息子

2025年01月04日 | 家族

私の息子は一卵性の双子です。
子どもの頃はよく似ていた。
最近の息子たちはあまり似ていないと思う。
昨日、息子とほとんど会話はしなかった。
でもちょっとした時間に息子に、少し質問した。
私はビールを飲んだが、息子は飲まなかった。

「仕事はどうなんだ?」
「会社としてはどうなんだろう?でもおれの職場はいいと思うよ」
息子は大学を出て一度転職していた。
最初はITの会社に入って、銀行のシステムのメンテナンスなどをしていた。
それが4年前ほどに保険会社に転職した。
仕事としては同じくシステムのメンテナンスをしているようだ。

「今の趣味はなに?」
「パソコンでゲームかな」
息子たちが幼稚園のときにファミコンが流行り、買ってあげた。
それから家にいるときはファミコンで遊んでいた。
私は幼稚園のときに将棋を教えた。
もしなれるのなら将棋の世界に行ってもらいたい、などと夢見たこともあった。
地域の将棋大会などに参加させると、優勝することもあった。
小学4年のとき、私の前で2人が将棋を指していてどちらかが勝った。
負けたほうが号泣した。
それ以来、2人は将棋を指さなくなった。

それはそれとしてテレビゲームはやっていた。
私は、自分で作ったパソコンを中学生の息子たちにあたえた。
かなりパソコンのゲームに2人は夢中になった。
そんなことがあり、どちらも大学の史学部を卒業して、IT企業に就職した。
私は、息子たちが小さいときから、家でギターを弾いたりケーナを吹いていた。
その影響があったのか次男は、高校生のときはギターを弾き、
大学に入ってからはバンドを作ってベースを弾いていた。
長男は大学でグリークラブに入った。
その定期演奏会には、私と女房は4年間行っていた。
息子の趣味がパソコンのゲームだけということが寂しい。
私としては、音楽を聴き、小説を読み、映画を観るということをしてもらいたい。
おそらく次男もそうなんだろう。
次男は高校生のときに文学サークルで、長男はアニメのサークルに入っていた。
私は、そっちの方向に進むことを希望していた。

「住宅ローンはあとどれくらいあるの?」
「もう、全部払い終わったよ」
私は、長男らしいな、と思った。
35年の住宅ローンを、もう払い終えたとは、あいつらしい。

 

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孫が来た

2025年01月03日 | 家族

今日、長男が子どもを2人連れてうちに来てくれた。
上の男の子は小学6年で妹は小学2年生です。
昨年の1月3日以来に会う孫たちは、とても大きくなっていた。
次男の家族は来なかった。
長女が現在高校3年生で、今年は大学受験を控えていたので来なかったようだ。
私ががんと闘っているときに、孫たちは成長していた。
家に入ってリュックを降ろし上着を脱いだ孫たちに、私はお年玉をあげた。
長男の娘が、わが家に来てさっそくピアノを弾いてくれた。



現在、ピアノ教室に行って習っていると言う。
私よりうまくピアノを弾いてくれた。
私は孫に負けないように、ピアノを練習しなくてはと反省した。
男の子は、歴史が好きだと言う。
中学生になったら、日本史のことなど話したいと思った。
長男と孫たちは、12時前に来て午後2時半頃に帰って行った。
次に孫たちと会うときの成長した姿が、楽しみです。


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2025年を歩く

2025年01月02日 | 暮らし

昨日から2025年が始まった。
身体に気をつけて暮らしていきたいと思う。
なんといっても膀胱がんと仲良くしていきたい。
毎日、5,000歩以上は歩きたい。
女房が笑って暮らせるようにアシストしたい。
私も笑って毎日を生きたい。
こんなところですかね。


私のウォーキングコースです

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令和七年初日の出

2025年01月01日 | YouTube

令和七年初日の出

家から車で10分ほどのところに、初日の出を見に行った。
若い人が沢山いた。
私のような老人はいなかった。
もう今年限りにしようかな、と思った。



今日は午後4時前にウォーキングに出た。
スマホのらじるらじるを、ワイヤレスイヤフォンで聴く。
4時から「令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨犠牲者追悼式」が始まった。
私は被害者代表の言葉を聴いていて涙が出た。
3代続いた洋品店の女性の言葉だった。
あの地震で、お父さんを亡くしたという。
地震が起きた4時10分に黙祷となった。
私は、歩いていたので黙祷ができなかった。
少し遅れて黙祷をした。


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辰年が終わる

2024年12月31日 | 暮らし

今年は辰年、私の年でした。
それほど悪いこともなく、いいこともなかった。
いや、よいことはあった。
6月の膀胱鏡検査で膀胱がんの再発がなかった。
9月と12月に大学病院の泌尿器科の外来に行った。
尿の分析ではがんのことは分からない。
来年の1月末に膀胱鏡検査を受ける。
さあ、どういう結果になるでしょうか?

