肉体労働2

2017年03月21日 | 健康・病気

昨日、日曜日に買った安全靴(?)を履いて仕事に行った。
土曜日の労働で少々痛い腕と腰だったが、やる気十分だった。
会社の駐車場には7時40分に着き、職場には7時50分に着いた。
倉庫は長さが100メートルある広さだ。
朝礼は8時から始まる。
「今日の仕事は沢山ありますからキツイです。できる人は残業をお願いします」
と20代の社員がいう。
土曜日に彼は、午後5時の終礼でいっていた。
「月曜日はそうとう大変ですから、日曜日には何もしないで下さい」
朝礼が終わってから社員に指示された「右」といわれているコンベアに行って、流し込みをやった。
「左」というコンベアもあって、そこからも流し込みをやる。
流し込みとは、コンベアの前に置いてある商品をコンベアに載せる作業です。
18歳の若者とやった。
彼は大学生で3月までここで働いて、4月からは大学に行くといっていた。
商品にいろんな物がある。
“水”と呼んでいるものは、ジュースなどの飲み物だ。
これを1時間も持ってコンベアに置く作業がキツイ。
“カレー”というのは、レトルトカレーでこれも重い。
私の働く会社は、名前をここに書けばほとんどの人が知っているブランドです。
食品、雑貨、化粧品、文具、洋服、家具と生活に使う全ての物を販売している会社です。
店は全国にあるといっていい。
私が働いているところは全国に配送するセンターだ。
そこに働いている人は150人はいるだろう。
その流し込みが9時頃終わって、Mさんという70歳の人とピッキングをやった。
ピッキングリストに従って、商品を集める仕事です。
リストには商品名は書いてない。
棚の住所の番号、品番、数量、在庫数が書いてあり、広い倉庫の中で商品を集める。
これも慣れないと大変だが、流し込みほど身体はキツくない。
午前中それをやった。
午後1時からはラベル貼りをやった。
商品に貼ってあるバーコードの上に違うバーコードを貼る作業だ。
パレットに積んであるダンボールの向きがバラバラで、バーコードを貼る位置が内向きの物がある。
それを全部表向きにするために、パレットに載っているダンボールを積み替えてからバーコードを貼る。
これがハードだった。
1時間ほどそれをやってから流し込みを指示された。
3時に15分休憩してから、また流し込みの作業になった。
果てしなくパレットに積まれた商品をフォークリフトが運んで来る。
5時になろうとしているのに商品を持ってくる。
18歳の若者は5時までだから、と時間がくると去って行った。
私も5時までの決まりでやっているのだが、社員が来ないので帰るわけにいかない。
商品は山ほどある。
腹がたったが、そこで1人で作業を続けるしかない。
5時20分に商品はなくなった。
社員が来た。
私の仕事は終わった。
私はここを辞めようと決めた。
身体が持たない。
それもあるが、社員の態度が悪い。
いや、配慮して考えると、社員も忙しいのかも知れない。
でも、5時前に誰か来て「5時になりますが、残業いいですか?」とか訊いてほしい。
それが責任ある社員だ。
私が昔、ウィンドウガラスを加工する会社で派遣社員を15人ほど使っていたときはそうしていた。
あの仕事は、60歳過ぎた人間のする労働ではない。
朝、ピッキングを一緒にやった70歳の人がいっていた。
「こういう倉庫の仕事は、昔は荷役といって港湾労働者がやるヤクザな仕事だったんだ」
私は思い出した。
20歳の頃、山谷に行って日雇いを探したとき、マイクロバスに乗せられて東京の港まで連れて行かれた。
そこで船から港の倉庫に塩の袋を運ぶ仕事をさせられた。
ベルトコンベアの切れ目に人間がいて、流れて来る塩の袋を別なベルトコンベアに載せ替える作業だった。
1日中やって身体がまいったことがあった。
塩の袋の重さが20キロだった。
午後、塩の袋を落として塩をぶちまけたことが何度かあって怒鳴られた。
何も64歳になって荷役をやることはないと思った。
女房に「やめるよ」と電話して、派遣会社に電話した。
女房は、祭日だったから会社は休みで家にいた。
さあ、これからの私の生活はどうなるかな?
2日で仕事を辞めたなんて、職業訓練校のクラスの人たちに恥ずかしい。

コメント (10)
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