先日、ある大型ショッピングセンターで、ふとDVDのコーナーを覗いたら、
このジョンフォード作品「真珠湾攻撃」を見つけました。
なんと、500円。
レンタルに毛の生えたような料金でDVDが手に入ってしまう時代。
つくづくソフトが安く手に入るようになりましたよねえ。
このときに、「もしや」とその周辺を探したら、出てくる出てくる、
「英独空軍大戦略」(F・キャプラ)
「タンネンベルグ1939」
「ベルリンオリンピック1部と2部」(リーフェンシュタール)
「日米開戦前夜」(キャプラ)
「硫黄島の砂」(ジョン・ウェイン主演)
「あヽ陸軍隼戦闘隊」「あヽ零戦」「あヽ特別攻撃隊」
これらを皆買ってしまいました。
面白ければまた皆様にご紹介しようと思います。
さて、今日は真珠湾攻撃の次の日。
昨日は真珠湾攻撃の電文をアップしましたが、
ちょうどこのDVDを鑑賞したので、このジョン・フォード作品についてお話しします。
ジョンフォードというと、まず「駅馬車」という映画を思い起こされるでしょう。
そのジョンフォードが、いわゆる国家プロパガンダとして1942年、
まだ真珠湾の傷跡も言えない頃制作したのがこの映画。
タイトルでいきなり甚大な被害を伝える映像。
なにしろこれによって日本に対する敵愾心を煽り、
国民のパトリオティズムを高揚し、戦争に対する世論をより肯定的にする、
という目的のもとに作られたものですから。
日本の国策映画と同じく、ジョンフォード作品と言えどもこの映画、
陸軍、海軍省から「お墨付き」をいただき、それを冒頭で紹介して
これが国の援助を受けて作られていることを強調しています。
実際にこの映画が海軍からどう扱われたかを知る後世の人間には
この誇らしげな「お墨付き映像」はなにやら滑稽ですらあるのですが、
その話はまた後で。
映画はほぼ二部に分かれます。
一部はこの二人の老人が、ハワイと日系人について語り合います。
左がハワイの観光案内に載せる文章を後述速記させている「アンクル・サム」。
Uncle Sam、つまりU.Sです。
右が日系人についての警戒を呼び掛ける友人の「ミスターC」。
Cにも何か意味があるのかもしれません。
この映画、表題の真珠湾攻撃そのもののシーンは非常に短く、
前半をこの二人の悠長ともいえる「ハワイ案内」が占めます。
何となれば、ドキュメンタリーと言いながら実際の攻撃シーンは
模型を使った特撮にそのほとんどを頼っており、CGを駆使したあの
「パールハーバー」みたいなわけにはいかなかったので、いきおいこういう
芝居の部分で時間稼ぎせざるを得なかったのかと思われます。
今もあるロイヤルハワイアンホテル。
全くの私事ですが、エリス中尉、親族だけの結婚式をハワイの教会で挙げました。
式が終わった後、このレストランでお祝いの宴を囲んだのをたった今思い出しました。
アメリカの経済は、コーンとパイナップルに始まり、吸収された富は
今や五大財閥によって牛耳られている、とアンクルサムは語り始めます。
それに対し、ミスターCは、それを支えたのは労働力である、という話に始まり、
労働力としての日系人がハワイ社会に占める力の大きさについて語りだします。
当時、15万7千人、ハワイの全体人口の37パーセントが日系人でした。
彼らは日系社会を築き、そこにはすべての職業を持つ人々が暮らしています。
ハワイに渡った日系一世は、日本政府が日本を離脱する権利を与えていたにもかかわらず、
多くが国籍を維持し続けていたそうです。
二世が生まれても、一部は日本大使館で国籍登録をしました。
サトウキビ畑で働く単純労働者も多いですが、彼らは日本とも強くつながり、
「大規模ではないが」ビッグファイブと呼ばれる銀行なども存在しました。
日系人社会に溢れる看板が次々と登場。
このシーンが、無駄に長い(笑)。
オアフ本土防衛、市民委員会のサカマキ会長。
ん?
サカマキ?
サカマキというと、あの捕虜第一号、酒巻少尉のサカマキ?
