らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

粉河寺散策(3)

2017-05-31 | 趣味

大門から中門を経て本堂までの200mほどの境内にはたくさんの堂宇があります。
今日もそれらをご紹介します。

「丈六堂」
この丈六堂は文化3年(1806年)の再建で、堂内には丈六(一丈六尺の略)の阿弥陀如来を安置しています。
一丈六尺は約4.85㍍ですが、仏像は普通、結跏趺坐(けっかふざ:「あぐら」の意)の姿に造られるので、座高は八~九尺(約2.4~2.7m)が標準となるようです。



「丈六堂内の阿弥陀如来像」
釈尊は一丈六尺あったっとされており、この大きさに作られた仏像を丈六といいます。

・丈六堂に安置されている一丈六尺の阿弥陀如来像です 。


名勝「粉河寺庭園」
国の名勝指定を受けている粉河寺庭園です。
本堂の前庭とその下の広場との高低差を利用して作られた、日本庭園の中でも先例のない石組みの庭園です。
石組全体の構成は向かって左手に重点をおき、枯れ滝・石橋・鶴亀の島などを象徴的に表現し、右手にゆくに従って石の扱いは軽くなっているそうです。
右に見えている屋根が本堂ですが、広場と本堂は約3メートルほどの高さの差があり、その段差に庭を作っているのです。
桃山時代の枯山水観賞式蓬莱庭園といわれ、紀州産の緑泥片岩などの巨石が豪快に使われているそうです。



「本堂」
8世紀(770年)の創建以来5度の火災と1度の兵火に見舞われ、その度に造営と改造を繰り返してきました。
現存の本堂は享保5年(1720年)に再建されたものです。
江戸時代中期の欅(けやき)材による代表的建築で、西国三十三ヶ所の中で最大級の大きさを誇る本堂だそうです。

他に類例を見ない特異な形態で、一重屋根の礼堂(らいどう)と二重屋根の正堂(しょうどう)とが結合した構成を持つ複合仏堂の形式となっています。
この本堂に祀られているご本尊は、もちろん粉河寺縁起でも語られている千手千眼観音像ですが、残念ながら絶対秘仏だそうで、今まで公開されたことがなく、誰も見たことがないのだそうです。


「鐘楼」
この鐘楼の鐘は1回50円で誰でも撞くことができます。
毎年、終戦記念日には平和の鐘をならす集いが開かれているそうです。
今年も戦争で犠牲になった多くの人や、6年前の東日本大震災などの災害で亡くなった人たちの冥福を祈って平和の鐘をならす集いが開かれる予定だそうです。



「六角堂」
六角堂は六角形の仏堂で、享保5年(1720年)の建立です。
西国三十三ヶ所御本尊(千手観音菩薩)を祀っているそうです。

「西国三十三所巡礼の由来」
西国三十三所巡礼は観音霊場を巡る旅です。
718年長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、病のために亡くなりました。
冥土の入口で閻魔大王に会い、生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多いことから、三十三箇所の観音霊場をつくり巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻されました。
そしてこの宝印に従って霊場を定め、閻魔大王から授かった宝印を摂津国の中山寺の石櫃に納めました。

徳道上人が中山寺に宝印を納めてから約270年後、花山法皇が紀州国の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し、上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を受けたのです。
そして中山寺で宝印を探し出し、播磨国書写山の性空上人、河内国石川寺の仏眼上人と中山寺の弁光上人を伴い三十三箇所を巡礼したことから、やがて人々に広まっていきました。
この三十三の数については、観音菩薩が衆生を救うとき、33の姿に変化することに由来すると言われています。
西国三十三箇所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされています。