昭和30年代から昭和48年までの日本は高度経済成長が続きました。
私は昭和40年代に営業で得意先を回っていましたが、当時、海軍上がりの経営者の中には「お陰さまで月月火水木金金の忙しさです」という挨拶をされる方もおられました。
デフレ下の現在では、「夢よ再び」と願いたいところですが、それはさておき、「月月火水木金金」とは、土日が永遠に来ない1週間の言い方で、戦時中に厳しい訓練の日々が軍歌に歌われたものです。
冒頭の高度経済成長期においてもモーレツに働くことが讃えられ、その価値観は昭和60年代まで残っていたように思います。
当時の職場では、転勤者や転入者、新入社員などを歓迎する歓送迎会には「月月火水木金金」を始めとする軍歌がよく歌われました。
日本時間の明日、閉会式を迎えるリオ・オリンピックでは日本人選手の快進撃が続いています。
昨日は陸上男子400mリレーで37.60秒のアジア新記録で2位に入り、銀メダルを獲得しました。
100メートル9秒台の選手が一人もいないチームがアメリカやカナダに勝ったのです。
これを快挙と言わずして何と言いましょうか。
この五輪では、これまでに獲得したメダル数が金メダル12個、銀メダル8個、そして銅メダルは21個で合計41個となっており、前回のロンドンオリンピックで獲得した38個のメダルを上回って過去最多となっています。
この成績が残せたのは、選手の皆さんが相当厳しく苦しい練習を積んで来られた結果ではないかと推察します。
恐らく土日も休むことがない「月月火水木金金」の1週間を続けて来たのではないでしょうか?
今日はそのような選手にエールを送るつもりで、軍歌「月月火水木金金」をお聴きいただきたいと思います。
昔、「巨人・大鵬・卵焼き」と言う言葉が流行語になったことがあります。
この言葉は昭和40年代前半から昭和45年頃の昭和元禄の時期の文化を背景にして誕生した流行語で、「子ども(を含めた大衆)に人気のあるもの」の代名詞として並べられたものです。
ところで卵ですが、これにも賞味期限があります。賞味期限が過ぎた卵を皆さんはどのようにされているのでしょうか?
そして賞味期限は一体どのようにつけられているのでしょうか?
調べてみました。
農林水産省によると、卵の賞味期限表示は、卵のサルモネラ菌による食中毒防止の点から、サルモネラ菌の増殖が起こらない期間を基準にして「生で食べられる期限」として設定されています。
その期間は保存温度によって異なり、保存温度による生食できる日数(理論値)と過去5年間の平均気温など、英国のハンフリー博士の研究に基づいて算出された科学的根拠により決められているそうです。
それによると、夏期(7〜9月)は採卵後16日以内、春秋期(4〜6月、10〜11月)は採卵後25日以内、冬期(12〜3月)は採卵後57日以内が生食できる期限となっています。
しかし、実際に市販されている卵は、より新鮮・安全なものを届けるために、これらの期間よりも短い日数が賞味期限として設定されています。
卵の賞味期限は「生で食べられる期限」なので、賞味期限が過ぎても、食べられなくなるわけではありません。
賞味期限が過ぎたものはできるだけ早く加熱してから食べるほうがよく、また、殻にひびが入っている卵も生食をさけて、加熱をしてから食べるほうがよいと言うことです。
以前「ためしてガッテン」が、どのくらい賞味期限が過ぎても食べられるのか番組が調べたところ、なんと賞味期限を4か月過ぎた卵を食べたことがある人たちがいたと放送していました。
番組がその卵を検査してみたころ、食中毒の原因となるサルモネラ菌などは全くいなかったそうです。
専門家にたずねてみると卵は菌に対して強い性質があり、常温で2か月冷蔵庫で4か月はもつという研究結果もあるということです。
なお、賞味期限はある特別な卵を基準に定められており、その特別な卵とは、最初からサルモネラ菌の一種が中に入ってしまっている、いわば「菌入り卵」だそうで、その卵の確率は、約3万個に1個の割合だということです。
しかし外見からは見分けがつかないので、仮に「菌入り卵」でも安心して食べられる期間として、賞味期限が定められているのだそうです。
卵の賞味期限内であれば、例え菌入り卵でも安全に食べることができます。
何故か?
