三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

開陽丸

2009年06月26日 05時41分00秒 | Weblog



本日は、これから仙台へ移動であります。
きのうまでに片付けられることは片付けましたが、
いまは同時進行で2つの大きなプランを進行させていて、
なかなか綱渡りな作業を余儀なくされております。
さてさて、ふ~~~。

なので、しばらく、歴史関係のことは
頭のなかだけでとどめざるを得ず、探訪旅行が出来ません(涙)。
来週あたり、道東標津あたりに足を伸ばしたいと考えていますが
さて、どうなりますことか、・・・。
もうひと月半前くらいに行った上ノ国探訪の折に見た
戦艦・開陽丸の様子であります。
開陽丸、と丸を付けるのは船の愛称であって、
本来、戦艦には丸を付けるべきではない、という説を聞いたことがありますが、
一般的には、この幕府最後の旗艦には「開陽丸」と、丸が付いて呼称されてきました。
戦前日本の旗艦「大和」も、最後はあっけなく来たのですが、
この開陽丸も、最後はなんのことはない、些細な操縦ミスで
あえない最期を遂げています。
江差の岩礁地帯で座礁して沈没してしまったのですね。
それをサルベージして、いまは江差の街の重要な歴史遺産として
港に係留し、観光客に開放しています。

まぁ、何回か見ておりますが、
ごらんのような蝋人形による戦闘風景などもあって、
なかなかに迫力がある。
幕末の国家予算のなかでも相当に大枚の国費を費やしただけあって、
船体も大きく、当時の軍事技術でも相当のレベルの軍艦。
榎本武揚が深く頼んだことが、さもありなんと思われる偉容を誇っています。
江戸から、この軍艦を旗艦とした榎本軍が出航したとき、
新政府軍側が、なすすべがなかったのが
この軍艦の最後の花の出来事だったのでしょう。

でも、ひとつの軍艦が、
象徴的な存在として、構成まで語り継がれるという意味では、
やはり特別な感慨を持たせるものがあります。
何回見ても、やはり明治の動乱の時代のひとびとの息づかいまで
こちらの胸に伝わってくるような思いがしてきます。




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