さんは、日本に不法入国していたので、
そのへんのことをきちんとするのが大変だったと、
以前聞いたことがある。

Tちゃんは、写真が趣味だ。
けっこういろんな写真コンテストに出品して、
入賞している。
私が見てもいい写真がある。
「こんど、これまでの写真を送ってくれ。
 おれがホームページ作るよ」
と私はいった。
彼を私は世に出したい。
Tちゃんの写真を多くの人に見てもらいたい。

驚いたことに、奥さんは、
下館のほうでスナックを経営しているという。
タイの女性を5、6人使ってやっている。
あの奥さんってそういう才覚があるのかと、
感心してしまった。
昼間は、鶏の解体をしていて、
夜は、お店を経営。
家に帰ってくるのは午前3時だという。

Tちゃんはいつも息子と家にいる。
家庭団欒などないという。
辛いものがある。
くわしく訊かないが、
奥さんはお金を稼ぐのに必死のようだ。

私の実家のまわりで、
タイの女性と結婚したTちゃんを、
どこかさげすむようなところがある。
しかし、何年かして気がつくと、
Tちゃんは、繁盛するお店を何軒も持つ、
飲み屋のママの旦那で楽してるかも知れない。

息子がいった。
「学校には、友だちがいないよ。
 いつもひとりで砂場で遊んでいる」と。
それを想像するとゾっとした。
強い性格でいじめられてはいないようだが、
可哀想になった。

Tちゃんを応援する意味でも
ぜひTちゃんの写真のHPを作りたい。
ほんとうにいい写真なんです。

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お腹いっぱい

2002年07月31日 | 友人

昨夜は、例のバンドの打ち合わせがあった。
追悼CDの 曲順とか、
ジャケットの表記のことを話した。
私の名前をどうする? なんてこと訊かれて、
最初は**九想にしようと思っていたが、
名字を入れると重い。
すっきりしたかった。
本名にも思い入れはあったが、
結局、九想だけにした。
いろいろあったが、
ライブを8月25日にやることになった。
なくなったエモヤンの奥さんと子どもを招待する。
こんどはいい演奏をしたい。
指も怪我しないようにしよう。

終わって、飲み屋に行った。
楽家ではない。
その先の交差点の焼鳥屋だった。
バンドリーダーのAさんがそこで飲んでいるという。
その飲み屋の仲間が釣りに行き、
それをネタに寿司を握って、
みんなで食べようということだった。

初めてのところで飲むのは興味深い。
どういう客がいて、
従業員がどういう仕事をするのか、
とても興味ある。

S根さんは最近仕事を辞めたという。
「なんで辞めたの?」
と野暮な質問をした。
「なんか、みんないやになっちゃったんだ」
まったく同感です。
彼はいい性格です。
彼の作る歌がいい。
うたっているときはもっといい。

寿司がうまかった。
さより、鯖、鰺などでにぎられていた。
買ってきたのか、イクラやウニのもあった。
いや~食べましたね。
おいしかった。

寿司をにぎっていたのは、
ふくちゃんという人だった。
ネタを全部にぎって
カウンターでビールを飲みはじめた。

Aさんが、
(この人は、息子のバイト先のコンビニのオーナーです)
「ふくちゃんは小説を書いているんだ」
と私にいう。
私は興味がわいてふくちゃんの隣に席を変えた。
私は軽く自己紹介をした。
小説の話をした。
彼は、書いているけど、
どこにも発表しないという。
いろんな話をした。
その中で2人とも花村萬月が好きだということが分かった。
それまで小説に対する想いのズレが
2人にはあったが、
花村萬月の話を始めたら意気投合した。
何回も何回も握手した。
ふくちゃんは54歳だという。
私たちは小説を書き続けることを約束した。

家に帰ったのは12時過ぎていた…かな。
今朝の5時に、畳の上で寝ている自分に気が付いた。
この九想話の3分の2ほどを書いて眠ってしまったようだ。

しかし、九想話のUPされないときは、
九想が飲みに行って安酒を飲んでいると、
分かってしまいますね。
これはまずい。
といっても、事実は曲げられない。
ああ…、こうなったら、
酒も休もうかな。
これは、つらい。

………………………………………………………………………………………………………………………………

7月の九想話

7/1  朝の電車
7/2  ひさしぶりに、プロジェクトX
7/3  バンドの練習
7/4  仕事
7/5  女房の“本業”
7/6  高田渡ライブ
7/7  ライブが終わって
7/8  不安定
7/9  音楽クイズ
7/10 67歳の新人
7/11 眠たい
7/12 私の嫌いな音楽
7/13 西武園
7/14 土曜から日曜
7/15 人間ドック成績表
7/16 ギターのある楽家
7/17 ホントは明るい
7/18 朝が楽しみ
7/19 73.5Kg
7/20 激太ケーナ
7/21 レコーディング
7/22 最終電車に間に合わない
7/22 初体験
7/23 カブトムシ
7/24 シントコの音楽仲間
7/25 負け惜しみ
7/26 久しぶりの映画
7/27 74.7kg
7/28 日曜日
7/29 蚊帳
7/31 お腹いっぱい 




