日経新聞の一記事を、その裏も読み解こうとする試みです。
この記事についての詳細は昨日のログをお読みください。
さて、三輪(助)教授が、発見した「新事実」とは、
「外務省から大使館に送られた最後通告の最終にあたる14部の送信が、
13部が送信されてから実に15時間も後であった」
その15時間の間にどんなことが起こっていたのか全く記録は無いようです。
ただわかっているのは、この間外務省は訂正文を作成し二通に分けて打ったという事実のみ。
三輪(助)教授はこの事実から
「発信の大幅遅れは陸軍参謀本部のみならず外務省も関与していたことを示す証拠」
(日経新聞の記事より)だと主張しているのです。(前回のあらすじ)
確かに、この非常時にこんなにもたもたしているなんて外務省ともあろうものが怪しすぎる。
意図的に通告を遅らせる意思があった、と疑えば疑えないこともありません。
記事では「大至急」を「至急」に書き換えた電文もあった、という文言すら謀略の証拠である、とあり、
これも疑えば疑える材料です。(その電文の内容にもよりますがね)
しかし常識的に考えてみましょう。
外務省の役人が「完璧な英文も作ろうと思えば作れるのに、わざと間違えて」
あるいは「間違いの訂正ににかこつけて時間稼ぎをし」そんなやりかたで
公電を送るのを引き延ばすなんてことすると思います?
そして三輪(助)教授、なぜかここで一気に
「陸軍参謀本部の関与があったからだ」という推論をぶちかまします。
・・・・ん?陸軍?海軍ではなくて?
やるからには効果的に最初の一撃で叩きたい、これは海軍の悲願でした。
ですから、できれば通告とほとんど同時に「奇襲」をかけたい。
しかし、国際社会からのそしりを受けぬよう、宣戦布告は行いたい。
この真珠湾攻撃の作戦はそれを第一目的として立てられたはずです。
今さら通告を遅らせてわざわざ国際法違反をさせる理由がありますか?
皆さんの中には「奇襲」を「だまし討ち」と同義に考える向きもありましょうが、
奇襲そのものは世界の歴史でも決して特別なことなどではありません。
世の中のおよそ戦争と言える戦争で、宣戦布告をしてから相手が臨戦態勢になるまで
ただひたすら待つような紳士的な開戦をした国がこれまであったでしょうか。
あれば逆に教えていただきたい。
当の米国は中国戦線で義勇軍という名の抗日戦線を張りとっくの昔に日本と戦っていましたが、
(フライングタイガースですね)この際「アメリカも参加しますから」なんて一言も断っちゃいません。
ちなみに、国際法学者の田岡良一「国際法」によると
18世紀以降の戦争の歴史を見ても、
宣戦布告が武力行動に先だってなされた例はまれである
宣戦布告は慣例法で決められていますが、実際はいきなり武力侵攻するのがほとんど。
つまりほとんどの事例でほとんどの国は国際法に違反しているのです。
しかも、この宣戦布告には時間などの取り決めはありません。
ハーグの会議で一度「24時間前告知」という案が出されましたが、否決されました。
つまり、たとえ1分でも事前なら国際法上合法ということになるのです。
さらに国際法で言うなら戦争そのものも合法です。
開戦に先立ち、天皇陛下も山本聯合艦隊司令長官もこの宣戦布告が
武力行使の後になったりしないように憂慮していた、という話があります。
このとき、国際法にあくまでものっとって戦争を始めようとした日本というのは、ある意味
世界的に見て超律儀かつ紳士的に戦争を始めようとしていたという言い方もできます。
残念ながら結果的にはそうならなかったわけですが。
海軍は最大限の効果を上げるための奇襲として、最後通告を30分前に設定しました。
30分なんて事前通告になるのか、というくらい直前ですが、
これが日本の指導者たちの考えた「ぎりぎりの時間」だったのでしょう。
三輪(助)の説によると、ただでさえぎりぎりの設定である30分前をあえて攻撃の後に遅らし、
アメリカに日本への批難のきっかけを作らせたのは陸軍だったということになりますが、
これをなぜ陸軍が独断で行う必要があったのか、
その納得できる合理的な理由については何ら述べておられません。
そもそも「陸軍が関与した証拠」というのも、見たところ明確ではないように思われます。
さて、ちょっと寄り道をしますが、昔、うちのTOは何かのはずみで
エネーチケーのクローズアップゲンダイという番組に出演したことがあります。
「何々問題に詳しい何々のTOさんにお越しいただきました」
と女性アナに振られて、詳細は言えないのですが、とにかく
「犬が西向きゃ尾は?」「東なんですよ」
「それでは風邪をひかないように家に帰ったら・・・」「うがいをした方がいいです」
みたいな(本気にしないように)話をするために出演したのです。
あとで、「あんなわかりきったこと言うのに、なぜTOでなきゃだめなの?
