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聯合艦隊最後の観艦式

2012-12-03 | 海軍

御稜威あまねき大君の
錦の御旗陽に映えて
白銀の渡しづしづと
進む御召艦の尊さよ

池田敬之助作詞、佐藤清吾作曲「観艦式」の一番です。

観艦式とは軍事行為であり、軍の精強さを国内外にアピールし、
かつ士気を高めるという目的のもとに行われてきました。

日本で最初に行われた観艦式は明治元年(1868年)に、
大阪天保山沖を航行する艦船(フランスの軍艦含む7隻)を
陸上から明治天皇が天覧されたというものです。

それから日露戦争の戦勝記念天覧などを含め、
大演習ののち観艦式というのが恒例になったわけですが、
特に日本が国際連盟を脱退してからは、毎年のように行われました。

昭和12年には事変の勃発を受けて中止され、その二年後の昭和15年、
「特別大演習」が行われました。
この年(1940年)は紀元2600年にあたっており、その名も

「紀元二千六百年特別観艦式」

これが、聯合艦隊最後の観艦式となったのです。

満艦飾とは艦船が祝日や慶事に祝意を表すために、
艦首から艦尾までの旗線に信号籏を掲揚して飾ること。
英語では「フル・ドレス・シップ」でそのままです。

この満艦飾のやり方も時間も、いつ行うかも、すべて現在では
海上自衛隊の規則で決められています。
観艦式はじめ、祝祭日(憲法記念日、天皇誕生日、海の日、文化の日)
そして自衛隊記念日(11月1日)あなたがもし呉や横須賀の海自地方隊を訪ねたら、
満艦飾に装われた護衛艦を見ることができるはずです。

決められた祝日は、それぞれ

憲法記念日・・・憲法発布された日
海の日・・・・・・・実は明治天皇が東北地方巡航の際、船で帰ってきて横浜についた日
文化の日・・・・・実は昔は天長節、明治節と言い、明治天皇の誕生日


満艦飾の旗にはちゃんと順番があり、これもきっちりと規則に従います。
さらに、



この「電灯艦飾」。
これは、
「自衛隊記念日や観艦式前後などの日没後から午後10時まで実施」と決まっています。

自衛隊記念日とは自衛隊法が施行された日、ということになっているのですが、
実際の施行日は7月1日。
その日は「台風が多いから」という理由で11月1日になったのだそうです。
ちなみに、文化の日、11月3日は統計上もっとも晴れの多い日なのだとか。

さて、「聯合艦隊最後の観艦式」に戻ります。

この時の観艦式は停泊方式、つまり受観閲部隊が沖に投錨し、
そこを御召艦、観閲官である天皇陛下御乗艦である「比叡」が、
供俸艦(このあいだの観艦式で言う『随伴艦』。「ひゅうが」などですね)
を従えて、艦列を縫うように進んでいきました。

この観艦式から遡ること4年。
神戸での観艦式は、現在海上自衛隊が取っているのと同じ
「移動観艦式」、つまり双方が移動して海上ですれ違いながら観閲を行う、
という方法で行われています。



以前「火垂るの墓と海軍」という稿で、このときの観艦式の様子が
このアニメで描かれていることについて書いたことがあります。
この観艦式が行われた昭和11年、昭和6年生まれという設定の主人公、
清太少年は5歳。

聯合艦隊が壊滅した年に重巡洋艦「摩耶」の艦長であった清太少年の父が、
その8年も前、昭和11年当時にすでに艦長を務めていた、
というのは少し無理のある設定だったのではないかと思われます。

