日経新聞12月8日の記事で、すっかり
「最後通告は意図的に遅らされたのだ。やっぱり日本は卑怯な国だったのだ」
と思ってしまった皆さん。
お分かりいただけただろうか。
エリス中尉がこれまで述べたことを思い出していただきたい。
国際法的には海軍の攻撃予定の30分前通告は「十分すぎるほど合法」
海軍はぎりぎりの時間に布告し、効果を最大に上げるつもりだった
もとより日本政府は通告を遅らせることは全く考えていなかった
なぜなら国際社会に批難を与える隙を作りたくなかったからである
それは天皇陛下の御意志でもあった
しかしながら、実際には最後通告は交戦開始後になった。
これは、今のところ、大使館というより外務省の無能の結果である公算が強い
ちょっとハードに始めてみましたが、今までのまとめです。
無能、とはつまりぶっちゃけ「英語力のなさ」です。
当時はベルリッ○もアル○もありませんから、ただでさえ英語の苦手な日本人、
外務省関係者であってもその英語力は今よりかなりレベルが低かったのかもしれません。
そして大使館の不手際の責任を負わされた館員井口貞夫氏の子息である井口武夫氏が、
父の名誉挽回のためにその真実を追っている、というところまでお話ししました。
確かに事実を眺める限り、外務省が覚書を全て送るのに時間がかかり過ぎです。
陰謀論が入り込んでも仕方がないくらいの時間です。
しかしそれでは、大使館には、井口氏が主張するように責任はないのか?
またもや日経から転載。
902号の覚書最終部分(14部)が送られたのは7日のPM4:38。
大使館がコーデル・ハル長官に通告を手交したのは8日のAM4:20。
なんと、大使館は外務省の電文を受け取ってからタイプして
ハル長官に手交するのに12時間もかかっているのです。
そこで疑問です。
外務省は覚書のミス訂正に15時間かかりました。
この時間を、その長さから
「これは意図的なもので、通告を遅らせるためである」と決めつけた三輪(助)教授は、
どうしてこのまるまる12時間の経過に言及しないのでしょうか。
15時間。
この時間は、覚書が15部に及ぶ長大なもので間違いは157箇所以上あったことと、
さらに深夜であったことなどを考慮すれば、存外なものではありません。
しかし、出来上がった文章をタイプするだけにもかかわらず
大使館は受け取ってから手交までに12時間もかかっている。
こちらの方がよっぽど不自然な時間の経過であると思えるのはわたしだけでしょうか。
今仮に、井口氏や三輪(助)の仮説が正しいとしましょう。
もし陸軍の関与とやらがあって、外務省が意識的に電文の送付を遅らせ、
最後通告の手交を遅らせて攻撃を効果的にせんとする意思があったとすれば、
外務省はもっとぎりぎりまで時間を稼いだのではないですか?
どう大使館員が頑張ってタイプしても到底間に合わない時間まで。
大使館に12時間ものタイプのための猶予など与えないのではないですか?
不思議なことに、大使館がタイプを仕上げるのに12時間もかかったことについては、
この記事に登場する人々は誰一人として語っていないのです。
それが怠慢だったのか無能の結果だったのか、はたまた不幸な事故だったのか、
この辺の説明もありません。
唯一、「アメリカで客死した大佐の葬儀に出席していたため」という
これまで言われてきた理由の一つについて、なんと長崎純心大学とやらの塩崎教授が
「遅延とは無関係だった」なんて言ってしまっているのです。
葬儀が関係なかったのなら、つまり12時間もかかったのは、ただ単に大使館の無能と
間抜けにも電報が来ないので帰宅してしまった大使館員のせいってことが確定しますが。
つまり全く大使館員の弁護になってませんよ。塩崎教授。
父の名誉のため「大使館には落ち度はない」という結論を求めて長年研究を続けてきた井口氏ですが、
残念ながら長年主張してきたことは今のところ、公的には全く取り上げられていないようです。
思うに、外務省のせいだけにするには、大使館に与えられた12時間という長さが微妙すぎるからでしょう。
ちゃんと仕事していれば、間に合う時間ですよね?