この決してありふれていない名前をわざわざこの人物につけたというのは・・・。
特殊潜航艇から捕獲された捕虜の名前がこのように使用されているところに、
当時のアメリカ社会がこの「捕虜第一号」に対して決して無関心ではなかったことが覗えます。
サカマキ会長は、この国に生まれアメリカ人としての権利を享受する限り、
日系人もアメリカに忠誠を尽くすべきであり、たとえどこの国と戦うことになっても、
われわれは立ち上がるだろう、と演説します。
それを表すかのように、「ゴッドブレスアメリカ」を歌う日系少年少女たち。
このように、日系人たちもアメリカ市民であると強調するアンクルサム。
しかし、ミスターCは、「君はわかっていない」といった調子で、まず日系人たちの
「アメリカ人でありながら決して変わらない彼らの民族的帰属意識」
につて語ります。
日本の歌を歌い、
神道を進行する日本人。
神主に神道の教義を訪ねるインタビュアー。
実はわたしはこのシーンにもっともアメリカのプロパガンダ的悪意を感じました。
しかも映画製作者の思い込みと視野の狭さ、勉強不足が表れています。
神主に強調させるのが
「神道とは天皇崇拝であり、ヒロヒトは絶対的な君主であり、
しかも日本人には信仰の自由がない」。
われわれ日本人にすれば、それどこの平行世界の日本ですか?という感じです。
日本人=天皇崇拝の狂信者としてのイメージを浅薄な知識で決めつけています。
日本人が宗教に関してはもっと緩い規範を持っていることを知らなかったのでしょう。
ましてや神社に「天皇陛下の祖先が祀られている」というのは(そういう神社もありましょうが)
実にアメリカ人らしい決めつけプロパガンダであると思わされます。
そもそも日本人は一神教ではありませんし、『八百万(やおよろず)』の神と言うように、
どこにも、それこそトイレにも神様がいるというのが宗教観ですから。
まあつまり、この人たちはわかっていません。
わかっていないけど語らなければいけないので、このようにこじつけ的な宗教観を
日本人に当てはめてみました、というところです。
戦後、GHQの政策で神道関係者が皆追放されたという話が、
このアメリカ人の発想からきているものだということが納得できます。
さて、そんな日本人。
天皇への忠誠が絶対な狂信者で、帰属意識が高く、
日本人としての慣習を決して捨てず、本国とつながり続けている日本人。
そんな日本人が着々と本国にアメリカの情報を送るため、諜報活動をしているシーン。
このあたりから「スニーキー・ジャップ」の描写が始まります。
・・・・はいいのですが、この二人、壊滅的に日本語が下手で、
はっきり言って何をしゃべっているのかほとんどわかりません。
特にこの諜報員は、稚拙な日本語をにやにやしながらしゃべり、もう怪しさ満点。
役者ではない日系人に演技させてみました、って感じのお粗末なシーンです。
しかし、この怪しいオヤジも含めて、映画は「アグリー・ジャパニーズ」を描くことに
非常に成功していると言えましょう。
・・・けっ。
あいつらは、アメリカ人でありながら、日本に情報を送るため諜報活動をしているのです。
こんな風に。というシーン。
港に向けて軍艦の写真を撮る者。
軍人同士の会話に耳を澄ませる植木屋。
この爺さんが剪定をしている庭で、なぜか洗面所の会話(しかも英語)がまる聞こえ。
いったいどんなつくりの軍施設だよ!という不思議なシーン。
海兵隊の髪を切る床屋も。
タクシーの運転手も。
客の軍人はこの後「しかしこの飛行機の弱点は・・・」
などと得々としてしゃべり、運転手はそれを聞いています。
日系人は皆スパイである!と刷り込む効果抜群。
いずこも同じ。
女性には気を許してついいろんなことをしゃべってしまうまぬけな男。
ハニートラップは古今東西変わりなく健在です。
しかし、本当に日系人がこんなにスパイばっかりだったのかい?
と問い詰めてみたくなるほど、ある意味、被害妄想的な描写です。
まあ、この映画がもし一般公開されていれば、
アメリカ社会における日系人たちの立場がさらに悪くなったであろうことは確かでしょう。
これについても後半に書きます。
先ほどのオフィスにやって来るのは日本の同盟国ドイツのスパイ。
かれは、自分たちが本国に送った情報のおかげで、
北大西洋で駆逐艦がドイツの潜水艦によって撃沈されたと得々として語ります。
そのいきさつ。
恋人が乗っているフネの航路まで、カフェでペラペラしゃべる女性。
「これは軍事機密だから誰にも言わないでね」
とおしゃべりの相手には言うのですが、このドイツ人が後ろで聴いてるんですねー。
つまりこの女性の恋人は、自分のおしゃべりのせいで戦死したということですね。
彼女自身はそれを夢にも知らないまま、恋人の戦死の報に泣き崩れるのでしょう。
・・・・・・・・なんて卑怯なドイツ人なんだ!
この映画が公開されていたら、在米ドイツ人の立場もさぞ(略)
逆に、アメリカ人に油断をさせるため、行く先々で日本はダメだ、
日本は弱い、というような話題を振りまく日系人女性。
こういう情報活動もやっているということが強調されます。
どこまでこういうダミー情報が真珠湾攻撃に功を奏したのでしょうか?