・生卵においては万が一卵内にサルモネラ菌が存在していた場合でも、食中毒対策上から食用とすることが可能な期間を設定しており、サルモネラがほとんど増殖することはない冷蔵保存下で夏期なら7~10日、春秋期で2週間程度となっていいること。
・サルモネラの増殖には鉄分が不可欠であり、これは卵黄中にのみ存在し、卵白中には存在しません。そのため、賞味期限の計算は菌の増加が起こるまでの日数と保存温度との対数式によって計算されますが、卵黄膜が鮮度の低下により破れて、鉄分を有する卵黄成分が卵白内に移行する目安の期間を表していること。
・賞味期限を守り、生食するならなるべく新鮮なうちに食べること。
卵内には殺菌酵素リゾチームが多く含まれ、サルモネラ菌は10℃以下ではほとんど増殖しませんが、時間が経つにつれ卵の鮮度が下がれば殺菌力も低下してしまうので、必ず新鮮なものを食べましょう。
加熱処理の場合は食品の中心温度を管理する事が重要で、75℃で1分間以上、または65℃で5分間以上加熱する事が目安だそうです。
先月、日経新聞が、米国の人工知能(AI)開発ベンチャーのAKA(カリフォルニア州サンタモニカ)が、同社が手がけた初めての商品となる英会話教育ロボットの販売先に日本市場を選んだ、と報じていました。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催を控えて英語熱が高まっていることに着目したということです。
「英会話ロボットMUSIO」
このロボットは「MUSIO(ミュージオ)」と言い、猫のような耳を持ち、アニメのキャラクターのような形をした人工知能ロボットです。
友達と話しているように英会話を練習するために開発されたもので、自然な英会話と英語教育コンテンツを通じて非英語圏の子供たちにもネイティブな英語環境を届けるものだそうです。
MUSIOは、例えば「一番好きな動物は何ですか?」とか、「日本の人口はどれくらいですか?」といった質問を重ねることによって利用者との会話を記憶し、会話を通して、好きな食べ物や趣味、家族構成などを覚えていくそうです。
・「MUSIO」の宣伝動画です。
また、インターネットにもつながるため情報検索機能も持っており、「米国の大統領は?」といった質問も検索して英語で答えてくれるようです。
データが蓄積されればされるほど賢くなり、会話の内容も洗練されていくことから、その場の会話に基づく学習となってより自然な英語力が身につくといわれています。
更に、ロボットにも拘らず表情も豊かで、怒りや喜び、悲しみなど8種類の感情を持ち、目で感情を表し、MUSIOの悪口をいうと怒ったり悲しんだりもし、会話の内容次第で性格も変わっていく、ということです。
「日本市場に投入する理由」
米国のベンチャーにもかかわらず、日本を市場に選んだ理由について、それは日本が「ロボットに親しみを持つ人がいる最大の市場」であり、「小学校での英語の必修化やオリンピックを控えて英語学習の人気が高まっている」ことも背景にあるということです。
「販売価格」
昨年11月に日本で事前予約を始め、今年年11月にはソフトバンクコマース&サービス(東京・港)を通じて正式に店頭で販売するようです。
AKAでは「2016年は2万台、2017年は10万台の販売を目指したい」としており、既に、京都市の同志社中学校でも試験的に授業で導入していると言うことです。
11月の一般発売を前に新宿髙島屋で事前予約を受け付けているようですが、事前予約価格の15%の割引後、Musio本体は81,500円(税込)、教材付セットは92,000円(税込)、共に国内送料込で事前予約を受け付けているとのことでした。
AKAは日本の英語教育においてさらなる貢献ができるよう、また、「一家に1ロボット」時代の実現を目指すとしており、Musioと楽しみながら少しでも英語学習を好きになっていただくことを願っていると、結んでいました。
サラリーマンや学生にとって、10万円ほどで生きた英語学習ができればいいですね。
日本人選手の活躍で、リオ・オリンピックが盛り上がっています。
一昨日までに獲得したメダル数は金メダル7個、銀メダル4個、銅メダル18個、合計29個と、金メダル数ランキングで10位につけています。
後半戦も女子レスリングやバドミントンなどからのメダル積み上げが大いに期待されているところです。
さて、4年後には東京オリンピックが開催され、追加競技の一つに「空手」が加わりました。
これからの4年間は空手を目指す人が増えるかもしれません。
日本のお家芸である空手で是非金メダルを獲得して欲しいものです。
ところで、空手とよく似た競技に少林寺拳法があります。
こちらはオリンピックの種目ではありませんが、この少林寺拳法は日本が発祥と言うことをご存知でしょうか?