さらに三輪(助)教授は、大使館怠慢説否定のために、
東京裁判における東郷茂徳外相(当時)の裁判記録、しかも弁護方針を引っ張り出してきて、
東郷外相が重い罰を科されないようにするために大使館に不手際の責任を押し付けた
(日経記事本文)
とまで主張しているのです。
東郷外相については昔「嶋田大将最後の戦い」という項で、嶋田繁太郎海軍大将が、
東京裁判においてどのように「戦った」かを取り上げたときに触れたことがあります。
この元外相が、戦犯として自分の保身をするのに汲々として、他の被告、
かつての国家指導者たちから「総スカン」を食っていた、という話です。
実は東郷は開戦の際、外相として「無通告攻撃」を主張していました。
しかし裁判でそのことを問われた東郷は、
「海軍が無通告攻撃を望み、わたしは脅されてそのように言った」と主張し、
さらに、自分があたかも軍国主義者と対決していたかのように語ったため、
海軍の名誉を重んじる嶋田大将との間に法廷で激しい応酬がありました。
「海軍が無通告攻撃を主張した証拠があるのか」と弁護人が問うと、東郷は
「嶋田と永野(修身)から口止めの脅迫を受けた」と答え、海軍関係者を激怒させます。
被告たちも一様に「かれの保身は見苦しい」と判じ、中には
「他人に責任を押し付ける根性は劣等だ。そもそもあれは帰化人の胤であるから」
(東郷の父は帰化朝鮮人)などと切り捨てる者すらいた、という一幕があったのです。
自分の命を守るためになりふり構わず同じ被告を敵に回してのけるこの人物が、
大使館に外務省の落ち度をなすりつけることにも痛痒を感じるはずがありません。
それは裁判において東郷個人を弁護するためのいわば「方便」でしたが、
これが結果として既成事実化されたものではないでしょうか。
したがって、公的には外務省の目を覆うような不手際は糊塗され、それに代わって
大使館の怠慢不手際だけが史実として残ることになりました。
ですから「外務省が大使館に責任を押し付けた」という部分に関しては
この記事、そして三輪氏の説は正しいということになります。
つまり実際は、
「外務省と大使館、どちらも事務処理能力に問題あり過ぎワロタ」だったのです。
しかし井口氏は、責任を外務省に問うことをここでやめてしまいます。
そしてなぜか外務省の不手際をまるでかばうかのように
「陸軍が関与し外務省は協力させられた」という説に固執しだすのです。
その理由は・・・・・わかりませんが、井口氏が外務官僚であったことと
何か関係があるのかもしれませんね。(棒)
わたしは氏の著書を読んでいないので、その主張していることの真偽について
今は何とも評価できないのですが、著書を読んだある人の感想を覗いてみましょう。
対米通告を14時間も遅らせたのは瀬島であると指摘している。
(中略)
指摘は推測の域を出ない。
瀬島の名が出るのは、真犯人を突き止めないと冤罪が晴れない、というような
名前の選択であるような気がする。
瀬島という名前は、その理由はあえて述べないが、
こういう場面に使いやすいのも確かだ。
瀬島、というのは開戦時聯合艦隊の作戦参謀であった陸軍の瀬島龍三のことです。
この人物(伊藤忠の立役者で後に会長)については興味があれば調べていただくとして、
まあ、要するに井口氏の研究とはこのような印象であるらしいです。
というわけで、つまりこの日経新聞が引っ張り出してきた人々は、確信的に
「真珠湾攻撃は国の意図しただまし討ちであった」
と、日経新聞編集が持っていきたい結論を裏付ける人々ばかりであることがわかりました。
それでは、日経新聞は「15時間あったからそれは故意だ」と理由なしで結論付ける学者や、
親の不名誉を返上したい孝行息子を利用して何が言いたかったのか?
次回はこの日経新聞の記事がどのように書かれたか、推理してみることにします。