ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

真珠湾攻撃電文

2012-12-08 | 海軍

元「軍関係」の方にいただいた真珠湾攻撃成功を知らせる電文です。
一次コピーとはいえ、字のかすれはいかんともしがたいのですが、
今日12月8日、真珠湾攻撃の日にちなんでこれを掲載してみました。

冒頭画像は「奇襲成功セリ 〇三二二」

二行にわたって大きく罫一杯に書かれた字に、意気揚々とした興奮が
ありありと現れています。

「12月8日 軍極秘 暗号」

の下にあるのは

「発信場所 赤城 指定 緊急信 番号 六」

その下が

「送信者 GF(連合艦隊)長官 軍令部総長」

連合艦隊の長官すなわち山本五十六司令と、永野修身海軍大将宛てです。
永野大将はその八ヶ月前に伏見宮博恭王から軍令部総長を引き継いだばかりでした。
因みにこのときの軍令部次長には、あの伊藤整一大将(最終)がいました。

伊藤大将は大和特攻で沖縄に戦死し昇進したので有名ですが、
山本五十六と同じく「海軍内不戦派」と気脈を通じ、最後まで開戦には反対でした。
初戦の勝利に戦局を楽観視する軍令部の参謀たちに向かって、
このアメリカ帰りの「知米派」は

「そうじゃない。アメリカがいっぺん来たからにはそんなもんじゃない」

と一言言ったそうです。



作戦前の深夜二時に打電されました。

送信場所 東京
指定 緊急信
番号 一一三

發信者 聯合艦隊
發信者 GF長官

すなわち、東京の聯合艦隊司令本部から山本長官の名で機動部隊に送られたもの。
本文です。

GF 七七六 七日  〇二〇〇

聯合艦隊電令 第一三號

皇国ノ興廃繋リテ此ノ征戦ニ在リ
粉骨砕身各員其ノ任ヲ 完ウセヨ

本電 十二月七日 〇六〇〇  発令  (終)


真珠湾攻撃のとき、「皇国ノ興廃」が出たので、思わず
「(日本海海戦のときと)全く同じかよ!」
となった機動部隊の隊員がいたそうですが、ちょっと待った。
よくよく見ると、微妙に文句が変わっています。

「繋リテ」の追加。
「この一戦」を「此の征戦」
各員一斉奮闘努力せよ→粉骨砕身各員其の任を全うせよ。

電報発案が山本司令だったのかどうかは知りませんが、
なにしろあの「世紀の名指令」がどうしてもカブってしまいます。
ゲンを担いであやかりたいけど、同じじゃ能が無い。
そう、なんたって歴史に確実に残る(はずの)電文なんですから。

というわけで、結果として、オリジナルそっくり、しかも、
原文を超えることの決して無い「どこかで聴いた電文」になりました。

聯合艦隊は前もってオリジナルを考えておくべきだったかもしれません。




戦いすんで日が暮れて。いや夜は明けて。
最後の電文は戦果報告です。

図の右側部分、他は一緒ですが、一番下の四角囲みの部分

「受信者 GF各長官」

「發信者 機動部隊指揮官」

攻撃隊の総指揮官であった淵田美津雄ではなく、南雲忠一長官のことでしょう。

機動部隊 八四四   八日  〇八〇〇

敵主力艦 二隻 轟沈 四隻大破
巡洋艦 約四隻大破 以上確実
飛行機 多数爆破 我 飛行機損害 約三〇機 (終)


第二波攻撃が始まったのが日本時間の四時二十六分ですから、
この電文が送信された八時には全てが終わっていたと言うことですか。

実際は

戦艦5、駆逐艦2沈没、巡洋艦 3中破、航空機破損、計333機

ですから、直後の戦果確認より与えた被害は甚大でした。
ただし、この後アメリカはしゃかりきになってそれらの修復をしましたから、
「甚大な被害」はかえって彼らの戦意高揚になりこそすれ、
それで「アメリカを叩いた」などとはとても言えないということが今ならよくわかります。





ここで、この電報コピーをいただくきっかけとなった銀座のバー「ヨーソロ」の写真を。
前列左から五番目、これは山本司令ですね。
この前列にはおそらく、南雲忠一、永野修身といった面々がいるはずなのですが、
誰が誰だか判然としません。
ただはっきりと分かる人物が二人。

山本司令の右斜め上、これは宇垣纏少将・・・・・・・ですよね?
山本司令の二人隣、これは草鹿任一中将・・・・・・・ですよね!(確信)
そして、これは全く当てずっぽうですが、二列目の一番右の人物。
これは、伊藤整一軍令部次長ではありますまいか。参謀飾緒してるし。
ついでに、四列目の左端、左から二人目にも見える口ひげの人物の左下。
これは、源田実大佐ではないですか?

草加任一以外の異論受け付けます。

このとき、南雲長官と草鹿任一中将が、それぞれの性格を表す会話をしているのを、
宇垣中将が聞いていて、「戦藻録(なかなかしゃれたタイトルですね)」に書き残しています。

機動部隊が出撃した後も、南雲長官は内心の不安をこのように宇垣中将に打ち明けました。

「君はどう思うかね。ぼくはエライことを引き受けてしまった。
ぼくがもうすこし気を強くして、きっぱり断ればよかったと思う。
出るには出たが、うまく行くかな」

南雲司令、思いっきり弱気です。
それに対し、あの(笑)草鹿仁ちゃんは

「俺は鈍感なのか、人は非常な大事をやる様に云ふが、何とも感じない」

と言い放ち、南雲司令を慰めたそうです。
南雲はそれに対し微笑んで

「君は楽天家だね。うらやましいよ」

これを宇垣中将は、これは指揮官と幕僚という立場の差だと感じたというのですが。
・・・・・そうかしら。
ここでブログならではの勝手な「IF」をつぶやいてしまいます。


もし真珠湾氏攻撃の総司令が草鹿任一だったら?

三河軍一「第三次攻撃の必要あり」
草鹿長官「そうか!第三次攻撃を行う」
山口多聞「一応攻撃準備できてます」
草鹿「だから行う!行け!すぐ行け!今行け!」
山口「えっ」
三河「えっ」
草鹿「えっ」


失礼しましたm(_ _)m