火の魚2

2010年03月15日 | 健康・病気
今日も「火の魚」を観ました。
頭から観たのが3回目、あちこちつまんで観たのは何回だろう?
何度観てもいいドラマです。
観るほどに涙が出てしまいます。
私は今年、映画館で観た映画は、「アバター」と「おとうと」の2本。
テレビドラマは、毎週「龍馬伝」を観ているぐらいで、あとは観てない。
いや、「とめはねっ! 鈴里高校書道部」を観ていた。
そん中で一番は、「火の魚」ですね。
「火の魚」は、「孤独」と「死」をうまく扱っている。

小説家は、孤独をもてあまして島で暮らしていた。
それを、女性編集者は見抜いていて、
その“孤独”が2人をより結びつけている、と思っていた。
はじめ、小説家は虚勢をはって“孤独”とは無縁のふりをしていた。
それを装えばよそおうほど、女性編集者は、小説家の孤独を感じる。
彼は、女性編集者に来てもらいたいために、
島の子どもたちに人形劇を見せてやってくれ、と頼む。
「やってくれたら、原稿を渡そう」という。

女性編集者のためのマグカップを買っていたりする。
それを出すのをためらうシーンがあるが、
ドラマの中盤では、小説家と女性編集者のマグカップが、
洗って台所にうつぶせてあるカットもあった。
このあたり、ドラマの演出家のうまさを感じた。
シナリオライターの力かな?

金魚の魚拓をとるシーン(これは悲愴だった)の前、
小説家と女性編集者とで“死”について語り合う。
「若いおまえに何が分かる?」と小説家。
彼は、胃に腫瘍ができて、酒もタバコもやめ生まれた島に戻ったのです。
あるときから女性編集者が島に来なくなった。
それを電話で編集長に訊くと、「入院している」といわれる。
女は2年前にガンの手術をしていて、それが再発した。
小説家なんかより、女性編集者は、“死”に向き合っていた。

病院に、豪華な赤いバラの花束を持って見舞いに行った小説家は、
なかなか女に会えない。
女は避けていたようだ。
2時間後、病院の中庭に坐っていた小説家のうしろから女が声をかける。
パジャマから着替えてスーツを着ていた。
(最後のお別れをするためか)
しかし、頭には毛糸の帽子をかぶっていた。
抗ガン剤で髪の毛が抜けているのだろう。
「先生が、赤いバラの花束を持って2時間も病院にいるので、
 病院中の女が色めき立っています」なんて女がいう。

小説家は、女に謝罪する、すべてを。
「バラいるか?」と小説家。
女が頷く。
「私、もてているような気になってます」
「あながちそれは間違いではないよ」
(ここに書いたセリフは、正確ではないかも知れませんが、意味は合っていると思う)
女が病院の建物に入る前に、バラの花束を抱え、小説家に一礼する。

小説家が島に帰る船で、物思いにふけっている。
女が死んでも、おれの寿命も終わりが近いからすぐ追いかけるよ、
というようなことを。
そして空に向かって叫ぶ。
「タバコ、吸いテェ~」

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする