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不思議の国のダレス

2012-12-12 | 日本のこと

               

先日、二日にわたって防大開校記念祭で聴講した、前防大校長である
五百籏頭真氏についてお話ししました。

「何らかの思想信条を持って一つのものを見ると、
ある者はそれを赤だといい、ある者は黒だといい、ある者は見えないという」
という「思想フィルター」について何度か感じたことを書いたことがありますが、
この講演についても同じことが言えるかと思われました。

五百籏頭氏の講演の演題とは
「防衛大学校の伝統と任務」。

防衛大学の成立の経緯からそれは始まりました。

「防衛大学とは吉田茂の産物です」

このような言葉を枕に、氏が語った日本独立までの経緯とは次のようなものです。

終戦。
日本は焦土と化し、京都以外の都市部はがれきの地となっていた。
日本を建て直したい。
大半の国民が「日本はもうだめだ」と絶望に打ちひしがれるなか、
何とか日本を再建しようとする人々がその政治を担った。

ときは占領統治下、日本の内閣は東久邇宮に始まり、
幣原、吉田、鳩山、片山、芦田と変遷する。

吉田は「不逞の輩」という発言による解散によって社会党に第一党を譲り
下野することになるが、在野において「ネクストキャビネット」を組閣し、
人選においては「人を見て」それを行い、着々とそれに備えた。

1949年の総選挙によって吉田の自由党は圧勝。
盤石の第二次吉田内閣においては、「竹馬経済」と呼ぶところの
「アメリカからもらう経済」ではなく、自分の足をつけて歩くための
自由経済を我が国に再建させるべきであり、そのためにも早く
日本を独立国家にするべきだという考えで講和に向けて動き出す。


このあたりが、ここのところ集中して資料を当たっていた
「白洲次郎」の活躍にリンクします。
「引き寄せの法則」をまたもや実感することとなったのですがその話はさておき。

本日表題の「不思議の国のダレス」。
これはエリス中尉が勝手に考えたタイトルです。
昭和25年に対日講和問題のために来日した国務省顧問である
J.F.ダレス(1888~1959)が、吉田茂の「不可解な言辞」に対し

「不思議の国のアリスになったような気がする」

と側近に述べたことから取りました。

「不可解」とは何を指すか。
この日、五百籏頭氏の口から「不思議の国のアリス」という言葉が出て、
わたしは「あれっ」と思いました。

五百籏頭氏の講演内容によると、

この年の5月、朝鮮戦争が起こり
「隣で起こっている戦争」の脅威に備えるためにも、
ダレスは日本に
再軍備を進めたのであるが、吉田は
「まず経済再建である。腹が減っているのに鎧兜は被れない」
と「ゆっくり逡巡すること」を主張し、再軍備をはねつけた
それに対しダレスは「不思議の国のアリスになったような」といったのである

ということなのだそうです。

読者の混乱をさけるために話を簡単に進めますが、この話には
まず重要な間違いが含まれています。
五百籏頭氏は「朝鮮戦争が起きた時期」を、ダレスと吉田の会談の前であると
いう前提で話を進めていますが、実際は会談の行われた6月22日の
わずか3日とはいえ、朝鮮戦争は会談の後に起こっているのです。



ここで、エリス中尉の知るところの「不思議の国のダレス」について、
説明していこうと思います。

終戦後、占領下にあった日本が独立国となることを国民が渇望しだしたとき、
その独立には当時二種類の講和方法が考えられました。

一つは、アメリカを軸とする西側との「単独講和」。
もう一つは、ソ連を含む全ての国との「全面講和」。

強烈な反共であった吉田茂にとって、ソ連の介入を招く全面講和はありえません。

GHQ最高司令官マッカーサーは、憲法9条の生みの親を任じ、
日本を「非武装中立国」にして、国連によって安全保障を確保すべき、
と考えていました。
吉田茂はGHQの信任によってその地位を維持していたも同然ですから、
当然マッカーサーの見解に同調の立場でした。

だからといってマッカーサーのいう中立も剣呑な話です。
吉田の全権であった白洲次郎は

「日本は地理的にソ連に近いし、中立という立場を取ったら
すぐに共産国になってしまうだろう」

と国務省の国務次官補にこう語っています。



しだいに米国政府とマッカーサーの占領政府の間に齟齬が生じてきます。
マッカーサーは経済オンチで、それがため周囲には社会主義的思想を持つ
ニューディーラーが集結して日本をいいように社会実験台にしていました。

アチソン、ケーディス、ホイットニー
占領史に詳しい方ならご存知のこれらの人物もニューディーラーです。

そして、以前すこしここのコメント欄でも触れましたが、GHQは必要以上に
過激な「民主化政策」、つまり戦前の日本の諸制度(文化、経済、政治)を
全て軍国主義につながるものとして排除しすぎ、日本人の間に「嫌気」を生む
寸前の空気が醸成されていることについて、アメリカ政府は憂慮していました。

このままの占領政策では日本は赤化しかねないと危惧し始めたのです。
その結果ニューディーラーは駆逐され、かわりに保守派のG2がGHQの指導権を握ります。
北康利氏の著書「白洲次郎」によると、ニューディーラーの一角、
ケーディスが解任され帰国した時、吉田と白洲は手を取り合わんばかりに喜び、
「塩をまいてやりたいですね」と笑いあったということです。


米国政府は日本をアジアにおける反共の砦と位置づけ、日本に再軍備を施し、
さらに米軍の基地を残したまま、日本を独立させることを考えていました。

そして、ダレスが来日したのです。

「日本が講和を望んで独立国家になるというのなら、再軍備を認める。
いや、再軍備してもらいたい」

ところが、その前に、米軍を駐留させたまま独立をするという講和方法
(その心は国家として戦争を放棄したのだから米国が日本を守るべきである)
をマッカーサーの頭越しにアメリカに打診していた吉田は、
それを知ったマッカーサーの逆鱗に触れ、陳謝させられていました。

吉田にはマッカーサーの言う「非武装中立」を主張するしかありません。
「われわれは憲法で軍隊は持てないことになっている」
「非武装化され平和愛好の国だということを保証すれば安全は確保できる」
と、まるで9条信者のようなことを語り、ダレスを驚愕させます。

「それは閣下の本心なのですか?」
「もちろん」

そこでダレスは言うのです。

「不思議の国のアリスになったような気がする」

ダレスの怒りは収まらず、

「日本はいかに国際間の嵐が激しいかを知らない。
のどかな緑の中にいると思っている」
「アメリカとしては仮に日本の工業を破壊して撤退してもいい。
日本は完全に平和になるが、日本人は飢え死にするだろう」


と側近らに檄して語ったとされます。
その3日後、朝鮮戦争が勃発します。

案の定、アメリカは地勢の観点から占領を長引かせることを主張し始めますが、
なぜかここでマッカーサーが突然、

「米軍は本土から撤退するから、警察予備隊を創設し、海上保安庁の増員を行え」

と人数まで具体的に吉田に対して書簡で命令をしてくるのです。
これがまたマッカーサーの不可解な面ですが、「私の国(マイ・カントリー)」と呼んだ日本を、
この人物は恣意的に統治していたということでしょうか。

占領を長期化するよりはましだ、と判断した吉田はそれを承諾します。

このとき、われらが白洲次郎は、このような発言を米国高官に
堂々と投げかけています。
どうでもいい話ですが、冒頭挿絵の右側は白洲次郎のつもりです。
その一つは「アリス」のダレスに対してで、警察予備隊を増強するように迫るダレスに

「あんたたちアメリカが『戦争は悪だ』
『憲法では戦力を放棄したから軍隊は持てないんだ』
と日本国民を教育したんじゃないですか」

平和憲法を押しつけておいて勝手なことを言うな、というタンカを切ったのです。
もう一つはダレスの秘書官との対話で

「沖縄と小笠原諸島をアメリカが領有するというのは、とんだ過ちだ!
もしこれらが返ってこなかったら、日本人は一丸となって米国を敵対視することになる」

マッカーサーは日本に再軍備をさせた後、米軍を撤退させ、非武装中立国にしながら
一方では前線基地として沖縄を恒久的に支配したいと考えていました。
これに対し、昭和天皇が「沖縄への軍事占領は継続してもよいが、それは領有ではなく
返還を前提とした租借方式という擬制に基づくべきである」という
「沖縄メッセージ」をだし、沖縄は結果的に日本の領土としてのちに返還されるのです。

その後、政府と決定的に亀裂を深め、トルーマンの怒りを買ったマッカーサーは突然解任されます。
マッカーサーとは非常な信頼関係を築いており、「日本の恩人」とまで呼んだ吉田は、
これによって失脚しても不思議ではなかったのですが、
講和交渉の最中であったこともあり、その権限は保持されました。

また、白洲次郎がダレスの秘書官に言い放った
「沖縄が返ってこなかったら日本はアメリカを決して許さない」
この言葉は、結果的に昭和天皇の「沖縄メッセージ」によって堅持されることになります。


そこで、防大開校記念祭の講演での前校長五百籏頭氏の認識に戻ると、
どうもこのような時系列ないし事情をわかったうえで話をしているとは思えません。

人は自分の思想信条によって「自分の是とする情報だけを受け入れる、という
エリス中尉の「仮説」がここで証明されています。

吉田がなぜダレスを「不思議の国のアリス」にしてしまったのか、
そのときになぜ「われわれは軍を持たず非武装中立でいる」と言ったのか、

吉田がいわゆるリベラリストであり、その吉田が
「平和憲法によって軍隊を持つことを禁じられていたから」とダレスに言ったのを
もし額面通りに受け取って評価しているのだとしたら、それは
木を見て森を見ない認識としか言いようがありません。


吉田茂は岸政権下で日米安保条約の改定が行われる際、
「わしが安保条約を締結したのは進駐軍を日本から帰らせるためだ。
いまさら安保条約の改正など必要ないだろう」
と言って反対したそうです。(『白洲次郎』)

いわゆる平和憲法については元GHQの人間すら
「改正可能な時機が到来しても改正されなかったことは奇異な感じがする」
と述べています。

白洲次郎は、憲法に関して
「占領軍によって強制されたものであると明示すべきである」
と述べており、吉田もやはり憲法改正論者だったわけですが、
70年後の2012年12月現在、憲法も日米安保もがバリバリの現役であることを知ったら、
彼らはさぞかし驚くことでしょう。


この国は今でも「不思議の国」のままだということでしょうか。