その辺のおじさん連れてきて一言仕込めばすみそうなのに」
「いや、形だけでも権威は必要なんだよ。何を言うかじゃなくて誰が言ってるかってことが」
その肩書き付き人間が「権威」として出演することで番組の内容に真実味が加わると。
それがメディアの「報道の作り方」なんですね。
新聞も同じです。
その伝で言うと、この日経記事には「権威」がなんと4人も登場しています。
一人目がこの三輪九大(助)教授。
そして、長崎純心大学(初めて聞きました)の塩崎弘明教授。
この塩崎教授は、
「米国で客死した大佐の葬儀に大使が参列しミサが長引いたほか、
届かない公電を待ちくたびれて帰宅、翌朝になって出勤したため、
米政府に手交する通公文書作成が遅延した」
という「大使館怠慢説」の中の、
「大佐の葬儀は遅延には無関係であること」を研究によって明らかにした、
ということを言うためにだけ登場しています。
そして三人目。
元外務官僚で退官後に東海大学などで近現代史を教えた井口武夫氏。
この人物が、14部の遅延は陸軍参謀本部が関与、外務省が協力した、
と長年訴え続けているようなのです。
この記事が「新事実」として三輪(助)の発見を謳いながら、実の目的は、この井口氏の
「長年の研究」を裏付ける目的であることを、わたしはすぐに察知しました。
そこで検索してみると出てくる出てくる、この人物が長年にわたって研究し、主張した
「大使館怠慢否定説」。
この人物の研究により「陸軍の関与」というのが浮上し、三輪(助)も、言葉は悪いですが
確たる証拠はないけど井口氏の長年の研究の尻馬に乗ってみたという構図かもしれません。
新聞記事によるとこの井口氏、このように語っています。
「真実を歪曲した開戦物語が独り歩きして国民に誤った印象を与えている」
ふーん、なんだか妙に感情的ですなあ。
やっぱり学者ではない人間というのは歴史を単に事象として捉えられないものか、
と思いつつ、この人物そのものについても検索してみました。
なんと。
この人物、開戦当時日本大使館で駐米大使、
しかも館務統括責任者として責任を問われていた
井口貞夫氏の息子じゃありませんか。
つまりあれなのね。
これは、「大使館怠慢説」で名誉を貶められたご尊父の汚名を漱ぐため
一生を賭けた息子の戦いであったのですね。
開戦の際、日本の不名誉となりアメリカに批難の付け入るすきを与えた
「通告の遅れ」。
その責任を一身に負わされた大使館統括責任者の父。
父は黙して語らず、すべてを墓に持って行ってしまったけど(想像)
その父の名誉を息子である私が挽回してみせる!
わかります。
わたしが井口氏でも、そうするでしょう。
そして、間違いだらけの覚書を、しかもでれでれと訂正して何時間も送ってこなかったくせに、
全て大使館に、しかも自分の父に責任を押し付けてのうのうとしている外務省に対し、
その欺瞞を暴くと同時に外務省責任者にその責任の所在を・・・・・・・
・・・・・・え?違うんですか?
波乱を含んで次回に続く。