今日は「初日舞台挨拶!ライブビューイング!」
…とやらに参戦して、午後から仕事。
こんなに朝も早よから映画見に行ったことないよ(笑)。
舞台挨拶生中継の様子は、ほうぼうでUPされているのでレポ割愛しますが、まずは本編の感想を自分メモで書きます。
ロビーで様子を見ていたら、私の右隣りに中一ぐらいのお嬢ちゃん。彼女はヒロインの飯豊まりえちゃんのファンのようでした。んでお母さんは主演の藤ヶ谷君のファンらしく、お二人ともコーフン度がハンパない(笑)。
左隣の女性トリオは、「まさくん」という単語が頻繁に出てきたので(すみません会話聞いてしまいました)、どうやら窪田君のファンのようでした。
オフ会でもあったようで、地元のお土産交換会と化してて笑った(笑)。
はいフィギュアファンと全く同じですね。わかります。わかりますとも!^^
★
お客さんまあまあ入ってて、皆さん舞台挨拶目当てかしら。でも一人で来てた男性が結構いたー。不思議(?)
本編はTVドラマのおさらいから始まり、「あれから半年」が経過したところ。
何より監督が「こだわった」という、自然光
のやわらかな美しさが、「いかにも青春
」していて、とても印象的でした。
人物の背景によくこの「自然光」が出てくるんですが、逆光なのに顔が暗くならないのはどういう撮影なんだろ?(すません。撮影シロートです)
まるで、マリア様の後光のような効果があって、監督は「神聖な感じを出したかった」と言ってはりましたが、ピタッとはまっていました。
海や波やヨットや島が、光の中にボンヤリ溶けていく感じ。
高校の美術室の、いつも窓から差し込む光のやわらかさ。
絵的に、映像がとても好きです。
ファッションはやっぱり、原作の描かれたバブル時代?に合わせてるのかな?
私、TV版で藤ヶ谷君の「零」が、美術室の胸像とキスしてるカットが、とても好きなんですが、あそこで「藤ヶ谷君って鼻の形が綺麗やな…」と感心したんですよね。
そしたら窪田君が「鼻筋」に言及してたもんで、やっぱりみんなもそう思ってるんだなって(笑)。
あれは何故キスしてるんでしょね。MARS=闘いの神・軍神=自分なのかな。
自分を誇らしく思っている…いや、思おうとしている。
後付けでそう解釈しましたが。
零とキラのラブストーリーだけでは余りにも平板なので、そこに桐島牧生という黒い要素を投入して攪乱する…三角関係なのですが、どうもプロデューサーの意図と映画監督の意図が、ややズレているような気がしなくもない(?)
雑誌ダ・ヴィンチの対談で、植野プロデューサーが「牧生視点で描きたい」と言及してましたが、いざ映画を見てみたら、主人公は飯豊まりえちゃんの「キラ」なんですよね。
内気で傷を抱えていた女の子が、強く成長していく物語に見えました。
そもそもドラマと映画を作る意図は、J事務所さんから「藤ヶ谷君でプロモーションVを1本!」という発注だったと思うんですが(多分ね。多分よ)。
だって全編、藤ヶ谷君を超~かっこよく撮ってるものね(笑)。
でも、肝心の「零」の成長(変化)より、ヒロインのキラちゃんの変化の方が、丁寧に描かれていて振り幅が大きかった。
なので、「プロデューサーは牧生押し」、「監督は零押し」、「脚本家はキラちゃん押し」…と、「どこに比重を置くか」が、ややバラバラに思えました。
あ、まったく個人の勝手な見解です(笑)。
牧生は、零にあこがれて(男の子だけど男の子に憧れる)、キラちゃんが零とくっつくのが気に食わない。なので色んな行動に出るのですが。。。
窪田君の造形する牧生は、「蛆虫のように醜い。最低な生き物」なのですが。
なぜかあわれで、醜さを突き抜けて美しさすらある。
これが大人の男で、世の中の酸いも甘いも味わった人間が「腐ってる」なら、同情も何も湧かないと思うんですが、牧生は「こども」なのよね。
「間違った方向に行ってる子供」の延長線上にある高校生なんで、あわれで憎み切れない。
「サイコパスとして演じないでください」という指示が出てたそうなんで、なんという難しいオーダーか!と思いますが、複雑な人格を持つ牧生を見事に演じ切っています。
子供って、こっち(大人)が理路整然と諭しても、聞かないじゃないですか。
「どうしてわかってくんないんだ!」「僕が正しいんだ!」って、譲らない。
牧生は牧生の「正義」の元で生きているので、単なる「狂気」で片づけて欲しくない。
そんなことすら思います。
役者さんのテクニック的?なことはよくわかりませんが、声色やセリフの抑揚の変化が凄くて、釘付けになっちゃいます。まばたき忘れて前のめり(笑)。
やっぱり窪田演技はねえ。「造形芸術」なんです。
ハマる人はハマるけど、嫌な人は嫌かも(笑)。
(つづく)★
…とやらに参戦して、午後から仕事。
こんなに朝も早よから映画見に行ったことないよ(笑)。
舞台挨拶生中継の様子は、ほうぼうでUPされているのでレポ割愛しますが、まずは本編の感想を自分メモで書きます。
ロビーで様子を見ていたら、私の右隣りに中一ぐらいのお嬢ちゃん。彼女はヒロインの飯豊まりえちゃんのファンのようでした。んでお母さんは主演の藤ヶ谷君のファンらしく、お二人ともコーフン度がハンパない(笑)。
左隣の女性トリオは、「まさくん」という単語が頻繁に出てきたので(すみません会話聞いてしまいました)、どうやら窪田君のファンのようでした。
オフ会でもあったようで、地元のお土産交換会と化してて笑った(笑)。
はいフィギュアファンと全く同じですね。わかります。わかりますとも!^^
★
お客さんまあまあ入ってて、皆さん舞台挨拶目当てかしら。でも一人で来てた男性が結構いたー。不思議(?)