少林寺拳法は映画「少林寺」の印象から中国発祥と思われがちですが、映画で描かれていたのは中国で古くから伝わる少林拳のことで、少林寺拳法は1947年(昭和22年)に香川県で生まれた日本発祥の武道だそうです。
創始者は教育者、宗教家でもあった宗道臣(そうどうしん)氏(1911~1980年)です。
彼は対馬の豪族、宗氏の末裔だそうで、戦前に満州で学んだ武術を基に、戦後、香川県の自宅の道場で独自に編み出した護身主体の拳法で、これを教えたところ評判になり、各地に広まったそうです。
少林寺拳法の名は、宗氏が戦前に訪れた中国・河南省の寺院、嵩山(すうざん)少林寺で、鍛錬する僧の壁画を見て感銘を受け、あやかってつけたのだそうです。
少林寺拳法は中学校の保健体育の授業に加えられた武道の一つであり、2014年度からは高校総体の正式競技にもなっているようです。
現在、登録会員数は世界37カ国に約170万人いると言われています。
驚きました。
少林寺拳法が日本発祥とは知りませんでした。
お盆の4日間、ブログの書き込みを休ませていただきました。
今日から再開しますのでよろしくお願い致します。
ところで、「平塚らいてう」という女性をご存知でしょうか?
彼女は今放送されているNHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で真野響子が演じていますが、2年前の朝ドラ「花子とアン」にも、更には前作の『あさが来た』最終週にも登場していました。
一体、「平塚らいてう」とはどのような人物なのでしょうか?
そこで調べてみることにしました。
平塚らいてうは大正・昭和期の女性解放思想家・運動家のようです。
本名を明(はる)と言い、明治19年(1886年)東京に生まれ、明治政府の高級官僚だった父の影響でハイカラで自由な環境で育ったようです。
明治36年(1903年)、先進的な考えをしていた日本女子大学、英文科を志望していましたが、父親の反対で家政学部に入学します。
しかし大学の勉強に幻滅し、明治38年(1905年)から、禅の修業に励むようになりました。
この頃ゲーテなどに触れ文学に目覚め、与謝野鉄幹が主宰する閨秀文学講座に参加し、そこで森田草平と出逢い、明治41年(1908年)に、心中未遂事件を起こし全国的に有名になったようです。
明治44年(1911年)に、雑誌「青鞜(せいとう)」を創刊しますが、この時、平塚らいてう自身が書いた有名な文章に、
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」
がありますが、この辞は、女性解放運動の宣言としてよく知られているところだそうです。
・平塚らいてうです。(ウィキペディアより)
その後、法によらない結婚をし、母性保護論争で与謝野晶子と論争、当時の世間を賑わせました。
母性保護論争を経て、大正9年(1920年)3月、「新婦人協会」を組織し母性の権利確立のための社会運動に乗り出しました。
そして国会請願運動の結果、大正11年(1922年)2月、女性の政談集会への参加および発起が認められることになりました。
戦前の日本では、女性の政治的権利獲得に成功した唯一の例のようです。
この後、消費組合運動を実践し、戦後は平和運動のオピニオンリーダーとして影響を与えますが、彼女は思想家として、平和を愛し、女性解放に一生を捧げた人だと言うことです。
昨日は今年から始まった祝日「山の日」だったことから山に関するニュースを調べていたら、読み方が難しい山、「日本難読山ベスト10」に行き当たりました。
多分、殆どの人が読めないのではないかと思い、ご紹介することにしました。
「日本難読山ベスト10」は次の10山ですが、何と読むのかお分かりでしょうか?
