本日配布された「広報はとやま」12月号を見ると、鳩山中学校吹奏楽部が、
東日本学校吹奏楽大会で3年連続金賞を獲得したと書いてあった。
素晴らしいです。
私も中学生のときに、吹奏楽コンクールに出たことがありました。
茨城県警察音楽隊の隊長が、私たちが夏休みのときに来て教えていただいた。
それなりに練習はしたが、顧問の先生があまり音楽的には普通の人で、
まったくコンクールはダメでしたね。
高校3年のときに、茨城大学を卒業したばかりの音楽教師が、吹奏楽部の顧問になった。
先生は、茨城大学吹奏楽団でフルートを吹いていて、指揮もしていた。
私が2年までの顧問は、武蔵野音大のピアノ科を卒業した先生で、吹奏楽部のことは知らなかった。
なので吹奏楽部の指導はせず、生徒たちで適当にやっていた。
吹奏楽部の活動は、高校野球の応援ぐらいだった。
私が高校に入学して吹奏楽部に入ったとき、吹奏楽部は創部して3年目だった。
私と同じ中学の吹奏楽部の2年先輩が、高校に入って作った吹奏楽部です。
吹奏楽部としては低いレベルでした。
しかし、3年のときに顧問になった先生の指導は衝撃的だった。
なにしろそれまで吹奏楽部顧問は、練習に来たことがなかったのに、
新しい顧問は毎日来て指揮をしてくれた。
楽器というものは、音楽はこういうふうに演奏するんだ、と分かりやすく教えてくれた。
私としてはそれまで、そのような画期的な吹奏楽の指導は受けたことがなかった。
そして先生は、夏に開催される吹奏楽コンクールに出ると言う。
私たちは前の年まで、野球の応援のための行進曲と歌謡曲ぐらいしか練習していなかった。
5月か6月だったか、コンクールに演奏する曲を探しに東京に行くと先生が言う。
先生と部員5・6人はある日、ヤマハ銀座店に行ってコンクールで演奏する楽譜を探した。
私たちはまったく、コンクールでやる曲のことなど分からない。
先生はおそらく事前に決めていたのだろう。
私たちは、「ディメンション」という楽譜を買った。
夏休みの合宿には、茨大吹奏楽団の人たちが5・6人きてパート練習のときなど指導してくれた。
練習はきびしかったが、夜は大学生がいろいろ話してくれて楽しかった。
そういうことがあって私たちの吹奏楽部は、初めて出場した吹奏楽コンクールで銅賞を取った。
私は吹奏楽部の部長をしていたので、銅賞の賞状をいただくことになった。
そのときに賞状を授与してくれた人は、
中学のときに指導してくれた茨城県警察音楽隊の隊長だった。
隊長は私のことを覚えていてくれて、「おめでとう」と話しかけてくれた。
あのときはうれしかったです。