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富山鋳造工場 愚かな母親とテレビ番組

2012-12-19 | お出かけ

今回の富山旅行の主目的は、鋳造工場見学です。
この小さな工場は、大正時代に創業、
富山県の高岡市に伝わる鋳造技術で仏具をつくってきました。



このように見かけも何の変哲もない工場です。
この近辺には同じような工場が立ち並んでいました。

 

この会社が今世界から注目されているのが、この錫を使った道具。
見るからにモダンなセンスが生かされたお洒落な器や花器の数々。

冒頭写真は、ここの器を使って野菜を盛り付け供している都内のレストラン。
この器が、ほかには無いここだけのオリジナルです。

 もともとの形。
まるで鍋敷きみたいですが、これは「加工前」。
加工は・・・・、なんと手で曲げて行います。

 →

錫はとても柔らかく、可塑性があります。
入れるものに合わせて自分で「形作る」器。

 フルーツバスケットになりました。

 この社の社長さん。
テレビ番組に出演した時のVTRより。
この人が、錫をつかったオリジナルの鋳造製品をデザインしました。
そのオリジナリティは今や世界に注目されています。

 

全ての商品が、手で曲げて形を変えられます。
錫のカップでさえも。
錫に液体を入れると、不思議なことに「味がまろやかになる」のだとか。

 

最近はアメリカからも注文が来ているのだそうですが、アメリカ仕様はなぜか
「何を入れるのかわからないくらい大きい」(社長談)のだとか。

「何を入れても落ちてしまいそうですね」
「うーん、アメリカは家が大きいから・・・オブジェにでもするんですかね」

注文を受けたものの、社長にも用途はわからないそうです。

 

テレビ番組より。
お寺の鐘のシェア日本一。
そういえば、桜新町の「波平さん」、あの髪の毛が盗まれて話題になったあの像も、
ここで製作されたのだとか、

「抜かれた髪の毛はもう一度再注文されたんでしょうね」
「そのようですね」
「今後のことを考えてスペア購入しておいた方がいいんじゃ?」
「どうだったんでしょうね」

しかし、あれはニュースにするからよくない。
シャレというか、面白がって取る人は、報道されるからするのであって。

さて、せっかく見学したので錫製品の作り方を少し。

 

何の変哲もない四口のコンロに乗った鍋。
錫の溶解温度は低いので、これで溶かせるのです。
今日はお休みなので、火の気はなく、鍋の中は固まっていました。

 これが錫の原料。

金属としては錫は高価な方なのだそうです。
が、社長、

「これが金インゴットだったら、工場なんてやらずに遊んで暮らすんですが」

おそらく、工場見学(最近とても多いのだとか)にきた見学者に
何回となく言ってきたに違いない渾身のギャグ。

 

雪の降るこの日、誰もいない工場はしんしんと冷気が地面からきました。
「作業中はさぞ暖かいでしょうね」
「その代り夏は地獄ですよ」
ああ・・・なるほど。

 

先日アップした護衛艦のプレートもここにありました。
ここで製作する製品の型倉庫。
わかりやすいように壁に展示してあります。
この型を使って、まずまわりの型を製作。

 

それがこれ。このくぼみに専用の土を入れてぎうぎうと固めます。

 その型が積まれている倉庫。

錫をこの後流し込むと、土と型の間にそれが流れこんで本体となります。
 制作途中のもの。

 できた型をここで研磨します。

左が加工後。これは風鈴です。

仏具から「ブレイクスルー」をこころみたとき、最初に作ったのが、
「卓上ベル」。
食卓において、執事を呼ぶときにちりんちりん鳴らすあれですね。
しかし、執事を食事中に呼ぶような生活をしている日本人はいないので、
予想できたことですがこれは全く売れませんでした。

そこで、思いついたのが風鈴。
非常に音の良いお洒落な風鈴は売れに売れました。
この会社が大きく羽ばたくきっかけになった商品です。



ショウルームにあった風鈴。
右はハローキティ、左はUFOとさらわれる人。
これ、実はうちにもあります。

今やデザイナーは20人いるのだそうですが、風鈴に関しては
「自分で言うのもなんだけど、わたしのデザイン(ハンドベル型)のほうが
音がよくて、実際にもよく売れる。
デザイナーは音の良しあしをあまり気にしないで作るから」

 

ぶたさんやナマケモノのモチーフで作った「苔盆栽入れ」。
これ、かわいいので欲しかったのですが、
苔はしょっちゅう水をやらないといけないので、
夏旅行するエリス中尉には枯らすのが火を見るより明らか。
あきらめました。