今年私は、お金をいただく仕事というものを1年間しなかった。
高校を出てから初めてのことです。
なんか不思議な気持ちでした。
年金というものをもらって暮らしてきた。
仕事をしていたときに、年金といわれるものを毎月天引きされて、会社に勤めていた。
毎月年金を払ってきたから当然のことなのですが、ありがたいです。
若いときは年金のことなどまったく意識になかった。
今となってはありがたいとあらためて思います。

もうすぐ今年が終わります。
私として来年は、小説を書きたいと思っています。
(こんなことをもう、何回書いていることか)
俳句も作ります。
ピアノ・ケーナ・尺八・ギターも練習します。
YouTubeもそこそこ投稿したいです。
そして毎日(?)九想話を書いていければな、と思っています。
私はあとどれだけ生きられるのだろうか?


最近飲んでいる酒で、3リットル970円ぐらいです。
高い酒は飲めません。

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12月の九想話

12/1   今年もあと1ヶ月
12/2   これからの民放テレビは?
12/3   今日は孫の誕生日
12/4   友が来る
12/5   淡路島から友が来た
12/6   ふてほど
12/7   桜が咲いた
12/8   龍彦の命日
12/9   わが家の食生活
12/10  小倉智昭さん死去
12/11  くたびれたスマホケース
12/12  ジムノペディ(2024 12 12)
12/13  乾門通り抜け
12/14  テレサ・テン
12/15  湯たんぽを買う
12/16  私の膀胱がん
12/17  膀胱がん予防と乳酸菌 シロタ株
12/18  昆虫の話なんだけど
12/19  布袋竹
12/20  野球帽
12/21  今日は冬至です
12/22  メチャセコイヤ
12/23  女房の一番好きなもの
12/24  俳人 奥坂まやさん
12/25  ささやかなクリスマス
12/26  年賀状やめます
12/27  ザ・ン・ネ・ン
12/28  門松を作る
12/30  トカイナカ暮らし
12/31  辰年が終わる

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トカイナカ暮らし

2024年12月30日 | 暮らし

昨日は、友人と1年ぶりに会って酒を飲み、カラオケを歌いました。
それで酔ってしまって、九想話を書けませんでした。

【森永卓郎氏が提言】老後不安克服のために考えるべきは「いまある収入で暮らし、
 死ぬまでに“使い切る”」こと 「月15万円で豊かな暮らしは実現できる」

>老後資金が不安で仕方ないという声をあちこちで聞きます。

> 政府が「貯蓄から投資へ」と声高に唱えて、資産形成を煽りに煽っている。そのうえ
>「老後資産は2000万円必要」といった試算を出されたら不安が増すのは当然です。

> しかし、本当にそんなにお金が必要なのか。投資をするのが正しいことなのか。甚だ
>疑問です。

(略)

>これから考えるべきは「お金を増やす」のではなく、いまある収入で暮らし、死ぬまで
>に「使い切る」ことなのです。

> たとえ多額の貯蓄がなくても、生活費を公的年金収入の範囲内に収めることができれば
>なんの問題もありません。物価高が叫ばれる昨今ですが、日本人の年金受給額(夫婦総額)
>は平均月22万円。この額で生活していくことは十分に可能です。

私は、森永卓郎さんの考えに賛成です。
私は高校を出てから、25・6回は転職を繰り返してきました。
ほとんど零細企業に勤めていた。
転職するたびに会社が傾き消えてしまった。
なので、貧しい暮らしをしてきました。
家族4人、生活するだけでも大変だった。
その上、60代で退職金というものももらえる立場ではなかった。
こんな私ですが、双子の息子たちには私学の大学を卒業させました。
そういうことで60代のとき、貯金というものが少なかった。
その頃女房は、東京の清瀬市の借家(UR賃貸)に住んでいた。
私は、軽井沢にあった会社の寮にいた。
そのへんのことは下記の九想話に書いてありますので読んで下さい。

