昨日の夕方、6時半の待ち合わせ時間より少し早く所沢駅に着いた私は、西
友の4階にあるパソコンショップをひやかしてから、駅の西口に立った。
Sが40分に来た。彼は、出荷担当をしている生産管理の一員だ。以前書い
たことあるが、大学生の頃、重量挙げの補欠選手として、ロサンゼルスオリン
ピックに行ったことがある。仕事はあまりできるほうではなく、これまで何度
かミスがあり、そのたびに私は迷惑を受けている。しかし、酒の好きな気のい
い奴だ。私より5歳年下で、憎めない男です。
主役であるHがなかなか来ない。彼が、話があるというので、3人で飲もう
ということになったのだ。
阪神が負けている。私はポケットラジオをイヤフォンで聴いていた。それを
Sにときどき報告する。
西口の改札口の前は、大勢の待ち合わせの若者がひしめき合っている。私た
ちのようなおじさんは少ない。いてもスーツなど着ている。私とSは、ジーン
ズにサンダルだ。零細企業に勤めてると、こんなものだろう。
7時10分、頭のかなり薄くなった私より3つ年下のHが、若者たちをくぐ
り抜けて現れた。彼は、スラックスにYシャツ、そして革靴だ。丸顔の中のち
っこい目が「私は人を騙せません」といっている。
駅前の商店街のプロぺ通りを3人が行く。シルバーの、ライオンのたてがみ
のような頭の超ミニスカとぶつかりそうになる。なんであいつらは、同じ様な
センスのないメイクをしているのか。そう感じる私が、オジンなのか。息子た
ちがあんな女連れてきたら、ひっぱたいてやろう。
最初に行った居酒屋も、次の炉端焼きも満員で入れなかった。3つめの居酒
屋は、3人とも「ちょっとここは…」という思いなのだが、席が空いていたの
でそのまま坐った。
「Hさん、話ってなんだよ」
Sが、注文した生ビールがまだこないうちに大きな声でいう。まわりの席の
客は、みな盛り上がっていた。普通の声ではよく聞こえない。
「やっぱり、話すのよそうかな。まだ、早いもんな」
「何いってんだよ。話があるからっていうんで、Oさんにも来てもらったの
に」
私はある程度、Hがいう話の想像がついていた。それはそれとして、斜め向
こうの席の女の子たちが可愛いな、と思いながら煙草に火をつけた。
生ビールがきた。乾杯。何に…。
「2人とも口が軽いからな。まずいよ」
「誰が、そんなことねェって」
Sが食い下がる。
私は、どうせHはいうに決まってる、と思っていた。独身の彼は、私たちに
いわなければ、おそらくHの話を聞く人はいないんだ。
たのんだミニ餃子、刺身の盛り合わせ、枝豆などがきた。
「阪神、負けてんのかな」
私は意識して、彼の話から縁のない話題を出した。斜め向こうの席の女の子
たちは、煙草は吸うし、ビールをガンガン飲んでる。
「じゃ、いおうか」
ビールを飲み干し、テーブルにガツンと中ジョッキをHは置いた。
「Hさん、早くいえよ。おねえさん、生中2つだ」
空にしたジョッキを空中で左右に揺らして、Sが叫ぶ。
私もジョッキを空け、冷酒をたのんだ。
「おれ、クビだってよ」
「え、ホントかよ」
Sが、いう。私は、声が出なかった。Hが会社を辞めるだろう、とは想像し
てたが、辞めさせられるとは考えてもいなかった。
「今週の月曜日、次長にいわれたよ、辞めてくれないか、と」
「それでHさん、どう答えたの」
「いいですよ、っていったよ。しょうがないよな」
1ヶ月前ほどに、製造部のある班長が「Hさんは仕事が遅くって使えない」
といってるのを聞いたことがある。確かに、Hさんは仕事が遅そうだ。ここに
来る前には、業界新聞の記者をしていた彼だ。どうみても製造会社で働くとい
う感じはしない。そういう意味では、私もそうだ。私が製造部にいたら同じこ
とをいわれるだろう。パソコンを拝んでいるから、なんとか会社にいられる私
だ。しかし、7月からは、その立場ではなくなる。ということは、私もいつか
肩を叩かれるということか。
「ひどい会社だな」
Sがいう。
「そんなもんだよ、会社なんて。Oさんも、Sさんも覚悟しといたほうがい
いよ」
そうさらりというHの無念さが、私は分かる。そういうほかないんだ。泣き
言いっても、誰も助けてはくれない。この半年、車が売れなくて受注が減少し
ている。会社は、昨年から2人、正社員をクビにしているのだ。人件費を減ら
すことだけがリストラとは思わないが、まともな会社経営をできない上の奴ら
は、社員をクビにすることだけを“リストラ”と考え違いしている。
Hは、2年前に今の会社に入社した。その前は業界新聞を発行している会社
にいて、次長という立場だった。彼は、酔うとよくその名刺を私たちに見せて
くれる。その会社でも、リストラで退職させられたらしい。
それから私たちは、工場長、次長、製造課長をこき下ろし、何人かの社員の
噂話で景気つけた。
「歌でもうたァか」
今日は早く帰る、といってたSがいい、私たちは立ち上がった。Sと何度か
行った、東口のはずれにあるスナックに行くことにした。
「さびしくなるな、Hさんがいなくなると」
Sはそればっかりいっていた。私だってまったく同じ気持ちだ。
とりとめないことを話ながら歩いていた我々は、なかなか目指すスナックに
たどり着けなかった。Sは「へんだ、おかしいな」とクビを傾げてばかりだ。
私もこのへんに間違いないと思って歩いていたが、あのスナックがない。もう
一度駅に戻り、半年前にSと行ったことを思い出しながら歩いたが見つからな
かった。アルコールより、Hの話でSも私も酔っぱらっちゃったのかもしれな
い。
2回目も、歩いてる街並みがまったく違う。どうしてなんだ。
「しょうがない、もう1度駅に戻ってみよう」
Sが、どこか信じられないというような顔していた。
私も、途方に暮れた。