 ライオン。

これはこういう形ではなく、商品を組み合わせて作っているようです。

風鈴用の雪だるま。

風鈴を買ったときにUFOと迷ったのがこれ。
「風鈴は夏のものではない」ということをアピールするための
雪だるまモチーフなのだそうです。
とてもかわいらしいのですが、これがなぜか中国で大人気。

「なぜかわからないんですけど、中国でやたら売れるんです」

中国人の琴線に触れる何かがあるのかもしれません。

さて、われわれはショウルームで美味しいケーキをいただきながら、
この会社が取り上げられたテレビ番組の録画を拝見しました。



社長の車に乗ると、延々とユーミンがかけられており、さらにショールームでも
BGMはユーミンでした。
第一次ユーミン世代ですね。

 

若き日の社長。
この工場は社長の実家ではなく、結婚相手がここの一人娘。
「こういうモノづくりがきらいではなかったので後を継ぐことにして
養子に入った」とのこと。



番組は、工場の鋳造について紹介。

 

番組でも二つの護衛艦プレートが紹介されたようです。

 

このようなものもこの会社が製作しています。

 

社長デザインの先ほどの風鈴。
この風鈴が売れたことから、この会社の躍進が始まりました。

 

曲げて使えることが気に入ってここの食器を使用しているレストランも。

 

この錫の食器は、曲げるときに何とも言えない「みしみし」とした金属音がします。
本来「曲がるから食器に使えない」とされていたのを、
「曲げられるから食器にする」という逆転の発想がこれらを生み出しました。



社長が目標にしたのは、やはりイタリアの町工場から
いまや世界のブランドになった「アレッシイ」。
「目指すは、アレッシイ」が合言葉になりました。

 

国内で順調に評価を重ね、いよいよパリの見本市に出展することに。

 バイヤーは訪れるのですが、午前中は収穫なし。

 

午後になって大口のバイヤーがあらわれました。
メゾン・エ・オブジェ様が風鈴300個お買い上げ。

 

さらに大物バイヤー登場。
パリのメルシー本店のバイヤーです。

 

おお、おもしろいですねえ!とこちらもお買い上げ。



社長はホッとして一人で祝杯を・・・(たぶんやらせ)

とまあ、ありがちな後味のいいテレビ番組であったわけですが、後から
TOと「ひどいね」と言い合った「テレビ的演出」がありました。

テレビ番組の制作というのにかかわったことのある方はご存知でしょうが、
このたび東京地裁によって無罪判決の出た「NHK訴訟問題」、
これについても言えることですが、制作者というものは最初にどのようなものを作るか、
ほとんどアウトラインを決定したうえで、その趣旨に添う材料だけを採用し、
はめ込むのが定石です。

それでいうと、このようなサクセスものにはありがちな
「屈辱をばねに現在の成功のもととした」みたいな、ネガティブストーリーが、
この会社の成功物語にも加味されていました。



社長がまだ若いとき、工場見学に訪れた団体。
彼らの中のある母親が、子供に向かって言った言葉が・・・

「ちゃんと勉強しないと、あんな仕事しかできなくなるのよ」

・・・・・・。
本当か?本当にこういったのか?
というくらいひどい話ですね。

社長は「これではいかん」と思ってそれを跳ね返すべく頑張った、
という、エリス中尉のいつもの言い方で言うと
「スイカに塩を振るがごとき演出」なわけですが。

これも、エリス中尉ならではの予想ですが、おおかたこんなところでしょう。

「なるほど。わかりました。ところで社長。
今はこういう風にすべてがうまくいっていますが、ここに来るまでに
いろいろあったんじゃないですか?」
「いろいろと言いますと」
「ほら、なんか職人だからといって軽く見られたみたいな」
「ああ・・・そういえば、こんなことがありましたな」
「いいですね!その話使わせていただきましょう」



今や社長はそのビジネスを成功させた話を全国で講演し、
その回数は「平均月二回」と言いますから、ちょっとした時の人。

「あんな仕事しかできないわよ」

と言った母親の連れ合いよりは、おそらく何倍も世間的に
認められ、収入も多いものと思われます。

・・・・・・・・が、わたしは思います。

土にまみれ夏は滝の汗を流すような仕事を
「あんな仕事」としか思えないような人間は、たとえ社長のように
成功を治めた者に対しても、その職業が「職人」であるというだけで
決してその価値を認めることはないでしょう。

逆に、まともな人間であれば、どんな職業に対しても
プロフェッショナルには敬意を払うものです

つまり、この母親が特別に愚かな人間であったというだけの話です。
心無い一言に若き日の社長が傷つくのは当然です。

それより、職人の地位が低いというのが世間の「総意」であるとしたうえで、
しかしこの社長はそれを跳ね返し成功したのだとばかりに演出するこの番組は、
実はあの愚かな母親と同じく、汗を流す仕事を低く見ているような気がしたのはわたしだけでしょうか。