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ホントは明るい

2002年07月17日 | 友人

今日、バンドの練習が終わって、
いつものように楽家で飲んだ。
こんどの日曜日にCDのための録音をする。
そういう意味では、
“本番”に向かう最後の練習だった。

今日、なんか練習に行くのがかったるかった。
おれの吹く曲は少ないし、
ケーナで一曲といわれて譜面に起こして
持っていった「ひまわり」が
なぜかボツになった。
そんなことであまり燃えていないおれだった。

10分遅れて、7時40分に新所沢公民館に行った。
最初はおれのケーナが参加する
「最後の昼下がり」という曲の練習になった。
これは亡くなったEさんのことを、
飲み友だちだったS根さんが書いた曲だ。
今日は、今までとは違う感じで吹けた。
ちょっと気分が良かった。

それなりにすべての曲の練習して、
9時半に終わった。
みんなは楽家に、
おれとS谷さんは、おれの家に行った。
S谷さんのウクレレの伴奏で
おれがケーナを吹くことになった。
S谷さんのウクレレをパソコンに録音した。
これでおれが練習をする。
日曜日までにそれなりの曲を作って、
ウクレレに合わせて吹けるようにする。

それから楽家のみんなと合流した。
いろんなことわいわいがやがや話して楽しかった。
だいたいが“下”の話題だ。
ここに書きたいが、われわれの名誉もあるので書かない。
でも、“上”の話もした。
音楽のこと、文学のこと、映画のこと、
素敵な話をした。
S原さんが、
久しぶりに山本周五郎のことを熱く語った。
山本周五郎の小説の話で、
おれとS原さんは楽家で親しくなった。
S谷さんは司馬遼太郎を深く語る。
あらためてきっちりしたものを読んでみたい。

KIMさんがいった。
「Oさんがこんなに明るいとは思わなかった」
そうなんです。
おれはたいがい、初対面のときには暗いんです。
親しくならないうちは、
暗いイメージを出して付き合うやな性格です。

でも、今夜思った。
明るい性格を前面に出して生きよう、と。
“暗さ”は“逃げ”の姿勢だ。
カラっと明るく生きよう。

昨日の深夜というか今日の早朝、
これを書いてUPしないで寝てしまった。
そうとう酔っ払っていたようです。

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ギターのある楽家

2002年07月16日 | 友人

最近ひとりで楽家に行くことがなかった。
いつもバンドの練習のあとにぞろぞろと
5、6人でなだれ込んでいた。

女房がバイトで晩飯がない。
ひさしぶりにひとりで行ってみた。

Kさんがいた。
Kさんとは昨日、
整形外科の帰りに団地の中で会った。
「昨日は学校の帰りですか?」
「そうですよ」
Kさんは中学校の教師です。
もう1年ぐらいメールマガジンを発行していて
私もその読者のひとりだ。
「教育」と「古代史」を2つの柱に、
毎週土曜日に届くそれは、
素敵なメールマガジンです。

「九想話に励まされて毎週書いてます」
Kさんは、九想庵のありがたい読者だ。
こちらこそ、Kさんのメールマガジンに
負けないようにと思っている。

「Kさん、メールマガジンの
 『教育』と『古代史』の記事を
 ホームページにして下さい。
 多くの人に読んでもらったほうがいいですよ」
「考えてみます」

「マスター、いつからギターがあるの?」
壁にかかっているギターを差してKさんが訊く。
私も気になっていた。
「今日からです」
「ちょっと弾いていいですか?」

それから、Kさんと九想の
フォークソング大会になった。
Kさんは私より7つ年下らしいが、
フォークソングに関しては
まったく同世代だった。
盛り上がりました。
私は3月に指をつぶしてから
あまりギターを弾いてない。
そろそろギターも練習しようかな、と思った。

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音楽クイズ

2002年07月09日 | 友人

さっきまで楽家で飲んでた。
いつものバンドの仲間とです。
KIMさんが「こんなクイズがある」といった。
ドレミファソラシドと音階を口でいい、
最後のドの音の音程を少し上げた。
「これどこだ?」
「………」
「たかいど(高井戸)」

こんどはシの音を少し音程を高くする。
「………」
「しもたかいど(下高井戸)」

東京のローカルな話題ですみません。


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