そして、それよりなにより、この時の観艦式は「移動方式」だったのですから、
神戸港岸壁から清太少年が受観されている「摩耶」を観ることはあり得ません。

あの観艦式のシーンは夜であったように見受けられましたが、
あるいは海上で観閲を受け、港に帰ってきたところであったという設定でしょうか。





「砲筒の響き天を衝き
万歳の声海を蔽ふ
ますら武夫の真心を
皇御帝に捧げつつ」


このとき、参加した艦船は全部で98隻
そして飛行機は、なんと527機と記録されています。

神戸の時は参加艦船110隻、飛行機が100機であったといいますから、
この間4年でいかに「航空の時代」に移行したかということを覗わせます。

この数字にあまりピンとこない、という方、先日行われた観艦式が

参加艦艇 40機
参加航空機 33機

であったと言えば、いかにこの時の観艦式の規模が大きなものであったか
実感いただけますでしょうか。



おそらくこの最後の観艦式では、連合艦隊のほとんどの艦船飛行機が参加したのでしょう。
その堂々たる艦列、飛行機の威容は国民にとっていかに心強いものに思われたか。

先ほどの「火垂るの墓」で、父の乗った「摩耶」の沈没を夢にも知らない清太少年が、
日本が負けたというニュースに、

「日本が負けた・・・・聯合艦隊何してるんや」

とつぶやき、銀行にいた男性が

「あかんあかん、聯合艦隊なんかとっくに無くなってしもてあれへんわ」

と笑うシーンがあります。
最後の堂々たる観艦式からわずか5年後。
たった5年で、この勇壮無比な聯合艦隊が壊滅し、この地上から消えようとは、
清太少年ならずとも、いったい誰に想像できたでしょうか。


かつての観艦式は、冒頭でも述べた「軍事力の誇示」というのが大きな目的でしたが、
現代では

他国からの艦艇を招き、国際親善や防衛交流を促進することや、
自国民の海軍に対する理解を深めることが主要な目的である。(ウィキペディア)


この「国際交流が目的」というお題目を掲げる観艦式を、一社ではありましたが、
「中国を刺激するのでは」というような論調で報じた新聞社がありました。


今、選挙前の心理戦や文字通りの舌戦が、マスコミも加わってヒートアップしています。
そんな中、自民党が「自衛隊」を「国防軍」に変えるという公約をあげ、それに対して
「戦争できる国にしたい人がいる」といった口調で非難している現大臣がいるそうです。

このようなレッテルを張ることてよってマスコミにバッシングの理由を提供し、
ある層をたきつけようという魂胆が見え見えで見苦しくすら思えるのですが、
言われた方も言われた方で、言質を取られまいと、
「誰がそんなこと言った?え?え?」という感じで応戦している。
これもはっきり言って実に保身的で、ことの本質をわかっていないのではないか、
とどうにも歯がゆいです。


じゃ、わたしが言っちゃいましょうかね。

戦争ができるようにする。
何が間違っているんですか?

問題は、戦争ができないと他国に思われているからこそ起こってくる事象であり、
外憂なんじゃないですか?
自衛隊が国防軍になったら、つまり改憲すれば戦争が起こるのか?
その可能性は限りなく低いでしょう。(ゼロとは言いませんが)
ましてや今後どこの政党が政権を担っても、日本が他国に攻め入る可能性など、
どんなにこの国の針が右に振り切れたとしてもあり得ないことです。

しかし、現段階のように
「自衛隊とは本土を攻め込まれる瞬間まで何もできない軍隊である」
と他の国に認識させないこと、つまり、
「飾りじゃないのよ国防軍は」と対外的に思わせることがこの改正の目的なのでは?

つまり名前はあまり本質の問題ではないのですよ。

まあ、国防軍になれば海上自衛隊は「海軍」となるわけで、
それはそれで個人的にはちょっと嬉しかったりはしますが。



ウィキのいうところの、観艦式が「示威行為」ではなく、「国際交流」である、というのは、
言わせてもらえば、ある意味「偽善的モットー」です。

この国に、外敵から国を守るだけの力がある、と示すことは、
戦争を未然に防ぐための、最も平和的で有効な一手段だとわたしは考えます。
つまり、国際交流は国際交流でも、これを通してこの国を守る力をアピールするのが、
観艦式、観閲式のもっとも根幹となる目的である、と言ってもいいんじゃないですか?



四方は海もて囲まれし
秋津島根の守りなる
誉は高きいくさぶね
みそなはすこそ目出度けれ