2013年12月20日九想話「家を買う

私はそのとき、家を買ってよかったと思っています。
中古住宅を買って10年の住宅ローンを組んで、それが昨年で終了した。
(月々56,000円ほどでした)
ここ鳩山町には電車の駅はありません。
東武東上線の高坂駅(東松山市)まで、バスで15分ほどで行きます。
それから池袋まで急行で1時間弱かかる。
昨年まで女房は、勤務する東京都文京区の会社まで2時間かけて通勤していた。
現在は、車で7・8分の大学の食堂にパートで行っています。
私と妻の年金は、合わせて20万円ちょっとです。
それと女房のパートの収入がある。
それで、なんとか暮らしていけます。

私の希望としては、老後に東京都心で暮らしたかった。
私は、演劇・映画・音楽が好きなので、劇場や映画館が近くにあるところで暮らしたかった。
それは諦めました。
それらを私は、テレビやパソコンで鑑賞します。
でももし万が一にも宝くじが当たったら、都心に住みたいと考えている。
それで、恥ずかしながら宝くじを買っています。
当たったら寄席の近くのマンションでも買って、毎日落語を聴きに行きたいです。

私は2008年まで20数年、所沢で暮らしていました。
なので所沢が大好きです。
森永卓郎さんは、所沢に住んでいるんですね。
あそこは都心に出るにも便利です。
でも、私には所沢の家は経済的に買えませんでした。
なんとか買えたのは鳩山町です。

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門松を作る

2024年12月28日 | YouTube

門松を作る

昨夜は動画編集疲れで、YouTubeへの動画の投稿を断念しました。
今日は10時頃から編集作業をし直し、
午後6時過ぎに動画編集を終え、さきほどYouTubeに投稿しました。

ひょんなことから竹が手に入り、それで門松を作りました。
かなり最初の思いから離れたものになりましたが、
女房は「かわいい!」といって喜んでくれた。
自分でもなかなかいい門松ができた、と思っています。



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ザ・ン・ネ・ン

2024年12月27日 | YouTube

YouTubeに門松を作った動画を投稿できなかった。
夕方からずうっと動画編集をしていたが、あるところで失敗した。
もう眠たいので寝ます。
明日、再投稿にチャレンジします。





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年賀状やめます

2024年12月26日 | 暮らし

去年、年賀状を1枚も書かなかった。
正月に年賀状をくれた人だけに返事を書こう、と決めた。
そして正月に5枚の年賀状が来た。
その人たちには返事を書いた。
今年もそうします。
ただその返事にはこう書きます。

 私都合で大変恐縮でございますが、
 本年をもちまして、
 年賀状のご挨拶を失礼させて頂きます。
 今後とも変わらぬお付き合いをお願い申し上げます。

年賀状だけの関係の人とは、これでつながりが切れてしまうでしょう。
でも、それだけだったのですから、それを続けるのもどうかな、と思う。
たまに、ときどきとかに、話す人とつながっていきたい。
もう私の先は短いです。



 

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ささやかなクリスマス

2024年12月25日 | 暮らし

私の子どもの頃は、ほとんどクリスマスなんて関係なかった。
中学生のとき、吹奏楽部でクリスマス会をやったことがあった。
社会に出てからも私は、クリスマスの外にいた。
結婚して息子たちが生まれてから、家でクリスマスのまねごとをした。
それも子どもが中学生ぐらいになるとやらなくなった。
私が中軽井沢に住んでいたときは、近くの教会に行ってクリスマスの雰囲気を味わった。

2012年12月09日九想話「少し早いクリスマス

今の家で暮らすようになってからは、女房がクリスマス的なものを手作りして飾っている。

2015年12月01日九想話「クリスマス飾り

女房は今日まで仕事だった。
大学の食堂は昨日まで営業していて、今日は大掃除だけだったそうだ。
午後2時過ぎ、家に帰ってきた女房は身体全体で開放感を表していた。
私は心から「お疲れ様でした」と女房に言った。
それからいらなくなった布団・敷物や衣類を、町のクリーンセンターに捨てに行った。
家に帰ってから、昨日買っておいたケーキを食べた。
2・3日前からクリスマスには丸いケーキを買おうと、女房が言っていたのだが、
昨日スーパーでケーキを買うときに、
「高いから安いのでいいや」と女房がいい、2個360円のモンブランにした。
うまかったです。
このケーキを食べて、私の今年のクリスマスは終わりました。




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