① 一尺八寸山 (標高706.7m) (大分県)
② 爺爺岳 (標高1,822m) (北海道・国後)
③ 月出山岳 (標高708.7m) (大分県)
④ 雲母峰 (標高884m) (三重県)
⑤ 岨巒堂山 (標高751.0m) (新潟県)
⑥ 阿哲台 (約500~600m)(岡山県)
⑦ 梅花皮岳 (標高2,000m) (山形・新潟県境)
⑧ 本富岳 (標高940m) (鹿児島県)
⑨ 鰻轟山 (標高1046m) (徳島県)
⑩ 後方羊蹄山 (標高1,898m ) (北海道)
この10山が日本難読山ベスト10に選ばれている山です。
いくつ読めましたか?
読み方は柿の画像をご覧ください。
難読山ランキングは、いまから20年前の平成8年(1996年)にまとめられたもので、対象となる山の条件は、登山やアウトドアの愛好者でも、読めない、分からない、ましてや一般の人にはチンプンカンプンという日本全国の難読山です。
選ばれた山の数は229にのぼり、ランキングは読めないであろうと思われる順となっています。
例えば、ランキングの1位である大分県の「一尺八寸山(標高706.7メートル)」ですが、これは「いっしゃくはっすんやま」ではなく「みおうやま」と読みます。
また、同ランキングの3位は「月出山岳(標高708.7メートル)」は「かんとうだけ」と読みます。
そして平成25年(2013年)10月には、この難読山のランキングを地域活性化にも活用できないものかと開催されるのが「日本全国難読山名サミット」で、そのベスト10が上記の山々です。
「一尺八寸山の名前の由来」
サミットで1位に選ばれた「一尺八寸山」の名称にについてはつぎのような由来が伝えられています。
昔、この地には獣が多く生息し、田畑を荒らしていたため、この地域を治めていた代官が多数の家来を連れてイノシシ狩りを行った。
射止めた三頭のイノシシの尾を切り取って繋いだところ、その長さが一尺八寸あったことから「一尺八寸山」と書いて「みおやま(三尾山)よ呼ばれるようになったと伝えられています。
「月出山岳の由来」
同サミットで第3位に選ばれた「月出山岳」の名称についても、次のように伝えられています。
九州各地を巡幸されていた景行天皇(3世紀末から4世紀前半)が大分県日田を訪れた時、山からい出ている満月を見て「げにすばらしきながめかな」と褒められ、「あの山は何と言う山か」と問われたところ、ご説明役の久津姫は「あの山の方向はいずこか」と聞かれたものと勘違いして、「関東でございます」と答えたと言う。
これ以降、「月出山」と書いて「かんとう」と呼ばれるようになったと言うことです。
伝説などに基づいて当て字を読ませる難読山、一般の人には読めませんよね。
この2山以外の難読山についても名前の由来があると思いますが、後日調べてみて、面白そうなのがあればご紹介します。
明日からお盆です。
当ブログもお盆の間お休みさせていただきます。
17日から再度アップしますのでよろしくお願い申し上げます。
今日、8月11日は国民の祝日「山の日」です。
「山の日」は2014年改正の祝日法で制定されされました。
制定の経緯は、山岳団体などから「海の日(1996年制定、7月第3月曜日)があるのにアンバランス」等の意見があったことから、2014年改正の祝日法で「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」として国民の祝日に制定されたものです。
