このブログについて端から端までいつも目を通してくださっている、と言う方以外は、
最近、エリス中尉とある読者の討論がコメント欄で繰り広げられたのを
あるいはご存知でない方も多くおられるかもしれません。
そのやり取りそのものについては、ご本人の了解も得て、今まで隠していたコメントを
皆オープンにしていますので、もしその経緯がお知りになりたければ、
「白洲次郎」あるいは「不思議の国のダレス」のコメント欄をご覧ください。
さて、わたしがこれまでいろんな本や資料、映画映像、インターネット言論に至るまで、
そういった媒体から取り入れてきたことは、ある程度傾向を持ち、このブログに表されています。
もしそういった考えを読めば、わたし自身の思想信条なり、現政権や自衛隊、そして外交にいたるまで、
そして日本はどうあってほしいかと思っているかということも、読者の皆様にはお分かりでしょう。
ご自分と考えを同じくするからこそ読んでくださっている、そんな方もおられるとわたしは思っています。
しかしながら、ここに、全く異質の考えを持つ方が、コメントを下さるようになりました。
異質、というのは、つまりわたしの思想信条に対し異なる立場意見を持っているという意味です。
それがその読者の方であったわけですが、これは雑談の時にはわかりませんでした。
「そのような話」のときには決してコメントしてこられなかったからです。
これはパーティで政治思想の話はタブー、という話のようなものですから、不思議ではありません。
思想が違っても趣味が同じなら、何の問題もなく付き合えるのと同じです。
意図的にその話題に触れることさえお互い慎めばですが。
わたしは今にして思うのですが、この方はわたしの思想信条については
その個所をあえて読むことなくコメントしてきておられたのではないでしょうか。
そしてある日均衡が崩れました。
冒頭のこの挿絵、「不思議の国のダレス」のために描いたものですが、
この記事に対するコメント欄から「全てが始まった」というわけです。
この「不思議の国のダレス」は、その方ののリクエストともいえる
「白洲次郎」のいわば傍論として、ちょうど左翼学者で元防大校長の五百籏頭氏の講演の後、
氏の「意図的な間違い」を突っ込みついでに、憲法改正における吉田茂と白洲次郎について、
その経緯を説明しながらお話しさせていただいた稿です。
吉田も白洲も、日本が独立するときに政治の第一線にあり、その行方を決定した人々です。
とにかく日本は7年間、占領されていた。独立国家ではなかったのです。
その状態からどういう独立の形を勝ち取るのか、それは彼らの手腕にかかっていました。
この方は彼らをその点において最大に評価しておられました。
そして彼らの作った憲法を改正することは「間違いだ」とおっしゃいました。
そうでしょうか。
彼らの成しえた「独立の形」は、最良のものだったのか。
そして「日本」は真の独立国として立ちえたのか。
わたしは、その答えは「NO」だと思っています。
これから、その方に手紙を書きます。
しかし、これはこの個人に対する手紙ではありません。
ですから、反論や批判などはご無用です。
この方の世代、つまり日本が独立した昭和27年ごろ生まれた団塊の世代の、
同じのような考えの人たちへの提言であるとご理解ください。
ここでわたしは、自分の考えを述べようと思います。
これはあくまでもわたしの考えであり、あなたがたには相容れぬことも多いかと思います。
しかしそもそもおそらくわたしと考えを異にする人々はこのブログは読まないでしょう。
人は自分と同じ考えのものだけを目にしたいと思うものだからです。
つまりこの方は否定なさいましたが、自分の思想を吹き込もうという
「オルグ活動」を目的にでもしていない限り、そのような考えの方は
このブログの愛読者などにはならないのではないか、
わたしは非常に残念ながら今でもこのように思っております。
前にも一度書きましたが、健全な国体にとって一番恐ろしいのは全体主義です。
ですから、必ずある思想にはそれに相対する思想があり、右と左のバランスが
取れていることが望ましい、とわたしは今まで信じて参りました。
ですから、わたしはこの方のお考えをも否定するものではありません。
しかし、この国が今直面しているもっとも懸念すべき問題の一つとして
「愛国」が「右」とされ、「左」は「自虐」「反日」はなはだしきは「売国」として
対極に存在するという構図かあります。
なぜなのでしょうか。
そんなことからお話ししてみようと思います。
あなたは、昭和27年に生まれました。
(これは実在の個人に対して言っているわけではありませんから、
本当にそうでもそうでなくてもいいのです。ご了解ください)
この年、日本はサンフランシスコ講和条約によって独立国となったのです。
日本は戦争に負けて、7年間の間、主権がなかったのです。
そんなことは知っている、馬鹿にするな、とおっしゃるでしょうか。
日本は敗戦後7年で主権を取り戻した。
しかしこれは、戦勝国からその権利をもぎ取ったのではありません。
日本人がその力で独立を勝ち取ったわけではないのです。
アメリカが考えるところの独立を「与えられた」のです。
アメリカは日本との戦争に勝ちました。
これからの日本をどう料理していくか。
「日本の侵略」を食い止めるというアメリカの戦争に対する建前と、
大戦後大きく変わった国際的な「道徳的規範」から言っても、
これまでのようにこの国を「植民地」にすることはできない。
しかし、少なくとも戦勝国としての最大限の利益をここから得ねばならぬ。
アメリカはマッカーサーのGHQを介して丹念に吟味し、
この国を自分たちの都合のいいような国にリセットしようとしました。
そしてまず執り行ったのが「儀式」です。
遡及法であり、戦勝国が敗戦国を裁くという、国際法上違法の東京裁判。
アメリカはいったい何のためにこれを行ったのだと思います?
ラダビノッド・パル博士はこのような意見を述べました。
「これは裁判の名を借りた復讐であり、占領政策のプロパガンダに過ぎない」
つまりすべてはアメリカが日本を「これから統治するためのイニシエーション」だったのです。
そして占領下にあった7年の間、東京裁判に始まり、アメリカは着々と日本人の「精神性」を、
つまり、これまで日本人が心の支えにしてきたものを尽く破壊しました。
神道を追放し、教育勅語を廃止し、「軍」にまつわるものやことはすべて打ち壊しました。
敗戦で打ちひしがれぺしゃんこになってしまった日本人に、
「全ては軍が国民を騙してきたことで国民は被害者だ」というスローガンを与えました。
格好の「怒りのやり場」として「軍部」を日本人の前に投げ出したのです、
東条英機ら国家指導者をそのための生贄として処刑し、さらに「日本の悪」を繰り返し宣伝し洗脳しました。
これを「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と言います。
きっとあなたはご存知ですね。知識の上では。
そんな占領政府の下で日本は独立したのです。
これが、日本にとって健全な独立だったとお思いでしょうか。
ただ常識だけで考えてもわたしにはこのような結論を出すことはできません。
そんな中で行われることになった日本の独立。
吉田や白洲が、GHQと折り合いつついかに日本の意志を通し、
また一日も早く独立を成し遂げるかに腐心したか。
彼らの中には常に苦衷があり、それはまさに「戦い」であったとわたしは思います。
しかし、国民はそうではありませんでした。それどころではなかったのです。
しかも昭和25年には朝鮮戦争が起こり、日本は「特需景気」に沸いていました。
人々は今日を生きるのに精いっぱいで、日本が占領下にある非独立国であることなど、
我がこととして考えている余裕もなかったのではないでしょうか。
だからこそ、GHQの行った「日本人の精神殺戮」、
ウォーギルトインフォメーションプラグラムは、非常に巧妙に、
しかし確実に日本人に浸透していったのです。
それが着々と功を奏すのと同時に日本人は経済的な成功の道を突っ走り始め、
不満や疑問は経済的成功の甘い味に糊塗されてしまったからです。
アメリカがやったのは、まさにアメとムチのやりかたでした。
その頃、アメリカがこれ見よがしに見せつける、アメリカ式物質文化への強烈な憧れから
「アメリカのすることは何でも善」とまで洗脳された日本人は少なくなかったと聞きます。
アメリカは、敗戦国―自分の手に入れた国―に対して、一度叩きつぶしリセットしてから
あらたにリフォームをするという壮大な「社会実験」を日本に対して施しました。
そしてそのリセットの象徴たるものが「日本国憲法」だった、とわたしは思っています。
あなたは日本国憲法がいつ制定されたか言えますか?