というか、本当にこんなに日系人って皆が熱心に情報活動をしていたの?
つまり、こういう人種であるから、気をつけねばいかん!と、
どちらかというとお気楽なアンクルサムに向かって、ミスターCは言います。
しかし、アンクルサムは一笑に付し、
「こんなところまで日本軍が来るわけはない、攻めるにしてもフィリピンに行くか、あるいは
太平洋のイギリス軍を狙うさ」と言います。
そしてうるさいミスターCを追い帰し、眠りにつき
・・・・・・1941年12月7日の朝を迎えるのです。
が、(笑)
二人の出番はここで終わり。
真珠湾攻撃を見て二人がどうその話にオチを付けたか、全く語られないまま、
映画は終わってしまいます。
実際の上映は、この二人の出演部分はすべてカットされましたが(T_T)、
そもそもこの二人、後半には全く出番がなかったので、
カットする方もさぞかしスムーズだったでしょう。
この映画の原題は
Hawaii December 7,1941
と言います。
その運命の朝がやってきました。
将兵達は暇つぶしをたり朝の礼拝に出席したりしていました。
そのとき、飛行機の編隊が通過するという情報が入ってきます。
このロックハートという通信兵は報告をするのですが、
「B-17の編隊だろう」と報告した士官に無視されます。
そして、次々と「イナゴの群れのように」
日本機がハワイ上空に到達しだしました。
さすがに真珠湾攻撃の次の年に作られただけあって、
事実とかなり違う経緯で宣戦布告のことが語られています。
これだとまるで日本大使がわざと布告をぎりぎりに渡したようで、
しかも「平然と」という言葉を使っているあたりが
悪意によってかなりゆがめられていると思えるのですが、
要はこれが「大本営発表による宣戦布告」であったのでしょう。
ナレーターのセリフは、こうです。
「この裏切りの瞬間、200機の死の使者が楽園に襲いかかった」
「地獄が始まった。日本製の(メイド・イン・ジャパン)」
しかも、この「最後通牒」という言葉。
われわれ日本人にとってはこの「最後通牒」とは、その
コーデル・ハルが、日本に対して突きつけた「あれ」しかありません。
「あれ」とはすなわち、日本がそれによって戦争を選択しなければならなくなった、
「あのようなものをつきつけられたら、どんな弱小国も立ち上がるしかなかっただろう」
と後世の歴史家がこぞって言ったという、あの脅迫状のような最後通牒。
攻撃開始。
ヒッカム基地。
ウィーラー基地。
カネオヘ飛行場。
そして真珠湾。
これらの基地が襲われ、フネに甚大な被害が与えられます。
戦艦アリゾナ。
1177名の兵士と一緒に沈没し、今それは記念館として海にしずんだまま展示されています。
戦艦オクラホマ。
戦艦カリフォルニア。
98名が戦死し、着底しました。
引き上げられてマリアナ沖海戦に参加しています。
これらのも甚大な被害を受けました。
しかし、この模型特撮、確かにすごいんですが、
だからといって日本の特撮ともあまり変わらない気がするの。
日本の特撮技術が優れていたってことですか?
もしかして円谷瑛二の実力?
しかし不利な状況から我々は立ち上がり、日本機の300機中50機を撃墜した、
と結構自慢げに語っております。
でも、実際は330機出撃して未帰還機は29機。
ふーむ、だいぶサバよんでますね。こちらも。
で、この上のフィルムですが、どうも実際の記録フィルムのようです。
ということは、この海に墜落した機のパイロットの遺体も、本物でしょう。
ちゃちな模型を使った戦闘シーンが延々と続きますが、ところどころ、
このような実写フィルムもあるので、実に貴重です。
このとき鹵獲された特殊潜航艇。
さてここで、さんざん日本がいきなり卑怯にも平和の楽園に攻めてきた
鬼悪魔のように言ってきたこの映画、今度は犠牲者を出してきます。
真珠湾で死んで「幽霊になって出てきた本人」が、自己紹介します。
これを観てみなさん、怒りを感じてください!といわんばかり。
はっきり言ってこれも無駄に長丁場です。
わたしは911のときにアメリカにいましたから、ああいう国難における
アメリカ人というものを多少は見知ったつもりですが、
アメリカ人というのはパトリオティズムを実にたやすく、怒りに昇華させるのです。
しかも群集心理で国民の団結のは「狂信者」じみるという面すらあります。
本人が「わたしは911に関与していない」とビンラディンがいくら言っても、
かれが殺されたというニュースが流れたときにアメリカ人は皆、
街で大はしゃぎして喜んでいましたが、まああんな感じです。
これでもかと犠牲者の写真が続きます。
右の赤ちゃんはシック中尉の戦死三か月後に生まれました。
ナレーターがそのことを幽霊に告げると
「それはよかった」などと返事するのです。
これも実写フィルムでしょう。
軍葬のセレモニーの様子。
映画「パールハーバー」のシーンは、このフィルムを参考にされたのではないでしょうか。
ここで、ジョンフォードにしてはセンスの悪い演出があります。
この通信塔は、東条英機が戦果発表を全国に行っている、
ということを表すためのイラストなのですが、なぜか通信等のバックに
狛犬ともシーサーともつかない妙な置物の顔が重ねられ、
吐き気を催すほど下手な発音の英語で、東条が語ります。
日本そのものをできるだけ醜悪に見せようと言う露骨な演出です。
だいたい、東条英機は英語でしゃべらないっつの。
そして、得々とした戦果報告に対し、ナレーターが馬鹿にしたような口調で
「日本の与えた被害など、大したことはなかった」と強調します。
こんな感じです。
オクラホマは修理を施されましたが、結局それは不可能で、
1944年の9月に退役を余儀なくされていますが、実はこれこそ
不正解
であったわけですが。
言っておくがなあ、お前らの与えた被害なんて大したことないんだよ!
