お盆の4日間、ブログの書き込みを休ませていただきました。
今日から再開しますのでよろしくお願い致します。
ところで、「平塚らいてう」という女性をご存知でしょうか?
彼女は今放送されているNHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で真野響子が演じていますが、2年前の朝ドラ「花子とアン」にも、更には前作の『あさが来た』最終週にも登場していました。
一体、「平塚らいてう」とはどのような人物なのでしょうか?
そこで調べてみることにしました。
平塚らいてうは大正・昭和期の女性解放思想家・運動家のようです。
本名を明(はる)と言い、明治19年(1886年)東京に生まれ、明治政府の高級官僚だった父の影響でハイカラで自由な環境で育ったようです。
明治36年(1903年)、先進的な考えをしていた日本女子大学、英文科を志望していましたが、父親の反対で家政学部に入学します。
しかし大学の勉強に幻滅し、明治38年(1905年)から、禅の修業に励むようになりました。
この頃ゲーテなどに触れ文学に目覚め、与謝野鉄幹が主宰する閨秀文学講座に参加し、そこで森田草平と出逢い、明治41年(1908年)に、心中未遂事件を起こし全国的に有名になったようです。
明治44年(1911年)に、雑誌「青鞜(せいとう)」を創刊しますが、この時、平塚らいてう自身が書いた有名な文章に、
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」
がありますが、この辞は、女性解放運動の宣言としてよく知られているところだそうです。
・平塚らいてうです。(ウィキペディアより)
その後、法によらない結婚をし、母性保護論争で与謝野晶子と論争、当時の世間を賑わせました。
母性保護論争を経て、大正9年(1920年)3月、「新婦人協会」を組織し母性の権利確立のための社会運動に乗り出しました。
そして国会請願運動の結果、大正11年(1922年)2月、女性の政談集会への参加および発起が認められることになりました。
戦前の日本では、女性の政治的権利獲得に成功した唯一の例のようです。
この後、消費組合運動を実践し、戦後は平和運動のオピニオンリーダーとして影響を与えますが、彼女は思想家として、平和を愛し、女性解放に一生を捧げた人だと言うことです。