昭和22年、なんと終戦二年後なのですよ。
おかしなことだと思いませんか?
昭和22年と言うと、まだ日本は被占領まっただ中です。
主権を持たない国家が憲法を持たされたのです。
誰によって?
主権を持たない占領下で、まさに占領国アメリカによって「持たされた」、
これが、現在も日本国憲法であり続けている憲法なのです。
あなたは憲法は絶対に改正するべきではないとおっしゃいました。
その理由はなんでしょうか?
わたしの読み取る限りお答えは二つ。
ひとつは
「戦後日本は発展し世界第三位の経済大国にまでなった。
とにかく結果が良かったということは、憲法も間違っていなかったということだ」
そしてもう一つは
「改憲によって中国の怒りを招き、それによって在中企業に『不測の事態』が起こりうるから」
・・・・・まあ、二つ目の意見については、わたしがわざわざ手をくださず?とも、
このブログを読んでいる方のほとんどは、個々に何らかの感想をお持ちになると思いますので、
あえて何も申し上げません。
しかし、あなたの
「戦後日本の発展と平和は憲法が間違っていなかったという証左である」
という考え方、これはいかがなものでしょうか。
その内容のいかんにかかわらず、わたしはまずこの憲法が
「戦勝国、さらに占領国の都合で作られたものである」
というところに重大な欠陥と、改正するべき大きな理由があると思っています。
国民の総意を結集したわけでも、国民の手で作られたものでもない憲法。
憲法作成にかかわった当事者である白洲次郎が
「監禁されて強姦されたらアイノコが生まれたィ!」とまで吐き捨てた憲法です。
白洲は、その中でも、日本のために最後まで最善を尽くそうとしたのでしょう。
しかし、いかに彼がその中に心血を注ごうと、しょせんそれが
「占領国の都合のいいように作られたもの」であったことに変わりありません。
アメリカは、二度と日本が自分に対し牙をむかないように、
「守ってやるからお前は二度と軍隊を持つな」という意図まで憲法に盛り込みました。
あなたは「自衛隊を国防軍にするのは反対です。星条旗が守ってくれますよね?」
とおっしゃいましたね。
独立に際してアメリカが日米安保条約を結んだ第一義は、
はたして本当に日本のためだったでしょうか?
「かつて自分に逆らった(しかも結構苦しめられた)敵を無力化して自分の配下に置く」
ことを周到に計画したにすぎないのではないですか?
国家と言う単位のすることに無償の「善意」無償の「親切」を求めるばかりか、その行為が
その表れであることを信じるなど、それこそおとぎの国の住民並みのお目出度さです。
アメリカのすることはアメリカにしか利することはない、こんなことは当然ではないですか。
しかし今や当のアメリカすら戸惑うくらい、日本人は見事にプログラムされ、
平和憲法とそして米軍によってわが国の平和は守られている、と無邪気に信じる
「おとぎ話の国の住民」がたくさん生息しています。
そう、あなたのような人たちです。
あなたは今、アメリカは日本のために率先して血を流してくれると思いますか?
アメリカの議会は日本を守るためだけにに若者を戦地に送ることをためらわないと思いますか?
アメリカの若者は、日本を守るという大義のために喜んで死んでくれるでしょうか?
そしてあなたは、日本に何かあったら、そのアメリカの若者に
「日米安保があるのだから日本のために死んでくれ」とおっしゃるつもりですか?