8月11日になったのは、
・8月に祝日が無かったこと。
・夏休み中で学校の授業日数に影響せず、盆休みとも繋げやすいこと。
・「八」が山で、「11」が山の木々の形に似ていること。
等の理由からです。
「山の日」の祝日には登山する人も多いかと思いますが、いきなり山に行くと遭難の危険もあります。
警察庁がまとめている「山岳遭難の概況」によると、山岳遭難を防ぐには
・気象や体力、登山経験に見合った山を選ぶこと。
・装備や食料を十分用意し、余裕のある登山計画をたること。
・単独登山は危ないので、信頼できるリーダーを中心に複数で登ること。
・登山計画書を登山口の登山届ポストに入れ、家族や職場にも渡しておくと安心であること。
・地図やコンパスで自分の位置を常に確認すること。
等の注意点を示しています。(警察庁、「平成27年における山岳遭難の概況」から)
一方、「山の日」の関連業界は、登山や行楽に出かける人が増えるとみて、新商品の発売や販売促進イベントの開催を展開しているということです。
更に、お盆に近い11日の祝日と併せて、人によっては夏休み期間が増え、外食や旅行への支出が増えることなどから、「経済効果は数千億円」との試算もあるようです。
近年の健康志向の高まりで幅広い世代が登山を楽しむようになっており、山の日を商機と捉えて商戦の活発化が期待されています。
この活発化は、経済面からも、GDP(国内総生産)全体の約6割程度を占める個人消費が伸びる事を意味し、これにより、国内景気の下支えができます。
家族で或いは友達同士で、登山、旅行、グルメなど、個人消費に大いに貢献していただきたいと思います。
今年もゴーヤがたくさんできました。
我が家ではゴーヤ料理と言えばゴーヤチャンプルーだけでしたが、先日、ご近所の奥様から苦くないゴーヤの甘煮佃煮のレシピをお聞きしたので作ってみることにしました。
「材料」
ゴーヤ 500g
砂糖 200g
濃口醤油 50cc
酢 50cc
本だし 少々
ちりめん 30g
花かつお 15g
ゴマ 少々
「作り方」
1.ゴーヤはタテ半分に切って、種とワタを取り、5mm幅に切る。
2.熱湯に入れて一度沸騰させ、水にとって、冷めたら水気をしっかりとる。(熱湯で茹でる 冷めるまでおく 水分をとる)
3.鍋に砂糖、濃口醤油、酢、本だし、ちりめん、それに「2」のゴーヤを入れて調味料をからめるように煮詰める。 (煮汁を煮立てる ゴーヤを加えて煮る)
4.煮汁がなくなる頃に花かつおとゴマを加えて仕上げる(花かつおとゴマを ゴーヤに混ぜる)
・ゴーヤをタテ半分に切って、種とワタを取りのぞいた状態です。
・作り方「2」、上記を5mm幅に切り、熱湯で茹でたゴーヤです。
・作り方「3」、調味料とゴーヤを煮ているところです。
・上記が煮詰まりました。
・作り方「4」、花かつおとゴマを加えて出来上がりです。
美味しくできました。
ブログや文章を書く時、どこどこ方面へとか、○○方向にと言った場合、「に」と「へ」のどちらを使うべきか、その使用区別が分かりません。
どちらを使っても意味は通じますが、助詞が別と言うことは使用区分があるのではないか?