やられてしまったように見える艦も、こうやって専門家が来て、
みんなそれこそしゃかりきになってあっというまに修復してしまう予定なのさ!
というところでしょう。
そして、この後、映画はこの攻撃によって楽園のハワイが戦争に巻き込まれ、
全てが変わってしまったといいます。
防空壕ができ、土が掘られ、ビーチには鉄条網が張られました。
ガスマスクをかぶる練習をする日系人の子供たち。
「お前らがしてきたことが同胞に与えるこのありさまを観よ!」と言いたいのかな?
大うけしてしまったのが、この乳幼児用ガスマスク。
どうして耳がついているのかわかりませんが、
ちょっとでもかわいくするため・・・かな?
「はい、ぶたさんのマスクかぶりましょうねー」
「いやああああああ」
女の子、むっちゃ泣いてます。そりゃ泣くわ。
311の後、原発の近くの町に立ち入ったときの
「フルアーマー枝野」を思い出してしまいましたが、
そもそもこのぶたさんマスク、これでガスを防げるんでしょうか。
ただのタオル地でできているかぶりものにしか見えないんですが・・・。
日本語の看板を外したり、神社の石碑に蓋をしたりする日系人たち。
もちろん、献血をしたり、公債を買ったり、そしてなにより
志願して兵隊に行ったり(442部隊ですね)という日系人なりの
「アメリカに対する忠誠心」を示す、という描写もされますが、
はっきり言って「申し訳程度」にすぎません。
そして、ラストシーン。
戦没者の墓地で、またしても幽霊登場。
あちらの幽霊は全く幽霊らしくないので、アメリカでその手のテレビを見ていても
ちっともこわくないのですが、この幽霊も生きている人間そのままです。
足がないとか、体が半分透けているとか、もうすこし演出しなきゃあ。
ともかく、この真珠湾で死んだ兵士と、昔の戦争で死んだ兵士が、
なぜか戦争を野球に譬えて語り合います。
「あっちには南北戦争、こっちにはメキシコとの戦争、独立戦争。
我が国のために戦った兵士たちが眠っているのだ」
はい、まったくおっしゃる通りになりました。
そして、今も新しい区画を増やし続けなければいけないのは、
なんといってもあなた方が戦争と言う戦争すべてに首を突っ込むからだと思います。
この戦争にも勝ってみせるぞー!ってことでVサイン。
・・・・あれ、このV,飛行機でどうやって書いたの?
というわけで、もうただひたすら卑怯な日本、悪魔の日本、
われわれは何にもしていないのにいきなり戦争を仕掛けてきた日本、
日本が一方的に悪いの一本やり。
ちなみにこの映画、せっかく作ったのに、海軍当局から
「海軍が真珠湾で任務をおろそかにしているような印象を与える」
といちゃもんをつけられたうえ、戦争準備の不足に対する指摘が厳しすぎる、
などという理由でなんとフィルムは没収され、制作の翌年、43年になって、
後半の戦闘部分を中心にしたわずか34分のショートムービーとして公開されました。
ですから、当のアメリカ人はこの完全バージョンを観なかったのです。
監督にしてみれば、これだけ憎きジャップを悪く描いたのだから、啓蒙映画としては
軍関係者にも喜んでもらえると思ったようですが、感情的に過ぎる上、
肝心の海軍を立て、盛り上げるのを二の次三の次にした結果、顰蹙を買ってしまったと。
ざま・・・いや、大変お気の毒なことでございます。
いろんな意味で名匠ジョンフォードの黒歴史といえる作品です。