わたしは、日米関係はこれからも良好であるべきと思っています。
この両国が緊密な友好関係であることは、世界にとっても望ましいことで、
間違っても民主党がやらかしかけたように「喧嘩別れ」などするべきではありません。
しかし、当のアメリカが日本に対して「もうそろそろ一歩踏み出した防衛をするべきだ」
とサインを送ってきていることも視野に入れるべきです。
つまり「円満な離婚」(別れても友達)の可能性を模索する時期なのかもしれません。
日本が自分たちを守ることのできる体制を作り上げながら、緩やかに。
なぜなら、日米安保を存続したまま憲法を改正することは理屈が合わない部分もありますし、
さらにアメリカの戦争に巻き込まれる懸念もないではないからです。
独立国になるということは、自分で自分を守る、つまり場合によってはあなた方の嫌いな
「血を流す」義務も伴うことでもあるとわたしは思っています。
どうして日本だけがその国家としての義務を丸投げしたままで許されているのでしょうか。
とにかく、いつまでも「アメリカが守ってくれるから平和憲法死守」とか言っている人たちは、
わたしには「守られる権利」だけを主張し、義務に対する対価を払おうとしていない、
わがままな子供のように見えてしまうのですよ。
いまの憲法にはもうひとつ重大な欠陥があります。
つまりいざ何かーたとえばどこかが攻撃してくるとわかっていても、
「まず真っ先に日本の誰かが死ぬまで何もできない」と言うことでもあるのです。
日本の国土が先にやられて初めて、自衛隊は動けるのです。
日米安保もそのときには恙なく発動するでしょう。
アメリカの軍事力を持ってすれば、どこであってもおそらく一日もあれば
相手を制圧し事態は平定するに違いありません。
しかし、その頃に日本は、日本の国土は、その混乱に乗じて起こってくると予想される
さまざまな「火事場泥棒現象」によっていったいどのようになっていると思いますか?
その「最初の一撃」が他ならぬ首都圏直撃の核ミサイルであったら、どうなると思いますか?
「憲法を改正したら戦争ができる国になるので、徴兵制が施行される」
これもあなたのお言葉ですね。
今コメント欄を見たら、リュウTさんが「選挙の次の日に聴いた小学生の言葉」
についてご報告くださっていますが、これと全く同じ言葉です。
つまり昭和27年生まれのあなたは、小学6年生と全く同じ発言をなさったことになります。
リュウTさんによると、この地域では民主党議員が当選したとのこと。
このようなことはいかにも先生が言いそうですが、彼らの親であった可能性もあります。
「憲法改正」=「徴兵制」は、あなたに言わせれば「極論」だそうですが、
わたしに言わせれば、これは極論でもありかつ典型的な左翼オルグお定まりの殺し文句です。
何度も言いますが、日本には徴兵制にはなりません。
インターネットでは「米国は世界支配の野望の足掛かりとして日本に憲法改正させ、さらには
徴兵制にしてアメリカの戦争のために働かせようとしている」と言っている人などもいますが、
(アメリカは確信的利益のために戦争をするかもしれないけど、「世界支配」ねえ・・・・)
あなたは勿論、アメリカが徴兵制でないこともご存知ですよね?
ところでこの際ですからわたしの考えを言わせていただきましょうか。
わたしは、日本は憲法を日本が独立した昭和27年、
つまりあなたの生まれた年に改訂するべきだったと思っています。
現行憲法ができて、今年で何と66年。
もう少しで67年ですよ。
これだけ経てば時代の変化と国際情勢の激しい変化の実情からずれてくるのが当然です。
しかしこの長きにわたって、しかも主権の無い状態で作られた憲法を後生大事に守り続けている。
やはり日本はいまだに「不思議の国」です。
選挙前、共産党のCさんが公約で「平和憲法を守り抜く」と言っていたのを見て
少し笑ってしまいました。
共産党って、反アメリカ、反米軍ですよね?
そのアメリカに押し付けられた憲法をまるで聖典のように守る決意を語る党首。
できの悪い風刺漫画を見ているような気分になりました。
白洲次郎は戦後日本国憲法に対し「いいものはいい」と言いました。
確かに、いくら古かろうと憲法のすべてを変える必要はありません。
中にはこれからも大事にしていきたい条項もあります。
しかし、中にはこれでは日本の国益が損なわれる、と思われるものもあります。
以前も言いましたが、一つ一つそれを検討し、残すべきものは残す、
あらためるべきは改める、そしてとにかく、それを徹頭徹尾
「日本人自身の手で行う」。
それをするべきだと申し上げているのです。
なぜなら日本には「自分たちの手で作った憲法」がいまだに無いのですから。
主権の無かった時代、つまり日本人が日本を否定され自らも否定されていた時代。
この67年前の憲法を頑迷にそれを守り続けることは、まさにこの時代の暗黒に
自らを閉じ込め続けているようなものではないか、これがわたしの考えです。
長くなりました。
明日に続きます。