最近は、国からの補助金政策があれも、これも、
という感じで、景気対策としてずいぶんと使われています。
ひたすら土木や道路といった利権が一部に集中するような使い方からすれば
まぁ、マシではあるとも言えるのですが、
いろいろな概念の押しつけとも思えるようなこともあります。
いま、盛んに言われている「長期優良住宅」という概念もそのひとつ。
そもそも、長期優良住宅という概念は
前の総理大臣の福田さんが、海外生活が永くて
アメリカの住宅地を見ていて、感じていたことを政策化したもの。
その趣旨自体は、全然正しい認識といえるのですが、
いざ、法として整備されてくると、
どうもクエスチョンの付くようなものが入ってくることになる。
やれ耐震等級だとか、っていうような、
これまでの法律との整合性を盛り込んでくることになるので、
建築の自由度を制限するような方向になってくる。
そういうことはまだいいのですが、
さて、そのように細い構造材に金物でがんがん補強を入れた建築で
床面積も40坪程度の住宅で、長期優良です、
っていうようになっているのですね。
でも、実際に200年、300年建ち続けてきている住宅も
日本にはたくさんあるのです。
地域の暮らしに根ざした大型農家住宅がそれですね。
いわゆる古民家と、一般的に認識されている建築です。
で、このような「長期優良住宅」論議のなかで
ほぼまったく論議されていないのが、その長期継続性の精神性の部分。
「ひとびとは、どうしたら永く家に住み続けるのか」
ということがらですね。
国の政策ではありながら、こういう文化的なというか、哲学的なというか、
そういう視点が提起されることはまず、ない。
でも、実際に古民家を訪れると、一様に
写真のような神棚が家の真ん中、神聖空間に鎮座し、
先祖への礼拝空間も美しく飾られている。
そういう「継続性」への文化こそが、
ひとびとに住空間を大切に保持していこう
という意識を生み出す最大のものであることが自明です。
それは日本人の生きて繋がっていくこと、継続性への自然な姿。
ひるがえって、生産活動の手段のない、生活装置だけの住宅が
そこまで長期にあり続けていくのか、疑問を感じざるを得ない。
ことは宗教的な部分まで及んでくるので、
確かに現代国家の政策テーマには難しい側面を持っているけれど、
逆にそういう哲学論議を持つことなく、
「景気対策」というようなことで、安易に価値判断していいのかどうか、
いつも迷いを持って感じてきている次第です。
みなさん、いかが感じられるでしょうか?
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