三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

里山に繋がる裏庭

2008年02月13日 06時00分32秒 | 住宅取材&ウラ話

きのう書いた集住形態の農家群の中の住宅です。
このお宅は、この一帯の「家守り」役であったと思われる大工さんの家。
というか、いまは大工さんだったお父さんが亡くなって、
その娘さん夫婦を中心にした4世代同居のお宅です。
どうも推察するに、この大工さんが、きのう触れたような農家住宅を建てたり、
保守管理・増築などの作事一般を受け持っていた気がします。
現代がもう、システムとしてなくそうとしている、
「家守り」システムですね。
これは、建築の専門家である地域居住の大工さんが、
その地域での色々な建築的相談事を専門的に受け、管理していく社会システム。
現代のように、ハウスメーカー・商品化住宅システムの全盛期になってくると、
ちょっとした補修など、「どこに頼んでいいかわからない」
というような状況が生まれてきてしまう。
たぶん、こういう不便な状況って、最近というか、
戦後高度成長期以降、顕著になったのではないかと思います。
いわゆる、ハウスメーカーの成長期で、国策としてもそういう建築企業を培養した。
官主導で進められた「ハウス55」計画は、
労働者として大量に都市に集められた農家の2男・3男という
あらたな「住宅希望者」に対して、
既存の家づくりシステム(家守り」を中心とした地域工務店ネットワーク)では
住宅建築を請け負うのは不可能だと判断して、
そういう建築の受け皿として、
規格大量生産型のプレハブメーカーを国策で養成したのですね。
というような経緯で、今日の状況を迎えてきていて、
いまや、地域工務店というのは、業界としての存続の縁にある。
先日も、全建連という工務店の全国組織のトップの方とお話ししたのですが、
そうした危機が、まさに迫っているという状況ということです。

写真は、この地域(宮城県の石巻近郊の山間農業地域)での
家づくりの基本である、里山に寄り添った住宅計画の結果、必然化する
自然の里山の裏庭を撮影したものです。
家の裏の山からは、四季変化に応じて
いろいろな恵みももたらされて、暮らしになくてはならない潤いを
もたらしてきたに違いないと思います。
春の山菜採りから、秋のキノコ取り、落葉は貴重な肥料に、と
伝統的な農家の暮らしの基本的バックグラウンドだった。
そういう暮らし方が、そのまま、国土の保全に繋がっていた。
そうです、身近な森林の管理に繋がるわけですね。
こういう一連の営みを、官僚統制的手法で破綻させてきたのが
戦後の高度成長システムの弊害であった。そして、気付いたときには
それを復元する社会システム自体も崩壊してしまっていた、
というのが現実の姿なのです。

しかし、そういうなかで、この家に暮らして育った娘さんが
この家に愛着を感じて、お父さんが建てた家を壊して建て替えるのではなく、
なんとかリフォームして暮らし続けたいという希望を持たれたのです。
現代では、こういう古い建物を延命させて現代的な暮らしやすさを実現するのは
たいへん気骨のいる作業だと思いますが、
幸いにしてリフォーム会社の担当の女性の方も、
「またこの家に帰ってきた気がするんです(笑)」っていうように、
建て主さんといっしょになって苦労したことが、
その明るい表情から伺えたのです。
そんな明るい女性ふたりの会話を聞いていて、
なんとなく救われるような気がした取材でした。
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