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真珠湾攻撃最後通告の「真実」 こうして記事は作られた

2012-12-17 | 日本のこと



12月8日付、日経新聞文化欄の記事についてしばらくお話をしています。

この記事がその見出し通り「大使館怠り説を覆す新事実の発見」だったとしましょう。
今までの定説を覆す新事実が発見されたら、それは大ニュースのはずです。
しかしそれはなぜか12月8日、真珠湾攻撃の日に合わせ、文化欄において報道されています。


歴史的なことが起こった日、メディアは人々の関心が向くことを期待して
何らかの関連ニュースを掘り出したりしてその当日の紙面を飾ります。
「広島に原子爆弾が投下されてから今日で何年目であるが」
「あの列車事故が起こって今日で何年経つが」といった風に。

それはあくまでも新聞の紙面作りの定石、つまり「お約束」で、それを考えれば
この日経新聞の記事もいわば「12月8日のお約束」。
つまりこの「新事実の発見」にはなんらニュース的緊急性はないとすでに察せられます。

つまり簡単に言うと、日経は証拠のない不確実なことを記事にしているわけですが、
(どう不確実で証拠がないかは三回にわたって検証してきましたのでお読みください)
タイトルに「大使館怠り説覆す?新事実」「外務省の故意か」
と疑問符をつけたのは、まだしも編集委員の一片の良心と言えるかもしれません。

それでは、どうやってこのような記事が掲載されたか、その経過を想像してみることにします。

12月8日、この日に合わせて日経新聞編集委員の松岡資明記者が
何か真珠湾関係の記事を文化欄に書くことをデスクに命じられたとしましょう。
松岡記者は、インターネットで検索し、

大使館の怠慢、無能によって最後通告は遅れたとする定説に対し
外務省と、さらに陸軍の関与により通告は意図的に遅らされたという説

を唱えている井口氏と何人かの学者の名を発見しました。
そして、(どちらが先かはわかりませんが)
米国公文書図書館の当時の資料を見ることに成功した?九大の教授という名前も
検索にかかってきました。

ここであらためて説明しておきますが、

「陸軍の某が騙し討ちを計画し、外務省に関与させ故意に電文送付を遅らせた」

そう主張しているのは、実は「九大教授」(データバンクによると助教授)の三輪氏ではなく、
今は一般人であり、当時の日本大使館員の息子である井口氏です。

しかし日経編集委員は、紙面を作るに当たり、この「メインの主張」をしている井口「氏」ではなく、
タイトルに旧帝大である九大の教授(データバンクによると助教授)という文字を掲げる必要がありました。

なぜか。

紙面作りの主張は常に権威によって真実味を補強されます。
(うちのTOが出演したTV番組のように)
この記事においても4人の「識者」が登場し、かわるがわる、
いまさら検証のしようのない主張と推論を繰り返し「記事の意図するところの結論」を補強しています。

つまり一般論ですが、ある新聞、テレビが「こういう記事、番組を作りたい」と思えば、
言論の自由が保障された今の日本において
「その意に添う主張している学者、識者等」はたちどころに見つけられるのです。
TOもまたその一人として駆り出された、ということですね。

さらにみなさん、驚くべき事実をお教えしましょう。

大使館無実説を唱えているのが実は井口館員の息子であることを
この日経の記事はまったく報じていないのです。

なぜだと思いますか?

おそらく、編集記者は、井口氏の主張が歴史学者による学術的研究によるものでなく、
父の名誉を挽回するための息子の「復権活動」であることが、
この「新事実」にとって客観性、さらには信憑性を損なうと判断したのでしょう。

エリス中尉は検索によってこの事実を知ったとき、思わず噴きだしました。
そして、日経新聞編集者の姑息な(その場しのぎという意味で解釈してください)
記事づくりに、心の底から呆れました。


さて、この新聞社がこの記事のために担ぎ出した学者、識者4人。
前回触れなかったその最終4人目、ラスボスである(笑)東京大学の渡辺昭夫名誉教授は

「通告の前に攻撃が始まったという問題の本質は変わらないと思うが

隠されていた事実を明らかにし、政策決定における問題を研究するのは
学問的に意味がある」と評している(記事より)

と語ったとされています。

どうやら最後に、権威の最高峰である東大名誉教授のお墨付きが欲しかったんですね。
まあ、簡単に言うと、「こんな権威がこの事実を肯定している」という印象付けとしては、
九大(助)教授だけでは少し与えるインパクトが弱い、と記者は考えたのかもしれません。

しかしながら、この名誉教授、文章をよく見ると
「新事実」を裏付けるようなことは一言も言っておりません
それどころか、どう見てもこの意見、取ってつけたようでしかも投げやりです。
少なくともこの新発見を学問的に評価しているようには思えません。

「政策決定における問題」

とんちんかんな感想ですね。
全く本論と関係がないような気がするのですが。

「本質は変わらないと思うが」

これが名誉教授のこの「新事実」に対する評価でしょう。

しかしどんな小さなことでも史実を研究するのは学問的に意味はある

記者がなんとか引き出せたのはごもっともな一般論です。
しかし、はっきり言ってこの内容にとって何の意味もないのも事実です。


というわけで、この日の日経新聞の記事は、
証拠のない、ほとんど推論だけの「一部の関係者」が主張していることを
いかにも「事実」であるかのような紙面作りで報じようと思えば、
このようにすればいい、という見本のようなものであるというのが結論です。


反論があれば受け付けます。