そこで、今日はその違いについて調べてみることにしました。
方向を示す「に」と「へ」は格助詞と言われ、例えば、台風の進路を伝えるときは、「北に向かっている」と「北へ向かっている」のように使われます。
この例の場合どちらも使えるようですが、どちらかといえば、「北へ向かっている」のほうがいいかもしれないと言うことです。
その理由は、「北に向かっている」と「北へ向かっている」の「に」と「へ」は、いずれも「向かう」という移動を表す動詞の到達点や方向性を示しており、一般的に、「に」が到達点そのものに焦点が当てられているのに対して、「へ」はそれよりも広い範囲、つまり到達点とともにそれに向かう経路や方向性に焦点が当てられているのだそうです。
従って、台風の進路を伝える場合は、台風が向かう到着点が決まっているわけではなく、重要なのは「向かう方向」なので、どちらかというと「北へ向かっている」のほうがいいかもしれないのだそうです。
一般的に、「に」と「へ」には、次のような違いがあると言われています。
・「に」……動作の到達点を示す
・「へ」……動作の方向を示す
ところが、ほとんどの場合、「に」と「へ」を入れ換えても意味は通じることから、使い分けは現代では、たいへん曖昧になっているのだそうです。
結論としては、場面によって、ニュアンスを考慮して、「へ」か「に」かを選ぶことが必要だと言う事でした。
天皇陛下が御退位の意向を示されているとの報道があってから、国民の間に驚きが広がっていますが、その事について、本日の午後3時に天皇陛下がお気持ちをビデオメッセージで表明されます。
このメッセージは「生前退位」の意向を持たれている陛下が「象徴としてのお努め」についてご自身のお気持ちを語られる内容だと言われており、陛下のお気持ちがにじむ長さ10分くらいのメッセージだそうです。
新聞の記事によれば、陛下は「お気持ち」の文案が出来上がった後も、推敲を重ねられていると書かれていました。
ところで、皆さんはこの新聞記事の「推敲を重ねられている」の表現について、漢字の読み方やその意味がお分かりでしょうか?
おっと!失礼しました。
分からないのは私だけでしたね。そこで調べてみました。
「推敲」は「すいこう」と読みます。
その意味は、広辞苑には次のように書かれています。
「推敲(すいこう)」・・・[唐詩紀事(四十)](唐の詩人賈島(かとう)が「僧推月下門」の句を得たが、「推(おす)」を改めて「敲(たたく)」にしようかと迷って韓愈(かんゆ)に問い、「敲」の字に決めたと言う故事)詩文を作るのに字句を様々に考え練ること。
と説明しています。
即ち、推敲とは、文章を何度も練り直すこと。詩文を作るのに字句を様々に考え練ることの意味で、その出典は『唐詩紀事』巻40で、次の故事に由来しているということです。
唐代、都の長安に科挙(官吏の登用試験)を受けるためにはるばるやってきた賈島(かとう)は、乗っているロバの上で詩を作っていました。
その途中、「僧は推す月下の門」という一句を口ずさんでから、「推す」のほかに「敲く(たたく)」という語を思いついて迷ってしまったそうです。
彼は手綱をとるのも忘れ、手で門を押すまねをしたり、叩くまねをしたりしましたが、なかなか決まりませんでした。
あまりにも夢中になっていたので、向こうから役人の行列がやってきたのにも気づかず、その中に突っ込んでしまいました。
更に悪いことに、その行列は知京兆府事(長安の都知事)、韓愈(かんゆ)の行列であったため、賈島はすぐに捕らえられ、韓愈の前に連れて行かれたそうです。
そこで彼は事の経緯をつぶさに申し立てたところ、優れた名文家であり、漢詩の大家でもあった韓愈は、賈島の話を聞き終わると、「それは『敲(たた)く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」と言ったそうです。
そして、二人は、馬を並べていきながら詩を論じ合ったと言うものです。
このことから「詩文を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲(すいこう)」というようになったようです。
そこで冒頭の新聞記事の「陛下はお気持ちの文案が出来上がった後も、推敲を重ねられている」と書かれているその意味は、陛下ご自身のお考えに沿っているものなのかどうか、憲法上の規定に触れないかどうか、象徴天皇として公務にどう向き合っていくかなど様々に考え、練られている、との意味になるものと理解しました。
「60の手習い」ではないですが、70過ぎても勉強になりますね。