本編はTVドラマのおさらいから始まり、「あれから半年」が経過したところ。
何より監督が「こだわった」という、自然光


人物の背景によくこの「自然光」が出てくるんですが、逆光なのに顔が暗くならないのはどういう撮影なんだろ?(すません。撮影シロートです)
まるで、マリア様の後光のような効果があって、監督は「神聖な感じを出したかった」と言ってはりましたが、ピタッとはまっていました。
海や波やヨットや島が、光の中にボンヤリ溶けていく感じ。
高校の美術室の、いつも窓から差し込む光のやわらかさ。
絵的に、映像がとても好きです。
ファッションはやっぱり、原作の描かれたバブル時代?に合わせてるのかな?
私、TV版で藤ヶ谷君の「零」が、美術室の胸像とキスしてるカットが、とても好きなんですが、あそこで「藤ヶ谷君って鼻の形が綺麗やな…」と感心したんですよね。
そしたら窪田君が「鼻筋」に言及してたもんで、やっぱりみんなもそう思ってるんだなって(笑)。
あれは何故キスしてるんでしょね。MARS=闘いの神・軍神=自分なのかな。
自分を誇らしく思っている…いや、思おうとしている。
後付けでそう解釈しましたが。
零とキラのラブストーリーだけでは余りにも平板なので、そこに桐島牧生という黒い要素を投入して攪乱する…三角関係なのですが、どうもプロデューサーの意図と映画監督の意図が、ややズレているような気がしなくもない(?)
雑誌ダ・ヴィンチの対談で、植野プロデューサーが「牧生視点で描きたい」と言及してましたが、いざ映画を見てみたら、主人公は飯豊まりえちゃんの「キラ」なんですよね。
内気で傷を抱えていた女の子が、強く成長していく物語に見えました。
そもそもドラマと映画を作る意図は、J事務所さんから「藤ヶ谷君でプロモーションVを1本!」という発注だったと思うんですが(多分ね。多分よ)。
だって全編、藤ヶ谷君を超~かっこよく撮ってるものね(笑)。
でも、肝心の「零」の成長(変化)より、ヒロインのキラちゃんの変化の方が、丁寧に描かれていて振り幅が大きかった。
なので、「プロデューサーは牧生押し」、「監督は零押し」、「脚本家はキラちゃん押し」…と、「どこに比重を置くか」が、ややバラバラに思えました。
あ、まったく個人の勝手な見解です(笑)。
牧生は、零にあこがれて(男の子だけど男の子に憧れる)、キラちゃんが零とくっつくのが気に食わない。なので色んな行動に出るのですが。。。
窪田君の造形する牧生は、「蛆虫のように醜い。最低な生き物」なのですが。
なぜかあわれで、醜さを突き抜けて美しさすらある。
これが大人の男で、世の中の酸いも甘いも味わった人間が「腐ってる」なら、同情も何も湧かないと思うんですが、牧生は「こども」なのよね。
「間違った方向に行ってる子供」の延長線上にある高校生なんで、あわれで憎み切れない。
「サイコパスとして演じないでください」という指示が出てたそうなんで、なんという難しいオーダーか!と思いますが、複雑な人格を持つ牧生を見事に演じ切っています。
子供って、こっち(大人)が理路整然と諭しても、聞かないじゃないですか。
「どうしてわかってくんないんだ!」「僕が正しいんだ!」って、譲らない。
牧生は牧生の「正義」の元で生きているので、単なる「狂気」で片づけて欲しくない。
そんなことすら思います。
役者さんのテクニック的?なことはよくわかりませんが、声色やセリフの抑揚の変化が凄くて、釘付けになっちゃいます。まばたき忘れて前のめり(笑)。
やっぱり窪田演技はねえ。「造形芸術」なんです。
ハマる人はハマるけど、嫌な人は嫌かも(笑)。
(つづく)★