乾電池
私たちの生活に欠かせない存在となっているものに電池があります。
電池はテレビやエアコン、照明器具などの家電製品のリモコンを始めスマホや携帯電話など、私たちの身近にある多くの製品に使用されています。
その電池は今から200年余り前に発明されましたが、当初は湿電池だったそうです。
後に発明される乾電池は日本の時計職人が考案したのですが、ご存知でしたか?
今日は、乾電池について調べました。
世界最古の電池は「つぼ型電池(バグダッド電池)」と言われています。
イラクの首都バグダッド郊外のホイヤットラブヤ遺跡から発掘された「つぼ型電池」は約2,000年以上前のもので、電気をおこすため(電池)ではなく、金銀のメッキのために使われていたものと考えられています。
電圧は1.5~2ボルト、電解液が何でできているのかは、はっきりとわかっていませんが、酢やブドウ酒などが使われたのではないかと言われています。
現在の電池の原理は1780年、イタリアの生物学者ガルバーニという人が、カエルの足の神経に2種類の金属をふれさせると電流が流れ、足の筋肉がピクピク動くのを発見したのが始まりと言われています。
そして20年後の1800年に後に電池の単位「ボルト」の語源となるイタリアの物理学者・ボルタが電池を発明しました。
ボルタの電池は銅と亜鉛を食塩水や希硫酸に浸したものでした。
その後、1860年代にはフランスのルクランシェが今の乾電池と同じく二酸化マンガンを使った電池を発明しました。
しかし、いずれも液漏れする恐れがあることから市販には不向きだったようです。
これを解決した乾電池を考え出したのが長岡藩(今の新潟県)出身で、東京で時計職人をしていた屋井先蔵(やいさきぞう)と伝えられています。
何と、乾電池の発明は日本人だったようです。
電池工業会によると、屋井は1885年(明治18年)液体をペースト状にし、液漏れを防いだ電池を考案したそうです。
しかし、権利関係の知識に疎かったことから、1888年にドイツのガスナーらに特許で先を越されてしまいました。
この事から世界では、乾電池はガスナーらが発明者とされています。
現在では、日本は水素と空気中の酸素を化学反応させる燃料電池の開発で世界をリードしていますが、乾電池の発明に、日本人が関わっていた事はあまり知られていません。
今日は、ガスナーより3年も前に乾電池を発明しながら、名前が残らなかった屋井先蔵を知っていただきたいと思い取り上げました。